葡萄水
宮沢賢治

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)葡萄《ぶだう》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)まっ黒|戸棚《とだな》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)(一)[#「(一)」は縦中横]
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     (一)[#「(一)」は縦中横]

 耕平は髪も角刈りで、おとなのくせに、今日は朝から口笛などを吹いてゐます。
 畑の方の手があいて、こゝ二三日は、西の野原へ、葡萄《ぶだう》をとりに出られるやうになったからです。
 そこで耕平は、うしろのまっ黒|戸棚《とだな》の中から、兵隊の上着を引っぱり出します。
 一等卒の上着です。
 いつでも野原へ出るときは、きっとこいつを着るのです。
 空が光って青いとき、黄いろなすぢの入った兵隊服を着て、大手をふって野原を行くのは、誰《たれ》だっていゝ気持ちです。
 耕平だって、もちろんです。大きげんでのっしのっしと、野原を歩いて参ります。
 野原の草もいまではよほど硬くなって、茶いろやけむりの穂を出したり、赤い実をむすんだり、中にはいそがしさうに今年のおしまひの小さな花を開いてゐるのもあります。
 耕平は二へんも三べんも、大きく息をつきました。
 野原の上の空などは、あんまり青くて、光ってうるんで、却《かへ》って気の毒なくらゐです。
 その気の毒なそらか、すきとほる風か、それともうしろの畑のへりに立って、玉蜀黍《たうもろこし》のやうな赤髪を、ぱちゃぱちゃした小さなはだしの子どもか誰か、とにかく斯《か》う歌ってゐます。
[#ここから3字下げ]
「馬こは、みんな、居なぐなた。
 仔っこ馬《ま》もみんな随《つ》いで行《い》た。
 いまでぁ野原もさぁみしん[#「ん」は小書き]ぢゃ、
 草ぱどひでりあめばがり。」
[#ここで字下げ終わり]
 実は耕平もこの歌をききました。ききましたから却って手を大きく振って、
「ふん、一向さっぱりさみしぐなぃんぢゃ。」と云《い》ったのです。
 野原はさびしくてもさびしくなくても、とにかく日光は明るくて、野葡萄はよく熟してゐます。そのさまざまな草の中を這《は》って、真っ黒に光って熟してゐます。
 そこで耕平は、葡萄をとりはじめました。そして誰でも、野原で一ぺん何かをとりはじめたら、仲々やめはしないものです。ですから耕平もかまはないで置い
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