くろふのお父さんに云ひました。
「もうさうなっては仕方ない。お前は行って穂吉にそっと教へてやったらよからう、もうこの上は決してばたばたもがいたり、怒って人に噛《か》み付いたりしてはいけない。今日中|誰《たれ》もお前を殺さない処を見ると、きっと田螺《たにし》か何かで飼って置くつもりだらうから、今までのやうに温和《おとな》しくして、決して人に逆《さから》ふな、とな。斯《か》う云って教へて来たらよからう。」
 梟《ふくろふ》のお父さんは、首を垂れてだまって聴いてゐました。梟の和尚《をしゃう》さんも遠くからこれにできるだけ耳を傾けてゐましたが大体そのわけがわかったらしく言ひ添へました。
「さうぢゃ、さうぢゃ。いゝ分別ぢゃ。序《ついで》に斯う教へて来なされ。このやうなひどい目にあうて、何悪いことしたむくいぢゃと、恨むやうなことがあってはならぬ。この世の罪も数知らず、さきの世の罪も数かぎりない事ぢゃほどに、この災難もあるのぢゃと、よくあきらめて、あんまりひとり嘆くでない、あんまり泣けば心も沈み、からだもとかく損《そこ》ねるぢゃ、たとへ足には紐《ひも》があるとも、今こゝへ来て、はじめてとまった処ぢゃと、いつも気軽でゐねばならぬ、とな、斯う云うて下され。あゝ、されども、されども、とられた者は又別ぢゃ。何のさはりも無いものが、とや斯う言うても、何にもならぬ。あゝ可哀さうなことぢゃ不愍《ふびん》なことぢゃ。」
 お父さんの梟は何べんも頭を下げました。
「ありがたうございます。ありがたうございます。もうきっとさう申し伝へて参ります。斯《こ》んなお語《ことば》を伝へ聞いたら、もう死んでもよいと申しますでございませう。」
「いや、いや、さうぢゃ。斯うも云うて下され。いくら飼はれるときまっても、子供心はもとより一向たよりないもの、又近くには猫犬なども居ることぢゃ、もし万一の場合は、たゞあの疾翔大力《しっしょうたいりき》のおん名を唱へなされとな。さう云うて下され。おゝ不愍《ふびん》ぢゃ。」
「ありがたうございます。では行って参ります。」
 梟のお母さんが、泣きむせびながら申しました。
「ああ、もしどうぞ、いのちのある間は朝夕二度、私に聞えるやう高く啼《な》いて呉《く》れとおっしゃって下さいませ。」
「いゝよ。ではみなさん、行って参ります。」
 梟のお父さんは、二三度羽ばたきをして見てから、音もなく滑るやうに向ふへ飛んで行きました。梟の坊さんがそれをじっと見送ってゐましたが、俄《には》かにからだをりんとして言ひました。
「みなの衆。いつまで泣いてもはてないぢゃ。ここの世界は苦界《くがい》といふ、又忍土とも名づけるぢゃ。みんなせつないことばかり、涙の乾くひまはないのぢゃ。たゞこの上は、われらと衆生と、早くこの苦を離れる道を知るのが肝要ぢゃ。この因縁でみなの衆も、よくよく心をひそめて聞きなされ。たゞ一人でも穂吉のことから、まことに菩提《ぼだい》の心を発すなれば、穂吉の功徳《くどく》又この座のみなの衆の功徳、かぎりもあらぬことなれば、必らずとくと聴聞《ちゃうもん》なされや。昨夜の続きを講じます。
 爾《そ》の時に疾翔大力《しっしょうたいりき》、爾迦夷《るかゐ》に告げて曰《いは》く、諦《あきらか》に聴け、諦に聴け。善《よ》く之《これ》を思念せよ。我今|汝《なんぢ》に、梟鵄《けうし》諸《もろもろ》の悪禽《あくきん》、離苦《りく》解脱《げだつ》の道を述べんと。
 爾迦夷《るかゐ》、則《すなは》ち両翼を開張し、虔《うやうや》しく頸《くび》を垂れて座を離れ、低く飛揚して疾翔大力を讃嘆すること三匝《さんさふ》にして、徐《おもむろ》に座に復し、拝跪《はいき》して唯《ただ》願ふらく、疾翔大力、疾翔大力、たゞ我等が為《ため》にこれを説き給へ。たゞ我等が為に之を説き給へと。
 疾翔大力微笑して、金色《こんじき》の円光を以《もっ》て頭《かうべ》に被れるに、その光|遍《あまね》く一座を照し、諸鳥歓喜充満せり。則ち説いて曰く、
