ばだったよ。」
楢ノ木学士は手を叩《たた》く。
「ははあ、わかった。ホンブレンさまと、一人はホ※[#小書き片仮名ル、1−6−92]ンブレンドだ。すると相手は誰だろう。わからんなあ。けれども、ふふん、こいつは面白《おもしろ》い。いよいよ今日も問答がはじまった。しめ、しめ、これだから野宿はやめられん。」
大学士は煙草《たばこ》を新らしく
一本出してマッチをする
声はいよいよ高くなる。
もっともいくら高くても
せいぜい蚊《か》の軍歌ぐらいだ。
「それはたしかにその通りさ、けれどもそれに対してお前は何と答えたね。いいえ、そいつは困ります、どうかほかのお方とご相談下さいと斯《こ》んなに立派にはねつけたろう。」
「おや、とにかくさ。それでもお前はかまわず僕の足さきにとりついたんだよ。まあ、そんなこと出来たもんだろうかね。もっとも誰かさんはできたようさ。」
「あてこするない。とりついたんじゃないよ。お前の足が僕の体骼の頭のとこにあったんだよ。僕はお前よりももっと前に生れたジッコさんを頼《たの》んだんだよ。今だって僕はジッコさんは大事に大事にしてあげてるんだ。」
大学士はよろこんで笑い出す。
「はっはっは、ジッコさんというのは磁鉄鉱だね、もうわかったさ、喧嘩《けんか》の相手はバイオタイトだ。して見るとなんでもこの辺にさっきの花崗岩《かこうがん》のかけらがあるね、そいつの中の鉱物がかやかや物を云ってるんだね。」
なるほど大学士の頭の下に
支那《しな》の六銭銀貨のくらいの
みかげのかけらが落ちていた。
学士はいよいよにこにこする。
「そうかい。そんならいいよ。お前のような恩知らずは早く粘土《ねんど》になっちまえ。」
「おや、呪《のろ》いをかけたね。僕も引《ひ》っ込んじゃいないよ。さあ、お前のような、」
「一寸《ちょっと》お待ちなさい。あなた方は一体何をさっきから喧嘩してるんですか。」
新らしい二人の声が
一緒《いっしょ》にはっきり聞え出す。
「オーソクレさん。かまわないで下さい。あんまりこいつがわからないもんですからね。」
「双子《ふたご》さん。どうかかまわないで下さい。あんまりこいつが恩知らずなもんですからね。」
「ははあ、双晶《そうしょう》のオーソクレースが仲裁《ちゅうさい》に入った。これは実におもしろい。」
大学士はたきびに手をあぶり
顔中口にしてよろこんで云う。
二つの声が又《また》聞える。
「まあ、静かになさい。僕《ぼく》たちは実に実に長い間|堅《かた》く堅く結び合ってあのまっくらなまっくらなとこで一緒にまわりからのはげしい圧迫やすてきな強い熱にこらえて来たではありませんか。一時はあまりの熱と力にみんな一緒に気違《きちが》いにでもなりそうなのをじっとこらえて来たではありませんか。」
「そうです、それは全くその通りです。けれども苦しい間は人をたのんで楽になると人をそねむのはぜんたいいい事なんでしょうか。」
「何だって。」
「ちょっと、ちょっと、ちょっとお待ちなさい。ね。そして今やっとお日さまを見たでしょう。そのお日さまも僕たちが前に土の底でコングロメレートから聞いたとは大へんなちがいではありませんか。」
「ええ、それはもうちがってます。コングロメレートのはなしではお日さまはまっかで空は茶いろなもんだと云っていましたが今見るとお日さまはまっ白で空はまっ青です。あの人はうそつきでしたね。」
双子の声が又聞えた。
「さあ、しかしあのコングロメレートという方は前にただの砂利《じゃり》だったころはほんとうに空が茶いろだったかも知れませんね。」
「そうでしょうか。とにかくうそをつくこととひとの恩を仇《あだ》でかえすのとはどっちも悪いことですね。」
「何だと、僕のことを云ってるのかい。よしさあ、僕も覚悟《かくご》があるぞ。決闘《けっとう》をしろ、決闘を。」
