講義が又はじまりました。
「さらば疾翔大力は、いかなればとて、われわれ同様|賤《いや》しい鳥の身分より、その様なる結構のお身となられたか。結構のことじゃ。ご自分も又ほかの一切のものも、本願のごとくにお救いなされることなのじゃ。さほど尊いご身分にいかなことでなられたかとなれば、なかなか容易のことではあらぬぞよ。疾翔大力さまはもとは一疋の雀でござらしゃったのじゃ。南天竺《なんてんじく》の、ある家《や》の棟《むね》に棲《す》まわれた。ある年非常な饑饉《ききん》が来て、米もとれねば木の実もならず、草さえ枯《か》れたことがござった。鳥もけものも、みな飢《う》え死にじゃ人もばたばた倒《たお》れたじゃ。もう炎天《えんてん》と飢渇《きかつ》の為《ため》に人にも鳥にも、親兄弟の見さかいなく、この世からなる餓鬼道《がきどう》じゃ。その時疾翔大力は、まだ力ない雀でござらしゃったなれど、つくづくこれをご覧じて、世の浅間《あさま》しさはかなさに、泪《なみだ》をながしていらしゃれた。中にもその家の親子二人、子はまだ六つになるならず、母親とてもその大飢渇に、どこから食《じき》を得るでなし、もうあすあすに二人もろとも見す見す餓死を待ったのじゃ。この時、疾翔大力は、上よりこれをながめられあまりのことにしばしは途方《とほう》にくれなされたが、日ごろの恩を報ずるは、ただこの時と勇みたち、つかれた羽をうちのばし、はるか遠くの林まで、親子の食《じき》をたずねたげな。一念天に届《とど》いたか、ある大林のその中に、名さえも知らぬ木なれども、色もにおいもいと高き、十の木の実をお見附《みつ》けなされたじゃ。さればもはや疾翔大力は、われを忘れて、十たびその実をおのがあるじの棟《むね》に運び、親子の上より落されたじゃ。その十たび目は、あまりの飢えと身にあまる、その実の重さにまなこもくらみ、五たび土に落ちたれど、ただ報恩の一念に、ついご自分にはその実を啄《ついば》みなさらなんだ、おもいとどいてその十番目の実を、無事に親子に届けたとき、あまりの疲《つか》れと張りつめた心のゆるみに、ついそのままにお倒れなされたじゃ。されどもややあって正気に復し下の模様を見てあれば、いかにもその子は勢《せい》も増し、ただいたけなく悦《よろこ》んでいる如《ごと》くなれども、親はかの実も自らは口にせなんじゃ、いよいよ餓《う》えて倒れるようす、疾翔
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