その通りでした。杉は五年までは緑いろの心《しん》がまっすぐに空の方へ延びて行きましたがもうそれからはだんだん頭が円く変って七年目も八年目もやっぱり丈が九尺ぐらゐでした。
ある朝虔十が林の前に立ってゐますとひとりの百姓が冗談に云ひました。
「おゝい、虔十。あの杉ぁ枝打ぢさなぃのか。」
「枝打ぢていふのは何だぃ。」
「枝打ぢつのは下の方の枝山刀で落すのさ。」
「おらも枝打ぢするべがな。」
虔十は走って行って山刀を持って来ました。
そして片っぱしからぱちぱち杉の下枝を払ひはじめました。ところがたゞ九尺の杉ですから虔十は少しからだをまげて杉の木の下にくぐらなければなりませんでした。
夕方になったときはどの木も上の方の枝をたゞ三四本ぐらゐづつ残してあとはすっかり払ひ落されてゐました。
濃い緑いろの枝はいちめんに下草を埋めその小さな林はあかるくがらんとなってしまひました。
虔十は一ぺんにあんまりがらんとなったのでなんだか気持ちが悪くて胸が痛いやうに思ひました。
そこへ丁度|虔十《けんじふ》の兄さんが畑から帰ってやって来ましたが林を見て思はず笑ひました。そしてぼんやり立ってゐる虔十にきげんよく云ひました。
「おう、枝集めべ、いゝ焚《た》ぎものうんと出来だ。林も立派になったな。」
そこで虔十もやっと安心して兄さんと一緒に杉の木の下にくぐって落した枝をすっかり集めました。
下草はみじかくて奇麗でまるで仙人たちが碁《ご》でもうつ処のやうに見えました。
ところが次の日虔十は納屋で虫喰ひ大豆《まめ》を拾ってゐましたら林の方でそれはそれは大さわぎが聞えました。
あっちでもこっちでも号令をかける声ラッパのまね、足ぶみの音それからまるでそこら中の鳥も飛びあがるやうなどっと起るわらひ声、虔十はびっくりしてそっちへ行って見ました。
すると愕《おど》ろいたことは学校帰りの子供らが五十人も集って一列になって歩調をそろへてその杉の木の間を行進してゐるのでした。
全く杉の列はどこを通っても並木道のやうでした。それに青い服を着たやうな杉の木の方も列を組んであるいてゐるやうに見えるのですから子供らのよろこび加減と云ったらとてもありません、みんな顔をまっ赤にしてもずのやうに叫んで杉の列の間を歩いてゐるのでした。
その杉の列には、東京街道ロシヤ街道それから西洋街道といふやうにずんずん名前がついて行きました。
虔十もよろこんで杉のこっちにかくれながら口を大きくあいてはあはあ笑ひました。
それからはもう毎日毎日子供らが集まりました。
たゞ子供らの来ないのは雨の日でした。
その日はまっ白なやはらかな空からあめのさらさらと降る中で虔十がたゞ一人からだ中ずぶぬれになって林の外に立ってゐました。
「虔十さん。今日も林の立番だなす。」
簑《みの》を着て通りかゝる人が笑って云ひました。その杉には鳶《とび》色の実がなり立派な緑の枝さきからはすきとほったつめたい雨のしづくがポタリポタリと垂れました。虔十は口を大きくあけてはあはあ息をつきからだからは雨の中に湯気を立てながらいつまでもいつまでもそこに立ってゐるのでした。
ところがある霧のふかい朝でした。
虔十は萱場《かやば》で平二といきなり行き会ひました。
平二はまはりをよく見まはしてからまるで狼《おほかみ》のやうないやな顔をしてどなりました。
「虔十、貴さんどごの杉|伐《き》れ。」
「何《な》してな。」
「おらの畑ぁ日かげにならな。」
虔十《けんじふ》はだまって下を向きました。平二の畑が日かげになると云ったって杉の影がたかで五寸もはひってはゐなかったのです。おまけに杉はとにかく南から来る強い風を防いでゐるのでした。
「伐《き》れ、伐れ。伐らなぃが。」
「伐らなぃ。」虔十が顔をあげて少し怖さうに云ひました。その唇《くちびる》はいまにも泣き出しさうにひきつってゐました。実にこれが虔十の一生の間のたった一つの人に対する逆らひの言《ことば》だったのです。
ところが平二は人のいゝ虔十などにばかにされたと思ったので急に怒り出して肩を張ったと思ふといきなり虔十の頬《ほほ》をなぐりつけました。どしりどしりとなぐりつけました。
虔十は手を頬にあてながら黙ってなぐられてゐましたがたうとうまはりがみんなまっ青に見えてよろよろしてしまひました。すると平二も少し気味が悪くなったと見えて急いで腕を組んでのしりのしりと霧の中へ歩いて行ってしまひました。
さて虔十はその秋チブスにかかって死にました。平二も丁度その十日ばかり前にやっぱりその病気で死んでゐました。
ところがそんなことには一向構はず林にはやはり毎日毎日子供らが集まりました。
お話はずんずん急ぎます。
次の年その村に鉄道が通り虔十の家から三町ばかり東の方に停車場
前へ
次へ
全3ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮沢 賢治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング