といふ、善業悪業あるぢゃ。こゝでは悪業といふ。その事柄を次にあげなされたぢゃ。或は夜陰を以て、小禽《せうきん》の家に至ると。みなの衆、他人事《ひとごと》ではないぞよ。よくよく自《みづか》らの胸にたづねて見なされ。夜陰とは夜のくらやみぢゃ。以てとは、これは乗じてといふがやうの意味ぢゃ。夜のくらやみに乗じてと、斯うぢゃ。小禽の家に至る。小禽とは、雀《すずめ》、山雀《やまがら》、四十雀《しじふから》、ひは、百舌《もず》、みそさざい、かけす、つぐみ、すべて形小にして、力ないものは、みな小禽ぢゃ。その形小さく力無い鳥の家に参るといふのぢゃが、参るといふてもたゞ訪ねて参るでもなければ、遊びに参るでもないぢゃ、内に深く残忍の想を潜め、外又恐るべく悲しむべき夜叉相《やしゃさう》を浮べ、密《ひそ》やかに忍んで参ると斯《か》う云ふことぢゃ。このご説法のころは、われらの心も未だ仲々善心もあったぢゃ、小禽《せうきん》の家に至るとお説きなされば、はや聴法の者、みな慄然《りつぜん》として座に耐へなかったぢゃ。今は仲々さうでない。今ならば疾翔大力《しっしょうたいりき》さま、まだまだ強く烈《はげ》しくご説法であらうぞ
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