章というて、誰《たれ》も存知の有り難《がた》いお経の中の一とこじゃ。ただ今から、暫時《しばし》の間、そのご文の講釈を致《いた》す。みなの衆、ようく心を留《と》めて聞かしゃれ。折角《せっかく》鳥に生れて来ても、ただ腹が空《す》いた、取って食う、睡《ねむ》くなった、巣に入るではなんの所詮《しょせん》もないことじゃぞよ。それも鳥に生れてただやすやすと生きるというても、まことはただの一日とても、ただごとではないのぞよ、こちらが一日生きるには、雀《すずめ》やつぐみや、たにしやみみずが、十や二十も殺されねばならぬ、ただ今のご文にあらしゃるとおりじゃ。ここの道理をよく聴《き》きわけて、必らずうかうか短い一生をあだにすごすではないぞよ。これからご文に入るじゃ。子供らも、こらえて睡るではないぞ。よしか。」
 林の中は又しいんとなりました。さっきの汽車が、まだ遠くの遠くの方で鳴っています。
「爾《そ》の時に疾翔大力《しっしょうたいりき》、爾迦夷《るかい》に告げて曰《いわ》くと、まづ疾翔大力とは、いかなるお方じゃか、それを話さなければならんじゃ。
 疾翔大力と申しあげるは、施身大菩薩《せしんだいぼさつ》のこ
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