「まあ、お待ちなさい。ね、あのお日さまを見たときのうれしかったこと。どんなに僕らは叫《さけ》んだでしょう。千五百万年光というものを知らなかったんだもの。あの時鋼《はがね》の槌《つち》がギギンギギンと僕らの頭にひびいて来ましたね。遠くの方で誰《たれ》かが、ああお前たちもとうとうお日さまの下へ出るよと叫んでいた、もう僕たちの誰と誰とが一緒になって誰と誰とがわかれなければならないか。一向|判《わか》らなかったんですね。さよならさよならってみんな叫びましたねえ。そしたら急にパッと明るくなって僕たちは空へ飛びあがりましたねえ。あの時僕はお日さまの外に何か赤い光るものを見たように思うんですよ。」
「それは僕も見たよ。」
「僕も見たんだよ、何だったろうね、あれは。」
大学士は又笑う。
「それはね、明らかにたがねのさきから出た火花だよ。パチッて云ったろう。そして熱かったろう。」
ところが学士の声などは
鉱物どもに聞えない。
「そんなら僕たちはこれからさきどうなるでしょう。」
双子の声が又聞えた。
「さあ、あんまりこれから愉快《ゆかい》なことでもないようですよ。僕が前にコングロメレートから聞きましたがどうも僕らはこのまま又土の中にうずもれるかそうでなければ砂か粘土かにわかれてしまうだけなようですよ。この小屋の中に居たって安心にもなりません。内に居たって外に居たってたかが二千年もたって見れば結局おんなじことでしょう。」
大学士はすっかりおどろいてしまう。
「実にどうも達観してるね。この小屋の中に居たって外に居たってたかが二千年も経《た》って見れば粘土か砂のつぶになる、実にどうも達観してる。」
その時|俄《にわ》かにピチピチ鳴り
それからバイオタが泣き出した。
「ああ、いた、いた、いた、いた、痛ぁい、いたい。」
「バイオタさん。どうしたの、どうしたの。」
「早くプラジョさんをよばないとだめだ。」
「ははあ、プラジョさんというのはプラジオクレースで青白いから医者なんだな。」
大学士はつぶやいて耳をすます。
「プラジョさん、プラジョさん。プラジョさん。」
「はあい。」
「バイオタさんがひどくおなかが痛がってます。どうか早く診《み》て下さい。」
「はあい、なあにべつだん心配はありません。かぜを引いたのでしょう。」
「ははあ、こいつらは風を引くと腹が痛くなる。それがつまり風化だな。」
大学士は眼鏡《めがね》をはずし
半巾《はんけち》で拭《ふ》いて呟《つぶ》やく。
「プラジョさん。お早くどうか願います。只今《ただいま》気絶をいたしました。」
「はぁい。いまだんだんそっちを向きますから。ようっと。はい、はい。これは、なるほど。ふふん。一寸《ちょっと》脈をお見せ、はい。こんどはお舌、ははあ、よろしい。そして第十八へきかい予備面が痛いと。なるほど、ふんふん、いやわかりました。どうもこの病気は恐《こわ》いですよ。それにお前さんのからだは大地の底に居たときから慢性《まんせい》りょくでい病にかかって大分|軟化《なんか》してますからね、どうも恢復《かいふく》の見込《みこみ》がありません。」
病人はキシキシと泣く。
「お医者さん。私の病気は何でしょう。いつごろ私は死にましょう。」
「さよう、病人が病名を知らなくてもいいのですがまあ蛭石《ひるいし》病の初期ですね、所謂《いわゆる》ふう病の中の一つ。俗にかぜは万病のもとと云いますがね。それから、ええと、も一つのご質問はあなたの命でしたかね。さよう、まあ長くても一万年は持ちません。お気の毒ですが一万年は持ちません。」
「あああ、さっきのホンブレンのやつの呪《のろ》いが利《き》いたんだ。」
「いや、いや。そんなことはない。けだし、風病にかかって土になることはけだしすべて吾人《ごじん》に免《まぬ》かれないことですから。けだし。」
「ああ、プラジョさん。どんな手あてをいたしたらよろしゅうございましょうか。」
「さあ、そう云う工合《ぐあい》に泣いているのは一番よろしくありません。からだをねじってあちこちのへきかいよび面にすきまをつくるのはなおさら、よろしくありません。その他風にあたれば病気のしょうけつを来《きた》します。日にあたれば病勢がつのります。霜《しも》にあたれば病勢が進みます。露《つゆ》にあたれば病状がこう進します。雪にあたれば症状が悪変します。じっとしているのはなおさらよろしくありません。それよりは、その、精神的に眼をつむって観念するのがいいでしょう、わがこの恐《おそ》れるところの死なるものは、そもそも何であるか、その本質はいかん、生死|巌頭《がんとう》に立って、おかしいぞ、はてな、おかしい、はて、これはいかん、あいた、いた、いた、いた、いた、」
