窓を掃ふと出でたちて、
片頬むなしき郡長、 酸えたる虹をわらふなり。
柳沢野
焼けのなだらを雲はせて、 海鼠のにほひいちじるき。
うれひて蒼き柏ゆゑ、 馬は黒藻に飾らるゝ。
軍事連鎖劇
キネオラマ、 寒天光のたゞなかに、 ぴたと煙草をなげうちし、
上等兵の袖の上、 また背景の暁《あけ》ぞらを、 雲どしどしと飛びにけり。
そのとき角のせんたくや、 まつたくもつて泪をながし、
やがてほそぼそなみだかわき、 すがめひからせ、 トンビのえりを直したりけり。
峡野早春
夜見来《よみこ》の川のくらくして、 斑雪《はだれ》しづかにけむりだつ。
二すぢ白き日のひかり、 ややになまめく笹のいろ。
稔らぬなげきいまさらに、 春をのぞみて深めるを。
雲はまばゆき墨と銀、 波羅蜜山の松を越す。
短夜
屋台を引きて帰りくる、 目あかし町の夜なかすぎ、
うつは数ふるそのひまに、 もやは浅葱とかはりけり。
みづから塗れる伯林青《べれんす》の、 むらをさびしく苦笑ひ、
胡桃覆へる石屋根に、 いまぞねむれと入り行きぬ。
〔水楢松にまじらふは〕
「水楢松にまじらふは、 クロスワードのすがたかな。」
誰かやさしくもの云ひて、 いらへはなくて風吹けり。
「かしこに立てる楢の木は、 片枝青くしげりして、
パンの神にもふさはしき。」 声いらだちてさらに云ふ。
「かのパスを見よ葉桜の、 列は氷雲に浮きいでて、
なが師も説かん順列を、 緑の毬に示したり。」
しばしむなしく風ふきて、 声はさびしく吐息しぬ。
「こたび県の負債せる、 われがとがにはあらざるを。」
硫黄
猛しき現場監督の、 こたびも姿あらずてふ、
元山あたり白雲の、 澱みて朝となりにけり。
青き朝日にふかぶかと、 小馬《ポニー》うなだれ汗すれば、
硫黄は歪み鳴りながら、 か黒き貨車に移さるゝ。
二月
みなかみにふとひらめくは、 月魄の尾根や過ぎけん。
橋の燈《ひ》も顫ひ落ちよと、 まだき吹くみなみ風かな。
あゝ梵の聖衆を遠み、 たよりなく春は来《く》らしを。
電線の喚びの底を、 うちどもり水はながるゝ。
日の出前
学校は、 稗と粟との野末にて、 朝の黄雲に濯はれてあり。
学校の、 ガラス片《ひら》ごとかゞやきて、 あるはうつろのごとくなりけり。
岩手山巓
外輪山の夜明け方、 息吹きも白み競ひ立ち、
三十三の石神に、 米《よね》を注ぎて奔り行く。
雲のわだつみ洞なして、 青野うるうる川湧けば、
あなや春日のおん帯と、 もろびと立ちてをろがみぬ。
車中〔二〕
稜堀山の巌の稜、 一|木《き》を宙に旋るころ
まなじり深き伯楽《はくらく》は、 しんぶんをこそひろげたれ。
地平は雪と藍の松、 氷を着るは七時雨、
ばらのむすめはくつろぎて、 けいとのまりをとりいでぬ。
化物丁場
すなどりびとのかたちして、 つるはしふるふ山かげの、
化物丁場しみじみと、 水湧きいでて春寒き。
峡のけむりのくらければ、 山はに円く白きもの、
おそらくそれぞ日ならんと、 親方《ボス》もさびしく仰ぎけり。
開墾地落上
白髪かざして高清は、 ブロージットと云へるなり。
松の岩頸 春の雲、 コップに小く映るなり。
ゲメンゲラーゲさながらを、 焦げ木はかつとにほふなり。
額を拍ちて高清は、 また鶯を聴けるなり。
〔鶯宿はこの月の夜を雪降るらし〕
鶯宿はこの月の夜を雪降るらし。
鶯宿はこの月の夜を雪降るらし、 黒雲そこにてたゞ乱れたり。
七つ森の雪にうづみしひとつなり、 けむりの下を逼りくるもの。
月の下なる七つ森のそのひとつなり、 かすかに雪の皺たゝむもの。
月をうけし七つ森のはてのひとつなり、 さびしき谷をうちいだくもの。
月の下なる七つ森のその三つなり、 小松まばらに雪を着るもの。
月の下なる七つ森のその二つなり、 オリオンと白き雲とをいたゞけるもの。
七つ森の二つがなかのひとつなり、 鉱石《かね》など掘りしあとのあるもの。
月の下なる七つ森のなかの一つなり、 雪白々と裾を引くもの。
月の下なる七つ森のその三つなり、 白々として起伏するもの。
七つ森の三つがなかの一つなり、 貝のぼたんをあまた噴くもの。
月の下なる七つ森のはての一つなり、 けはしく白く稜立てるもの。
稜立てる七つ森のそのはてのもの
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