 汝等《なんぢら》審《つまびらか》に諸の悪業を作る。或《あるい》は夜陰を以て小禽《せうきん》の家に至る。時に小禽|既《すで》に終日日光に浴し、歌唄《かばい》跳躍して疲労をなし、唯唯甘美の睡眠中にあり。汝等飛躍して之を握《つか》む。利爪《りさう》深くその身に入り、諸の小禽痛苦又声を発するなし。則ち之を裂きて擅《ほしいまま》に※[#「口+敢」、第3水準1−15−19]食《たんじき》す。或は沼田《せうでん》に至り螺蛤《らかふ》を啄《ついば》む。螺蛤軟泥中にあり、心|柔※[#「車+(而/大)」、第3水準1−92−46]《にうなん》にして唯温水を憶《おも》ふ。時に俄《にはか》に身空中にあり、或は直ちに身を破る、悶乱《もんらん》声を絶す。汝等之を※[#「口+敢」、第3水準1−15−19]食《たんじき》するに、又|懺悔《ざんげ》の念あることなし。
 斯《かく》の如《ごと》きの諸の悪業《あくごふ》、挙げて数ふるなし。
 悪業を以ての故に、更に又諸の悪業を作る。継起して遂《つひ》に竟《をは》ることなし。昼は則ち日光を懼《おそ》れ、又人|及《および》諸の強鳥を恐る。心|暫《しば》らくも安らかなることなし。一度《ひとたび》梟身《けうしん》を尽して、又|新《あらた》に梟身を得、審《つまびらか》に諸の患難を被《かうむ》りて、又尽くることなし。
 で前の晩は、諸鳥歓喜充満せりまで、文の如くに講じたが、此《こ》の席はその次ぢゃ。則ち説いて曰くと、これは疾翔大力さまが、爾迦夷《るかゐ》上人のご懇請によって、直ちに説法をなされたと斯《か》うぢゃ。汝等|審《つまびらか》に諸の悪業を作ると。汝等といふは、元来はわれわれ梟《ふくろふ》や鵄《とび》などに対して申さるゝのぢゃが、ご本意は梟にあるのぢゃ、あとのご文の罪相を拝するに、みなわれわれのことぢゃ。悪業といふは、悪は悪いぢゃ、業《ごふ》とは梵語《ぼんご》でカルマというて、すべて過去になしたることのまだ報《むくい》となってあらはれぬを業といふ、善業悪業あるぢゃ。こゝでは悪業といふ。その事柄を次にあげなされたぢゃ。或は夜陰を以て、小禽《せうきん》の家に至ると。みなの衆、他人事《ひとごと》ではないぞよ。よくよく自《みづか》らの胸にたづねて見なされ。夜陰とは夜のくらやみぢゃ。以てとは、これは乗じてといふがやうの意味ぢゃ。夜のくらやみに乗じてと、斯うぢゃ。小禽の家に至る。小禽とは、雀《すずめ》、山雀《やまがら》、四十雀《しじふから》、ひは、百舌《もず》、みそさざい、かけす、つぐみ、すべて形小にして、力ないものは、みな小禽ぢゃ。その形小さく力無い鳥の家に参るといふのぢゃが、参るといふてもたゞ訪ねて参るでもなければ、遊びに参るでもないぢゃ、内に深く残忍の想を潜め、外又恐るべく悲しむべき夜叉相《やしゃさう》を浮べ、密《ひそ》やかに忍んで参ると斯《か》う云ふことぢゃ。このご説法のころは、われらの心も未だ仲々善心もあったぢゃ、小禽《せうきん》の家に至るとお説きなされば、はや聴法の者、みな慄然《りつぜん》として座に耐へなかったぢゃ。今は仲々さうでない。今ならば疾翔大力《しっしょうたいりき》さま、まだまだ強く烈《はげ》しくご説法であらうぞよ。みなの衆、よくよく心にしみて聞いて下され。
 次のご文は、時に小禽|既《すで》に終日日光に浴し、歌唄《かばい》跳躍して、疲労をなし、唯々《ただただ》甘美の睡眠中にあり。他人事《ひとごと》ではないぞよ。どうぢゃ、今朝も今朝とて穂吉どの処《ところ》を替へてこの身の上ぢゃ、」
 説教の坊さんの声が、俄《にはか》におろおろして変りました。穂吉のお母さんの梟《ふくろふ》はまるで帛《きぬ》を裂くやうに泣き出し、一座の女の梟は、たちまちそれに従《つ》いて泣きました。
 それから男の梟も泣きました。林の中はたゞむせび泣く声ばかり、風も出て来て、木はみなぐらぐらゆれましたが、仲々|誰《たれ》も泣きやみませんでした。星はだんだんめぐり、赤い火星ももう西ぞらに入りました。
 梟の坊さんはしばらくゴホゴホ咳嗽《せき》をしてゐましたが、やっと心を取り直して、又講義をつゞけました。
「みなの衆、まづ試《ため》しに、自分がみそさざいにでもなったと考へてご覧《らう》じ。な。天道《てんとう》さまが、東の空へ金色《こんじき》の矢を射なさるぢゃ、林樹は青く枝は揺るゝ、楽しく歌をばうたふのぢゃ、仲よくあうた友だちと、枝から枝へ木から木へ、天道さまの光の中を、歌って歌って参るのぢゃ、ひるごろならば、涼しい葉陰にしばしやすんで黙るのぢゃ、又ちちと鳴いて飛び立つぢゃ、空の青板をめざすのぢゃ、又小流れに参るのぢゃ、心の合うた友だちと、たゞ暫《しば》らくも離れずに、歌って歌って参るのぢゃ、さてお天道さまが、おかくれなされる、からだはつかれてとろりとなる、油のごとく、溶けるごとくぢゃ。いつかまぶたは閉ぢるのぢゃ、昼の景色を夢見るぢゃ、からだは枝に留まれど、心はなほも飛びめぐる、たのしく甘いつかれの夢の光の中ぢゃ。そのとき俄かにひやりとする。夢かうつつか、愕《おどろ》き見れば、わが身は裂けて、血は流れるぢゃ。燃えるやうなる、二つの眼が光ってわれを見詰むるぢゃ。どうぢゃ、声さへ発《た》たうにも、咽喉《のど》が狂うて音が出ぬぢゃ。これが則《すなは》ち利爪《りさう》深くその身に入り、諸《もろもろ》の小禽《せうきん》痛苦又声を発するなしの意なのぢゃぞ。されどもこれは、取らるゝ鳥より見たるものぢゃ。捕る此方《こなた》より眺むれば、飛躍して之を握《つか》むと斯うぢゃ。何の罪なく眠れるものを、たゞ一打《ひとうち》ととびかゝり、鋭い爪《つめ》でその柔《やはらか》な身体《からだ》をちぎる、鳥は声さへよう発てぬ、こちらはそれを嘲笑《あざわら》ひつゝ、引き裂くぢゃ。何たるあはれのことぢゃ。この身とて、今は法師にて、鳥も魚も襲はねど、昔おもへば身も世もあらぬ。あゝ罪業《ざいごふ》のこのからだ、夜毎《よごと》夜毎の夢とては、同じく夜叉《やしゃ》の業をなす。宿業《しゅくごふ》の恐ろしさ、たゞたゞ呆《あき》るゝばかりなのぢゃ。」
 風がザアッとやって来ました。木はみな波のやうにゆすれ、坊さんの梟も、その中に漂ふ舟のやうにうごきました。
 そして東の山のはから、昨日の金角、二十五日のお月さまが、昨日よりは又ずうっと瘠《や》せて上りました。林の中はうすいうすい霧のやうなものでいっぱいになり、西の方からあの梟《ふくろふ》のお父さんがしょんぼり飛んで帰って来ました。

      ※

 旧暦六月二十六日の晩でした。
 そらがあんまりよく霽《は》れてもう天の川の水は、すっかりすきとほって冷たく、底のすなごも数へられるやう、またじっと眼をつぶってゐると、その流れの音さへも聞えるやうな気がしました。けれどもそれは或《あるい》は空の高い処《ところ》を吹いてゐた風の音だったかも知れません。なぜなら、星がかげろふの向ふ側にでもあるやうに、少しゆれたり明るくなったり暗くなったりしてゐましたから。
 獅子鼻《ししはな》の上の松林には今夜も梟《ふくろふ》の群が集まりました。今夜は穂吉が来てゐました。来てはゐましたが一昨日《をととひ》の晩の処にでなしに、おぢいさんのとまる処よりももっと高いところで小さな枝の二本行きちがひ、それからもっと小さな枝が四五本出て、一寸《ちょっと》盃《さかづき》のやうな形になった処へ、どこから持って来たか藁屑《わらくづ》や髪の毛などを敷いて臨時に巣がつくられてゐました。その中に穂吉が半分横になって、じっと目をつぶってゐました。梟のお母さんと二人の兄弟とが穂吉のまはりに座って穂吉のからだを支へるやうにしてゐました。林中のふくろふは、今夜は一人も泣いてはゐませんでしたが怒ってゐることはみんな、昨夜処《ゆふべどころ》ではありませんでした。
「傷みはどうぢゃ。いくらか薄らいだかの。」
 あの坊さんの梟がいつもの高い処からやさしく訊《たづ》ねました。穂吉は何か云はうとしたやうでしたが、たゞ眼がパチパチしたばかり、お
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