母さんが代って答へました。
「折角こらへてゐるやうでございます。よく物が申せないのでございます。それでもどうしても、今夜のお説教を聴聞《ちゃうもん》いたしたいといふやうでございましたので。もうどうかかまはずご講義をねがひたう存じます。」
梟の坊さんは空を見上げました。
「殊勝なお心掛けぢゃ。それなればこそ、たとへ脚をば折られても、二度と父母の処へも戻ったのぢゃ。なれども健《すこや》かな二本の脚を、何面白いこともないに、捩《ねぢ》って折って放すとは、何といふ浅間《あさま》しい人間の心ぢゃ。」
「放されましても二本の脚を折られてどうしてまあすぐ飛べませう。あの萱原《かやはら》の中に落ちてひいひい泣いてゐたのでございます。それでも昼の間は、誰《たれ》も気付かずやっと夕刻、私が顔を見ようと出て行きましたらこのていたらくでございまする。」
「うん。尤《もっとも》ぢゃ。なれども他人は恨むものではないぞよ。みな自《みづか》らがもとなのぢゃ。恨みの心は修羅《しゅら》となる。かけても他人は恨むでない。」
穂吉はこれをぼんやり夢のやうに聞いてゐました。子供がもう厭《あ》きて「遁《に》がしてやるよ」といって外へ連れて出たのでした。そのとき、ポキッと脚を折ったのです。その両脚は今でもまだしんしんと痛みます。眼を開いてもあたりがみんなぐらぐらして空さへ高くなったり低くなったりわくわくゆれてゐるやう、みんなの声も、たゞぼんやりと水の中からでも聞くやうです。ああ僕《ぼく》はきっともう死ぬんだ。こんなにつらい位ならほんたうに死んだ方がいゝ。それでもお父さんやお母さんは泣くだらう。泣くたって一体お父さんたちは、まだ僕の近くに居るだらうか、あゝ痛い痛い。穂吉は声もなく泣きました。
「あんまりひどいやつらだ。こっちは何一つ向ふの為《ため》に悪いやうなことをしないんだ。それをこんなことをして、よこす。もうだまってはゐられない。何かし返ししてやらう。」一|疋《ぴき》の若い梟《ふくろふ》が高く云ひました。すぐ隣りのが答へました。
「火をつけようぢゃないか。今度|屑焼《くづや》きのある晩に燃えてる長い藁《わら》を、一本あの屋根までくはへて来よう。なあに十本も二十本も運んでゐるうちにはどれかすぐ燃えつくよ。けれども火事で焼けるのはあんまり楽だ。何かも少しひどいことがないだらうか。」
又その隣りが答へました。
「戸のあいてる時をねらって赤子の頭を突いてやれ。畜生め。」
梟の坊さんは、じっとみんなの云ふのを聴いてゐましたがこの時しづかに云ひました。
「いやいや、みなの衆、それはいかぬぢゃ。これほど手ひどい事なれば、必らず仇《あだ》を返したいはもちろんの事ながら、それでは血で血を洗ふのぢゃ。こなたの胸が霽《は》れるときは、かなたの心は燃えるのぢゃ。いつかはまたもっと手ひどく仇を受けるぢゃ、この身終って次の生《しゃう》まで、その妄執《まうしふ》は絶えぬのぢゃ。遂《つひ》には共に修羅《しゅら》に入り闘諍《とうさう》しばらくもひまはないぢゃ。必らずともにさやうのたくみはならぬぞや。」
けたたましくふくろふのお母さんが叫びました。
「穂吉穂吉しっかりおし。」
みんなびくっとしました。穂吉のお父さんもあわてて穂吉の居た枝に飛んで行きましたがとまる所がありませんでしたからすぐその上の枝にとまりました。穂吉のおぢいさんも行きました。みんなもまはりに集りました。穂吉はどうしたのか折られた脚をぷるぷる云はせその眼は白く閉ぢたのです。お父さんの梟は高く叫びました。
「穂吉、しっかりするんだよ。今お説教がはじまるから。」
穂吉はパチッと眼をひらきました。それから少し起きあがりました。見えない眼でむりに向ふを見ようとしてゐるやうでした。
「まあよかったね。やっぱりつかれてゐるんだらう。」女の梟たちは云ひ合ひました。
坊さんの梟はそこで云ひました。
