虔十公園林
宮沢賢治

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)虔十《けんじふ》は

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)丁度|虔十《けんじふ》の

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)植※[#小書き平仮名ゑ、49−6]らぃ。
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 虔十《けんじふ》はいつも繩《なは》の帯をしめてわらって杜《もり》の中や畑の間をゆっくりあるいてゐるのでした。
 雨の中の青い藪《やぶ》を見てはよろこんで目をパチパチさせ青ぞらをどこまでも翔《か》けて行く鷹《たか》を見付けてははねあがって手をたゝいてみんなに知らせました。
 けれどもあんまり子供らが虔十をばかにして笑ふものですから虔十はだんだん笑はないふりをするやうになりました。
 風がどうと吹いてぶなの葉がチラチラ光るときなどは虔十はもううれしくてうれしくてひとりでに笑へて仕方ないのを、無理やり大きく口をあき、はあはあ息だけついてごまかしながらいつまでもいつまでもそのぶなの木を見上げて立ってゐるのでした。
 時にはその大きくあいた口の横わきをさも痒《かゆ》いやうなふりをして指でこすりながらはあはあ息だけで笑ひました。
 なるほど遠くから見ると虔十は口の横わきを掻《か》いてゐるか或《ある》いは欠伸《あくび》でもしてゐるかのやうに見えましたが近くではもちろん笑ってゐる息の音も聞えましたし唇《くちびる》がピクピク動いてゐるのもわかりましたから子供らはやっぱりそれもばかにして笑ひました。
 おっかさんに云《い》ひつけられると虔十は水を五百杯でも汲《く》みました。一日一杯畑の草もとりました。けれども虔十のおっかさんもおとうさんも仲々そんなことを虔十に云ひつけようとはしませんでした。
 さて、虔十の家のうしろに丁度大きな運動場ぐらゐの野原がまだ畑にならないで残ってゐました。
 ある年、山がまだ雪でまっ白く野原には新らしい草も芽を出さない時、虔十はいきなり田打ちをしてゐた家の人達の前に走って来て云ひました。
「お母《があ》、おらさ杉苗七百本、買って呉《け》ろ。」
 虔十のおっかさんはきらきらの三本鍬《さんぼんぐは》を動かすのをやめてじっと虔十の顔を見て云ひました。
「杉苗七百ど、どごさ植※[#小書き平仮名ゑ、49−6]らぃ。」
「家のうしろの野原さ。」
 そのとき虔十の兄さんが云ひました。
「虔十、あそごは杉植※[#小書き平仮名ゑ、49−9]でも成長《おが》らなぃ処《ところ》だ。それより少し田でも打って助《す》けろ。」
 虔十はきまり悪さうにもぢもぢして下を向いてしまひました。
 すると虔十のお父さんが向ふで汗を拭《ふ》きながらからだを延ばして
「買ってやれ、買ってやれ。虔十ぁ今まで何一つだて頼んだごとぁ無ぃがったもの。買ってやれ。」と云ひましたので虔十のお母さんも安心したやうに笑ひました。
 虔十はまるでよろこんですぐにまっすぐに家の方へ走りました。
 そして納屋から唐鍬《たうぐは》を持ち出してぽくりぽくりと芝を起して杉苗を植ゑる穴を掘りはじめました。
 虔十の兄さんがあとを追って来てそれを見て云ひました。
「虔十《けんじふ》、杉ぁ植る時、掘らなぃばわがなぃんだぢゃ。明日まで待て。おれ、苗買って来てやるがら。」
 虔十はきまり悪さうに鍬《くは》を置きました。
 次の日、空はよく晴れて山の雪はまっ白に光りひばりは高く高くのぼってチーチクチーチクやりました。そして虔十はまるでこらへ切れないやうににこにこ笑って兄さんに教へられたやうに今度は北の方の堺《さかひ》から杉苗の穴を掘りはじめました。実にまっすぐに実に間隔正しくそれを掘ったのでした。虔十の兄さんがそこへ一本づつ苗を植ゑて行きました。
 その時野原の北側に畑を有《も》ってゐる平二がきせるをくはへてふところ手をして寒さうに肩をすぼめてやって来ました。平二は百姓も少しはしてゐましたが実はもっと別の、人にいやがられるやうなことも仕事にしてゐました。平二は虔十に云ひました。
「やぃ。虔十、此処《ここ》さ杉植るな※[#小書き平仮名ん、50−11]てやっぱり馬鹿《ばか》だな。第一おらの畑ぁ日影にならな。」
 虔十は顔を赤くして何か云ひたさうにしましたが云へないでもぢもぢしました。
 すると虔十の兄さんが、
「平二さん、お早うがす。」と云って向ふに立ちあがりましたので平二はぶつぶつ云ひながら又のっそりと向ふへ行ってしまひました。
 その芝原へ杉を植ゑることを嘲笑《わら》ったものは決して平二だけではありませんでした。あんな処に杉など育つものでもない、底は硬い粘土なんだ、やっぱり馬鹿は馬鹿だとみんなが云って居《を》りました。
 それは全く
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