微けき霜のかけらもて、   西風ひばに鳴りくれば、
街の燈《あかり》の黄のひとつ、    ふるへて弱く落ちんとす。

そは瞳《まみ》ゆらぐ翁面《おきなめん》、     おもてとなして世をわたる、
かのうらぶれの贋《いか》物師、   木|藤《どう》がかりの門《かど》なれや。

写楽が雲母《きら》を揉み削《こそ》げ、   芭蕉の像にけぶりしつ、
春はちかしとしかすがに、  雪の雲こそかぐろなれ。

ちひさきびやうや失ひし、  あかりまたたくこの門に、
あしたの風はとどろきて、  ひとははかなくなほ眠るらし。



  旱倹


雲の鎖やむら立ちや、     森はた森のしろけむり、
鳥はさながら禍津日を、    はなるとばかり群れ去りぬ。

野を野のかぎり旱割れ田の、  白き空穂のなかにして、
術をもしらに家長たち、    むなしく風をみまもりぬ。



  〔老いては冬の孔雀守る〕


老いては冬の孔雀守る、    蒲の脛巾《はばき》とかはごろも、
園の広場の午后二時は、    湯|管《くだ》のむせびたゞほのか。

あるいはくらみまた燃えて、  降りくる雪の縞なすは、
さは遠からぬ雲影の、     日を越し行くに外ならず。



  老農


火雲むらがり翔《と》べば、  そのまなこはばみてうつろ。

火雲あつまり去れば、  麦の束遠く散り映う。



  浮世絵


ましろなる塔の地階に、    さくらばなけむりかざせば、
やるせなみプジェー神父は、  とりいでぬにせの赤富士。

青|瓊《ぬ》玉かゞやく天に、     れいろうの瞳をこらし、
これはこれ悪業《あく》乎《か》栄光《さかえ》乎《か》、   かぎすます北斎の雪。


  歯科医院


ま夏は梅の枝青く、     風なき窓を往く蟻や、
碧空《そら》の反射のなかにして、  うつつにめぐる鑿ぐるま。

浄き衣せしたはれめの、   ソーファによりてまどろめる、
はてもしらねば磁気嵐、   かぼそき肩ををののかす。



  〔かれ草の雪とけたれば〕


かれ草の雪とけたれば
裾野はゆめのごとくなり
みじかきマント肩はねて
濁酒をさぐる税務吏や
はた兄弟の馬喰の
鶯いろによそほへる
さては「陰気の狼」と
あだなをもてる三百も
みな恍惚とのぞみゐる



  退耕


ものなべてうち訝しみ、   こゑ粗き朋らとありて、
黄の上着ちぎるゝまゝに、  栗の花降りそめにけり。


演奏会《リサイタル》せんとのしらせ、   いでなんにはや身ふさはず、
豚《ゐのこ》はも金毛となりて、    はてしらず西日に駈ける。



  〔白金環の天末を〕


白金環の天末を、     みなかみ遠くめぐらしつ、
大煙突はひさびさに、   くろきけむりをあげにけり。

けむり停まるみぞれ雲、  峡を覆ひてひくければ、
大工業の光景《さま》なりと、   技師も出でたち仰ぎけり。



  早春


黒雲峡を乱れ飛び  技師ら亜炭の火に寄りぬ
げにもひとびと祟むるは  青き Gossan 銅の脈
わが索むるはまことのことば
雨の中なる真言なり



  来々軒


浙江の林光文は、      かゞやかにまなこ瞠き、
そが弟子の足をゆびさし、  凛としてみじろぎもせず。

ちゞれ雲西に傷みて、    いささかの粉雪ふりしき、
警察のスレートも暮れ、   売り出しの旗もわびしき。

むくつけき犬の入り来て、  ふつふつと釜はたぎれど、
額《ぬか》青き林光文は、      そばだちてまじろぎもせず。

もろともに凍れるごとく、  もろともに刻めるごとく、
雪しろきまちにしたがひ、  たそがれの雲にさからふ。



  林館開業

凝灰岩《タフ》もて畳み杉植ゑて、  麗※[#「女+朱」、第3水準1−15−80]六七なまめかし、
南銀河と野の黒に、     その※[#「片+戸/甫」、第3水準1−87−69]々をひらきたり。

数寄《すき》の光壁《くわうへき》更たけて、    千の鱗翅と鞘翅目、
直翅の輩はきたれども、   公子訪へるはあらざりき。



  コバルト山地


なべて吹雪のたえまより、  はたしらくものきれまより、
コバルト山地山肌の、    ひらめき酸えてまた青き。



  旱害地帯


多くは業にしたがひて  指うちやぶれ眉くらき
学びの児らの群なりき

花と侏儒とを語れども  刻めるごとく眉くらき
稔らぬ土の児らなりき

    ……村に県《あがた》にかの児らの  二百とすれば四万人
      四百とすれば九万人……

ふりさけ見ればそのあたり  藍暮れそむる松むらと
かじろき雪のけむりのみ



  〔鐘うてば白木のひのき〕


鐘うてば白木のひのき、  ひかりぐもそらをはせ交ふ。


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