「さあ、講釈をはじめよう。みなの衆座にお戻りなされ。今夜は二十六日ぢゃ、来月二十六日はみなの衆も存知の通り、二十六夜待ちぢゃ。月天子《ぐわってんし》山のはを出《い》でんとして、光を放ちたまふとき、疾翔大力《しっしょうたいりき》、爾迦夷《るかゐ》波羅夷《はらゐ》の三尊が、東のそらに出現まします。今宵《こよひ》は月は異なれど、まことの心には又あらはれ給はぬことでない。穂吉どのも、たゞ一途《いちづ》に聴聞《ちゃうもん》の志ぢゃげなで、これからさっそく講ずるといたさう。穂吉どの、さぞ痛からう苦しからう、お経の文とて仲々耳には入るまいなれど、そのいたみ悩みの心の中に、いよいよ深く疾翔大力さまのお慈悲を刻みつけるぢゃぞ、いゝかや、まことにそれこそ菩提《ぼだい》のたねぢゃ。」
梟の坊さんの声が又少し変りました。一座はしいんとなりました。林の中にもう鳴き出した秋の虫があります。坊さんはしばらく息をこらして気を取り直しそれから厳《いか》めしい声で願をたててから昨夜の続きをはじめました。
「梟鵄《けうし》救護《くご》章 梟鵄救護章
諸《もろもろ》の仁者《じんしゃ》掌《て》を合せて至心に聴き給へ。我今|疾翔大力《しっしょうたいりき》が威神力を享《う》けて梟鵄救護章の一節を講ぜんとす。唯《ただ》願ふらくはかの如来《にょらい》大慈《だいじ》大悲《だいひ》我が小願の中に於《おい》て大神力を現じ給ひ妄言《まうげん》綺語《きご》の淤泥《おでい》を化《け》して光明|顕色《けんじき》の浄瑠璃《じゃうるり》となし、浮華《ふくわ》の中より清浄《しゃうじゃう》の青蓮華《しゃうれんげ》を開かしめ給はんことを。至心欲願、南無仏南無仏南無仏。
爾《そ》の時に疾翔大力、爾迦夷《るかゐ》に告げて曰《いは》く、諦《あきらか》に聴け諦に聴け。善《よ》く之《これ》を思念せよ。我今|汝《なんぢ》に梟鵄|諸《もろもろ》の悪禽《あくきん》離苦《りく》解脱《げだつ》の道を述べんと。
爾迦夷|則《すなは》ち両翼を開張し、虔《うやうや》しく頸《くび》を垂れて座を離れ、低く飛揚して疾翔大力を讃嘆すること三匝《さんさふ》にして、徐《おもむろ》に座に復し、拝跪《はいき》して願ふらく疾翔大力、疾翔大力、たゞ我等が為《ため》にこれを説き給へ。たゞ我等が為にこれを説き給へと。
疾翔大力、微笑して金色《こんじき》の円光を以《もっ》て頭《かうべ》に被れるに、諸鳥歓喜充満せり。則ち説いて曰く、
汝等|審《つまびらか》に諸の悪業《あくごふ》を作る。或《あるい》は夜陰を以て小禽《せうきん》の家に至る。時に小禽|既《すで》に終日日光に浴し、歌唄《かばい》跳躍して疲労をなし、唯唯甘美の睡眠中にあり、汝等飛躍して之を握《つか》む。利爪《りさう》深くその身に入り、諸の小禽痛苦又声を発するなし、則ち之を裂きて擅《ほしいまま》に※[#「口+敢」、第3水準1−15−19]食《たんじき》す。或は沼田《せうでん》に至り、螺蛤《らかふ》を啄《ついば》む。螺蛤軟泥中にあり、心|柔※[#「車+(而/大)」、第3水準1−92−46]《にうなん》にして唯温水を憶《おも》ふ。時に俄《にはか》に身空中にあり、或は直ちに身を破る、悶乱《もんらん》声を絶す。汝等之を※[#「口+敢」、第3水準1−15−19]食するに、又|懺悔《ざんげ》の念あることなし。
悪業《あくごふ》を以ての故に、更に又諸の悪業を作る。継起して遂《つひ》に竟《をは》ることなし。昼は則ち日光を懼《おそ》れ又人|及《および》諸の強鳥を恐る。心|暫《しば》らくも安らかなることなし。一度|梟身《けうしん》を尽して、又|新《あらた》に梟身を得。審《つまびらか》に諸の患難を被《かうむ》りて、又尽くることなし。
で前の晩は、斯《かく》の如《ごと》きの諸の悪業、挙げて数ふることなし、まで講じたが、今夜はその次ぢゃ。
悪業を以ての故に、更に又諸の悪業を作ると、これは誠に短いながら、強いお語《ことば》ぢゃ。先刻人間に恨みを返すとの議があった節、申した如くぢゃ、一の悪業によって一の悪果を見る。その悪果故に、又新なる悪業を作る。斯の如く展転して、遂《つひ》にやむときないぢゃ。車輪のめぐれどもめぐれども終らざるが如くぢゃ。これを輪廻《りんね》といひ、流転《るてん》といふ。悪より悪へとめぐることぢゃ。継起して遂《つひ》に竟《をは》ることなしと云ふがそれぢゃ。いつまでたっても終りにならぬ、どこどこまでも悪因悪果、悪果によって新に悪因をつくる。な。斯《か》うぢゃ、浮《うか》む瀬とてもあるまいぢゃ。昼は則《すなは》ち日光を懼《おそ》れ、又人|及《および》諸の強鳥を恐る。心|暫《しば》らくも安らかなることなし。これは流転の中の、つらい模様をわれらにわかるやう、直《ぢ》かに申されたのぢゃ。勿体《もったい》なくも、我等は光明の日天子《にってんし》をば憚《はば》かり奉る。いつも闇《やみ》とみちづれぢゃ。東の空が明るくなりて、日天子さまの黄金《きん》の矢が高く射出さるれば、われらは恐れて遁《に》げるのぢゃ。もし白昼にまなこを正しく開くならば、その日天子の黄金の征欠《そや》に伐《う》たれるぢゃ。それほどまでに我等は悪業《あくごふ》の身ぢゃ。又人及諸の強鳥を恐る。な。人を恐るゝことは、今夜今ごろ講ずることの限りでない。思ひ合せてよろしからう。諸の強鳥を恐る。鷹《たか》やはやぶさ、又さほど強くはなけれども日中なれば烏などまで恐れねばならぬ情ない身ぢゃ。はやぶさなれば空よりすぐに落ちて来て、こなたが小鳥をつかむときと同じやうなるありさまぢゃ、たちまち空で引き裂かれるぢゃ、少しのさからひをしたとて、何にもならぬ、げにもげにも浅間《あさま》しくなさけないわれらの身ぢゃ。」
梟《ふくろふ》の坊さんは一寸《ちょっと》声を切りました。今夜ももう一時の上《のぼ》りの汽車の音が聞えて来ました。その音を聞くと梟どもは泣きながらも、汽車の赤い明るいならんだ窓のことを考へるのでした。講釈がまた始まりました。
「心|暫《しば》らくも安らかなることなしと、どうぢゃ、みなの衆、たゞの一時《いっとき》でも、ゆっくりと何の心配もなく落ち着いたことがあるかの。もういつでもいつでもびくびくものぢゃ。一度《ひとたび》梟身《けうしん》を尽して又|新《あらた》に梟身を得《う》と斯《か》うぢゃ。泣いて悔やんで悲しんで、つひには年|老《と》る、病気になる、あらんかぎりの難儀をして、それで死んだら、もうこの様な悪鳥の身を離れるかとならば、仲々さうは参らぬぞや。身に染み込んだ罪業《ざいごふ》から、又梟に生れるぢゃ。斯《かく》の如《ごと》くにして百|生《しゃう》、二百生、乃至《ないし》劫《こふ》をも亙《わた》るまで、この梟身を免れぬのぢゃ。審《つまびらか》に諸の患難を蒙《かうむ》りて又尽くることなし。もう何もかも辛《つら》いことばかりぢゃ。さて今東の空は黄金《きん》色になられた。もう月天子《ぐわってんし》がお出ましなのぢゃ。来月二十六夜ならば、このお光に疾翔大力《しっしょうたいりき》さまを拝み申すぢゃなれど、今宵《こよひ》とて又拝み申さぬことでない、みなの衆、ようくまごゝろを以て仰ぎ奉るぢゃ。」
二十六夜の金いろの鎌《かま》の形のお月さまが、しづかにお登りになりました。そこらはぼおっと明るくなり、下では虫が俄《には》かにしいんしいんと鳴き出しました。
遠くの瀬の音もはっきり聞えて参りました。
お月さまは今はすうっと桔梗《ききゃう》いろの空におのぼりになりました。それは不思議な黄金《きん》の船のやうに見えました。
俄かにみんなは息がつまるやうに思ひました。それはそのお月さまの船の尖《とが》った右のへさきから、まるで花火のやうに美しい紫いろのけむりのやうなものが、ばりばりばりと噴き出たからです。けむりは見る間にたなびいて、お月さまの下すっかり山の上に目もさめるやうな紫の雲をつくりました。その雲の上に、金いろの立派な人が三人まっすぐに立ってゐます。まん中の人はせいも高く、大きな眼でじっとこっちを見てゐます。衣のひだまで一一はっきりわかります。お星さまをちりばめた
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