「プラジョさん、プラジョさん、しっかりなさい。一体どうなすったのです。」
「うむ、私も、うむ、風病のうち、うむ、うむ。」
「苦しいでしょう、これはほんとうにお気の毒なことになりました。」
「うむ、うむ、いいえ、苦しくありません。うむ。」
「何かお手あていたしましょう。」
「うむ、うむ、実はわたくしも地面の底から、うむ、うむ、大分カオリン病にかかっていた、うむ、オーソクレさん、オーソクレさん。うむ、今こそあなたにも明します。あなたも丁度わたし同様の病気です。うむ。」
「ああ、やっぱりさようでございましたか。全く、全く、全く、実に、実に、あいた、いた、いた、いた。」
そこでホンブレンドの声がした。
「ずいぶん神経|過敏《かびん》な人だ。すると病気でないものは僕とクォーツさんだけだ。」
「うむ、うむ、そのホンブレンもバイオタと同病。」
「あ、いた、いた、いた。」
「おや、おや、どなたもずいぶん弱い。健康なのは僕一人。」
「うむ、うむ、そのクォーツさんもお気の毒ですがクウショウ中の瓦斯《ガス》が病因です。うむ。」
「あいた、いた、いた、いた。た。」
「ずいぶんひどい医者だ。漢方の藪医《やぶい》だな。とうとうみんな風化かな。」
大学士は又新らしく
たばこをくわえてにやにやする。
耳の下では鉱物どもが
声をそろえて叫んでいた。
「あ、いた、いた、いた、いた、た、たた。」
みんなの声はだんだん低く
とうとうしんとしてしまう。
「はてな、みんな死んだのか。あるいは僕だけ聞えなくなったのか。」
大学士はみかげのかけらを
手にとりあげてつくづく見て
パチッと向うの隅《すみ》へ弾《はじ》く。
それから榾《ほだ》を一本くべた。
その時はもうあけ方で
大学士は背嚢《はいのう》から
巻煙草《まきたばこ》を二包み出して
榾のお礼に藁《わら》に置き
背嚢をしょい小屋を出た。
石切場の壁《かべ》はすっかり白く
その西側の面だけに
月のあかりがうつっていた。
野宿第三夜
(どうも少し引き受けようが軽率《けいそつ》だったな。グリーンランドの成金《なりきん》がびっくりする程《ほど》立派な蛋白石《たんぱくせき》などを、二週間でさがしてやろうなんてのは、実際少し軽率だった。
どうも斯《こ》う人の居ない海岸などへ来て、つくづく夕方歩いていると東京のまちのまん中で鼻の赤い連中などを相手にして、いい加減の法螺《ほら》を吹《ふ》いたことが全く情けなくなっちまう。どうだ、この頁岩《けつがん》の陰気《いんき》なこと。全くいやになっちまうな。おまけに海も暗くなったし、なかなか、流紋玻璃《りゅうもんはり》にも出《で》っ会《く》わさない。それに今夜もやっぱり野宿だ。野宿も二晩ぐらいはいいが、三晩となっちゃうんざりするな。けれども、まあ、仕方もないさ。ビスケットのあるうちは、歩いて野宿して、面白《おもしろ》い夢《ゆめ》でも見る分が得というもんだ。)
例の楢《なら》ノ木大学士が
衣嚢《ポケット》に両手を突っ込んで
少しせ中を高くして
つくづく考え込みながら
もう夕方の鼠《ねずみ》いろの
頁岩の波に洗われる
海岸を大股《おおまた》に歩いていた。
全く海は暗くなり
そのほのじろい波がしらだけ
一列、何かけもののように見えたのだ。
いよいよ今日は歩いても
だめだと学士はあきらめて
ぴたっと岩に立ちどまり
しばらく黒い海面と
向うに浮《うか》ぶ腐《くさ》った馬鈴薯《いも》のような雲を
眺《なが》めてい
前へ
次へ
全5ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮沢 賢治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング