らやってごらん。」
「そら。」その小さな子供の梟はほんの一寸《ちょっと》の間、消防のやるやうな逆さ大の字をやりました。
「何だい。そればっかしかい。そればっかしかい。」
「だって、やったんならいゝんだらう。」
「大の字にならなかったい。たゞの十の字だったい、脚が開かないぢゃないか。」
「おい、おとなしくしろ。みんなに笑はれるぞ。」すぐ上の枝に居たお父さんのふくろふがその大きなぎらぎら青びかりする眼でこっちを見ながら云ひました。眼のまはりの赤い隈《くま》もはっきり見えました。
 ところがなかなか小さな梟の兄弟は云ふことをききませんでした。
「十の字、ほう、たての棒の二つある十の字があるだらうか。」
「二つに開かなかったい。」
「開いたよ。」
「何だ生意気な。」もう一疋は枝からとび立ちました。もう一疋もとび立ちました。二疋はばたばた、けり合ってはねが月の光に銀色にひるがへりながら下へ落ちました。
 おっかさんのふくろふらしいさっきのお父さんのとならんでゐた茶いろの少し小型のがすうっと下へおりて行きました。それから下の方で泣声が起りました。けれども間もなくおっかさんの梟はもとの処《ところ》へとびあがり小さな二疋ものぼって来て二疋とももとのところへとまって片脚で眼をこすりました。お母さんの梟がも一度|叱《しか》りました。その眼も青くぎらぎらしました。
「ほんたうにお前たちったら仕方ないねえ。みなさんの見ていらっしやる処でもうすぐきっと喧嘩《けんくわ》するんだもの。なぜ穂吉ちゃんのやうに、じっとおとなしくしてゐないんだらうねえ。」
 穂吉と呼ばれた梟は、三疋の中では一番小さいやうでしたが一番|温和《おとな》しいやうでした。じっとまっすぐを向いて、枝にとまったまゝ、はじめからおしまひまで、しんとしてゐました。
 その木の一番高い枝にとまりからだ中銀いろで大きく頬《ほほ》をふくらせ今の講義のやすみのひまを水銀のやうな月光をあびてゆらりゆらりとゐねむりしてゐるのはたしかに梟《ふくろふ》のおぢいさんでした。
 月はもう余程高くなり、星座もずゐぶんめぐりました。蝎座《さそりざ》は西へ沈むとこでしたし、天の川もすっかり斜めになりました。
 向ふの低い松の木から、さっきの年老《としよ》りの坊さんの梟が、斜に飛んでさっきの通り、説教の枝にとまりました。
 急に林のざわざわがやんで、しづかにしづかになりました。風のためか、今まで聞えなかった遠くの瀬の音が、ひゞいて参りました。坊さんの梟はゴホンゴホンと二つ三つせきばらひをして又はじめました。
「爾《そ》の時に、疾翔大力《しっしょうたいりき》、爾迦夷《るかゐ》に告げて曰《いは》く、諦《あきらか》に聴け、諦に聴け、善《よ》く之《これ》を思念せよ。我今|汝《なんぢ》に、梟鵄《けうし》諸《もろもろ》の悪禽《あくきん》、離苦《りく》解脱《げだつ》の道を述べんと。
 爾迦夷《るかゐ》、則《すなは》ち両翼を開張し、虔《うやうや》しく頸《くび》を垂れて座を離れ、低く飛揚して疾翔大力を讃嘆すること三匝《さんさふ》にして、徐《おもむろ》に座に復し、拝跪《はいき》して唯《ただ》願ふらく、疾翔大力、疾翔大力、たゞ我等が為《ため》にこれを説き給へ。たゞ我等が為に之を説き給へと。
 疾翔大力微笑して、金色《こんじき》の円光を以《もっ》て頭《かうべ》に被《かぶ》れるに、その光|遍《あまね》く一座を照し、諸鳥歓喜充満せり。則ち説いて曰く、
 汝等《なんぢら》審《つまびらか》に諸の悪業《あくごふ》を作る。或《あるい》は夜陰を以て小禽《せうきん》の家に至る。時に小禽|既《すで》に終日日光に浴し、歌唄《かばい》跳躍して疲労をなし、唯唯《ただただ》甘美の睡眠中にあり。汝等飛躍して之を握《つか》む。利爪《りさう》深くその身に入り、諸の小禽《せうきん》痛苦又声を発するなし。則《すなは》ち之を裂きて擅《ほしいまま》に※[#「口+敢」、第3水準1−15−19]食《たんじき》す。或は沼田《せうでん》に至り、螺蛤《らかふ》を啄《ついば》む。螺蛤軟泥中にあり、心|柔※[#「車+(而/大)」、第3水準1−92−46]《にうなん》にして、唯温水を憶《おも》ふ。時に俄《にはか》に身空中にあり、或は直ちに身を破る、悶乱《もんらん》声を絶す。汝等之を※[#「口+敢」、第3水準1−15−19]食《たんじき》するに、又|懺悔《ざんげ》の念あることなし。
 斯《かく》の如《ごと》きの諸の悪業、挙げて数ふるなし。悪業を以ての故に、更に又諸の悪業を作る。継起して遂《つひ》に竟《をは》ることなし。昼は則ち日光を懼《おそ》れ、又人|及《および》諸の強鳥を恐る。心|暫《しば》らくも安らかなることなし、一度《ひとたび》梟身《けうしん》を尽して、又|新《あらた》に梟身を得。審《つまびらか》に諸の苦患を被《かうむ》りて、又尽くることなし。で前の座では、捨身菩薩《しゃしんぼさつ》を疾翔大力《しっしょうたいりき》と呼びあげるわけあひ又、その願成《ぐわんじゃう》の因縁をお話いたしたぢゃが、次に爾迦夷《るかゐ》に告げて曰《いは》くとある。爾迦夷といふはこのとき我等と同様|梟《ふくろふ》ぢゃ。われらのご先祖と、一緒にお棲《すま》ひなされたお方ぢゃ。今でも爾迦夷|上人《しゃうにん》と申しあげて、毎月十三日がご命日ぢゃ。いづれの家でも、梟の限りは、十三日には楢《なら》の木の葉を取《と》て参《まゐ》て、爾迦夷上人さまにさしあげるといふことをやるぢゃ、これは爾迦夷さまが楢の木にお棲ひなされたからぢゃ。この爾迦夷さまは、早くから梟の身のあさましいことをご覚悟遊ばされ、出離の道を求められたぢゃげなが、たうとうその一心の甲斐《かひ》あって、疾翔大力さまにめぐりあひ、つひにその尊い教を聴聞あって、天上へ行かしゃれた。その爾迦夷さまへのご説法ぢゃ。諦《あきらか》に聴け、諦に聴け。善《よ》く之《これ》を思念せよと。心をしづめてよく聴けよ、心をしづめてよく聴けよと斯《か》うぢゃ。いづれの説法の座でも、よくよく心をしづめ耳をすまして聴くことは大切なのぢゃ。上《うは》の空で聞いてゐたでは何にもならぬぢゃ。」
 ところがこのとき、さっきの喧嘩《けんくわ》をした二|疋《ひき》の子供のふくろふがもう説教を聴くのは厭《あ》きてお互にらめくらをはじめてゐました。そこは茂りあった枝のかげで、まっくらでしたが、二疋はどっちもあらんかぎりりんと眼を開いてゐましたので、ぎろぎろ燐《りん》を燃したやうに青く光りました。そこでたうとう二疋とも一ぺんに噴き出して一緒に、
「お前の眼は大きいねえ。」と云ひました。
 その声は幸《さいはひ》に少しつんぼの梟《ふくろふ》の坊さんには聞えませんでしたが、ほかの梟たちはみんなこっちを振り向きました。兄弟の穂吉といふ梟は、そこで大へんきまり悪く思ってもぢもぢしながら頭だけはじっと垂れてゐました。二疋はみんなのこっちを見るのを枝のかげになってかくれるやうにしながら、
「おい、もう遁《に》げて遊びに行かう。」
「どこへ。」
「実相寺の林さ。」
「行かうか。」
「うん、行かう。穂吉ちゃんも行かないか。」
「ううん。」穂吉は頭をふりました。
「我今|汝《なんぢ》に、梟鵄《けうし》諸《もろもろ》の悪禽《あくきん》、離苦《りく》解脱《げだつ》の道を述べんといふことは。」説教が又続きました。二疋はもうそっと遁げ出し、穂吉はいよいよ堅くなって、兄弟三人分一人で聴かうといふ風でした。

      ※

 その次の日の六月二十五日の晩でした。
 丁度ゆふべと同じ時刻でしたのに、説教はまだ始まらず、あの説教の坊さんは、眼を瞑《つぶ》ってだまって説教の木の高い枝にとまり、まはりにゆふべと同じにとまった沢山の梟どもはなぜか大へんみな興奮してゐる模様でした。女のふくろふにはおろおろ泣いてゐるのもありましたし、男のふくろふはもうとても斯《か》うしてゐられないといふやうにプリプリしてゐました。それにあのゆふべの三人兄弟の家族の中では一番高い処《ところ》に居るおぢいさんの梟はもうすっかり眼を泣きはらして頬《ほほ》が時々びくびく云ひ、泪《なみだ》は声なくその赤くふくれた眼から落ちてゐました。
 もちろんふくろふのお母さんはしくしくしくしく泣いてゐました。乱暴ものの二疋の兄弟も不思議にその晩はきちんと座って、大きな眼をじっと下に落してゐました。又ふくろふのお父さんは、しきりに西の方を見てゐました。けれども一体どうしたのかあの温和《おとな》しい穂吉の形が見えませんでした。風が少し出て来ましたので松の梢《こずゑ》はみなしづかにゆすれました。
 空には所々雲もうかんでゐるやうでした。それは星があちこちめくらにでもなったやうに黒くて光ってゐなかったからです。
 俄《には》かに西の方から一|疋《ぴき》の大きな褐色《かっしょく》の梟《ふくろふ》が飛んで来ました。そしてみんなの入口の低い木にとまって声をひそめて云ひました。
「やっぱり駄目《だめ》だ。穂吉さんももうあきらめてゐるやうだよ。さっきまではばたばたばたばた云ってゐたけれども、もう今はおとなしく臼《うす》の上にとまってゐるよ。それから紐《ひも》が何だか変ったやうだよ。前は右足だったが、今度は左脚に結《ゆは》ひつけられて、それに紐の色が赤いんだ。けれどもたゞひとついゝことは、みんな大抵寝てしまったんだ。さっきまで穂吉さんの眼を指で突っつかうとした子供などは、腹かけだけして、大の字になって寝てゐるよ。」
 穂吉のお母さんの梟は、まるで火がついたやうに声をあげて泣きました。それにつれて林中の女のふくろふがみなしいんしいんと泣きました。
 梟の坊さんは、じっと星ぞらを見あげて、それからしづかにたづねました。
「この世界は全くこの通りぢゃ。たゞもうみんなかなしいことばかりなのぢゃ。どうして又あんなおとなしい子が、人につかまるやうな処《ところ》に出たもんぢゃらうなあ。」
 説教の木のとなりに居た鼠《ねずみ》いろの梟は恭々しく答へました。
「今朝あけ方近くなってから、兄弟三人で出掛けたさうでございます。いつも人の来るやうな処ではなかったのでございます。そのうち朝日が出ましたので、眩《まぶ》しさに三疋とも、しばらく眼を瞑《つぶ》ってゐたさうでございます。すると、丁度子供が二人、草刈りに来て居ましたさうで、穂吉もそれを知らないうちに、一人がそっとのぼって来て、穂吉の足を捉《つか》まへてしまったと申します。」
「あゝあはれなことぢゃ、ふびんなはなしぢゃ、あんなおとなしいいゝ子でも、何の因果ぢゃやら。できるなればわしなどで代ってやりたいぢゃ。」
 林はまたしいんとなりました。しばらくたって、またばたばたと一疋の梟が飛んで戻って参りました。
「穂吉さんはね、臼の上をあるいてゐたよ。あの赤の紐を引き裂かうとしてゐたやうだったけれど、なかなか容易ぢゃないんだ。私はもう、どこか隙間《すきま》から飛び込んで行って、手伝ってあげようと、何べんも何べんも家のまはりを飛んで見たけれど、どこにもあいてる所はないんだらう。ほんたうに可哀さうだねえ、穂吉さんは、けれども泣いちゃゐないよ。」
 梟のお母さんが、大きな眼を泣いてまぶしさうにしょぼしょぼしながら訊《たづ》ねました。
「あの家に猫《ねこ》は居ないやうでございましたか。」
「えゝ、猫は居なかったやうですよ。きっと居ないんです。ずゐぶん暫《しば》らく、私はのぞいてゐたんですけれど、たうとう見えなかったのですから。」
「そんならまあ安心でございます。ほんたうにみなさまに飛んだご迷惑をかけてお申し訳けもございません。みんな穂吉の不注意からでございます。」
「いゝえ、いゝえ、そんなことはありません。あんな賢いお子さんでも災難といふものは仕方ありません。」
 林中の女のふくろふがまるで口口に答へました。その音は二町ばかり西の方の大きな藁屋根《わらやね》の中に捕はれてゐる穂吉の処《ところ》まで、ほんのかすかにでしたけれども聞えたのです。
 ふくろふのおぢいさんが度々声がかすれながらふ
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