草《さくらそう》があるよ、それをお前にやろう。」
「ありがとう、兄さん。」
「やかましい、何をふざけたことを云ってるんだ。」
暴《あら》っぽいラクシャンの第一子が
金粉の怒鳴り声を
夜の空高く吹きあげた。
「ヒームカってなんだ。ヒームカって。
ヒームカって云うのは、あの向うの女の子の山だろう。よわむしめ。あんなものとつきあうのはよせと何べんもおれが云ったじゃないか。ぜんたいおれたちは火から生れたんだぞ青ざめた水の中で生れたやつらとちがうんだぞ。」
ラクシャンの第|四子《しし》は
しょげて首を垂れたが
しずかな直《じ》かの兄が
弟のために長兄をなだめた。
「兄さん。ヒームカさんは血統はいいのですよ。火から生れたのですよ。立派なカンランガンですよ。」
ラクシャンの第一子は
尚更《なおさら》怒って
立派な金粉のどなりを
まるで火のようにあげた。
「知ってるよ。ヒームカはカンランガンさ。火から生れたさ。それはいいよ。けれどもそんなら、一体いつ、おれたちのようにめざましい噴火をやったんだ。あいつは地面まで騰《のぼ》って来る途中《とちゅう》で、もう疲《つか》れてやめてしまったんだ。今こそ地殻《ちかく》ののろのろのぼりや風や空気のおかげで、おれたちと肩《かた》をならべているが、元来おれたちとはまるで生れ付きがちがうんだ。きさまたちには、まだおれたちの仕事がよくわからないのだ。おれたちの仕事はな、地殻の底の底で、とけてとけて、まるでへたへたになった岩漿《がんしょう》や、上から押《お》しつけられて古綿のようにちぢまった蒸気やらを取って来て、いざという瞬間《しゅんかん》には大きな黒い山の塊《かたまり》を、まるで粉々に引き裂《さ》いて飛び出す。
煙《けむり》と火とを固めて空に抛《な》げつける。石と石とをぶっつけ合せていなずまを起す。百万の雷を集めて、地面をぐらぐら云わせてやる。丁度、楢《なら》ノ木大学士というものが、おれのどなりをひょっと聞いて、びっくりして頭をふらふら、ゆすぶったようにだ。ハッハッハ。
山も海もみんな濃《こ》い灰に埋《うず》まってしまう。平らな運動場のようになってしまう。その熱い灰の上でばかり、おれたちの魂《たましい》は舞踏《ぶとう》していい。いいか。もうみんな大さわぎだ。さて、その煙が納まって空気が奇麗《きれい》に澄《す》んだときは、こっちはどうだ、いつかまるで空へ届くくらい高くなって、まるでそんなこともあったかというような顔をして、銀か白金かの冠ぐらいをかぶって、きちんとすましているのだぞ。」
ラクシャンの第三子は
しばらく考えて云う。
「兄さん、私はどうも、そんなことはきらいです。私はそんな、まわりを熱い灰でうずめて、自分だけ一人高くなるようなそんなことはしたくありません。水や空気がいつでも地面を平らにしようとしているでしょう。そして自分でもいつでも低い方低い方と流れて行くでしょう、私はあなたのやり方よりは、却《かえ》ってあの方がほんとうだと思います。」
暴《あら》っぽいラクシャン第一子が
このときまるできらきら笑った。
きらきら光って笑ったのだ。
(こんな不思議な笑いようを
いままでおれは見たことがない、
愕《おどろ》くべきだ、立派なもんだ。)
楢ノ木学士が考えた。
暴っぽいラクシャンの第一子が
ずいぶんしばらく光ってから
やっとしずまって斯《こ》う云った。
「水と空気かい。あいつらは朝から晩まで、俺《おい》らの耳のそば迄《まで》来て、世界の平和の為《ため》に、お前らの傲慢《ごうまん》を削《けず》るとかなんとか云いながら、毎日こそこそ、俺らを擦《こす》って耗《へら》して行くが、まるっきりうそさ。何でもおれのきくとこに依《よ》ると、あいつらは海岸のふくふくした黒土や、美しい緑いろの野原に行って知らん顔をして溝《みぞ》を掘《ほ》るやら、濠《ほり》をこさえるやら、それはどうも実にひどいもんだそうだ。話にも何にもならんというこった。」
ラクシャンの第三子も
つい大声で笑ってしまう。
「兄さん。なんだか、そんな、こじつけみたいな、あてこすりみたいな、芝居《しばい》のせりふのようなものは、一向あなたに似合いませんよ。」
ところがラクシャン第一子は
案外に怒り出しもしなかった。
きらきら光って大声で
笑って笑って笑ってしまった。
その笑い声の洪水《こうずい》は
空を流れて遥《はる》かに遥かに南へ行って
ねぼけた雷《かみなり》のようにとどろいた。
「うん、そうだ、もうあまり、おれたちのがらにもない小理窟《こりくつ》は止《よ》そう。おれたちのお父さんにすまない。お父さんは九つの氷河を持っていらしゃったそうだ。そのころは、ここらは、一面の雪と氷で白熊《しろくま》や雪狐《ゆきぎつね》や、いろいろなけものが居たそうだ。お父さんはおれが生れるときなくなられたのだ。」
俄《にわ》かにラクシャンの末子《まっし》が叫ぶ。
「火が燃えている。火が燃えている。大兄さん。大兄さん。ごらんなさい。だんだん拡《ひろ》がります。」
ラクシャン第一子がびっくりして叫《さけ》ぶ。
「熔岩《ようがん》、用意っ。灰をふらせろ、えい、畜生《ちくしょう》、何だ、野火か。」
その声にラクシャンの第二子が
びっくりして眼《め》をさまし、
その長い顎《あご》をあげて、
眼を釘《くぎ》づけにされたように
しばらく野火をみつめている。
「誰《たれ》かやったのか。誰だ、誰だ、今ごろ。なんだ野火か。地面の挨《ほこり》をさらさらさらっと掃除《そうじ》する、てまえなんぞに用はない。」
するとラクシャンの第一子が
ちょっと意地悪そうにわらい
手をばたばたと振《ふ》って見せて
「石だ、火だ。熔岩だ。用意っ。ふん。」
と叫ぶ。
ばかなラクシャンの第二子が
すぐ釣《つ》り込《こ》まれてあわて出し
顔いろをぽっとほてらせながら
「おい兄貴、一吠《ひとほ》えしようか。」
と斯《こ》う云った。
兄貴はわらう、
「一吠えってもう何十万年を、きさまはぐうぐう寝《ね》ていたのだ。それでもいくらかまだ力が残っているのか」
無精《ぶしょう》な弟は只《ただ》一言《ひとこと》
「ない」
と答えた。
そして又《また》長い顎をうでに載《の》せ、
ぽっかりぽっかり寝てしまう。
しずかなラクシャン第三子が
ラクシャンの第|四子《しし》に云う
「空が大へん軽くなったね、あしたの朝はきっと晴れるよ。」
「ええ今夜は鷹《たか》が出ませんね」
兄は笑って弟を試《ため》す。
「さっきの野火で鷹の子供が焼けたのかな。」
弟は賢《かしこ》く答えた。
「鷹の子供は、もう余程《よほど》、毛も剛《こわ》くなりました。それに仲々強いから、きっと焼けないで遁《に》げたでしょう」
兄は心持よく笑う。
「そんなら結構だ、さあもう兄さんたちはよくおやすみだ。楢《なら》ノ木大学士と云うやつもよく睡《ねむ》っている。さっきから僕等《ぼくら》の夢《ゆめ》を見ているんだぜ。」
するとラクシャン第四子が
ずるそうに一寸《ちょっと》笑ってこう云った。
「そんなら僕一つおどかしてやろう。」
兄のラクシャン第三子が
「よせよせいたずらするなよ」
と止めたが
いたずらの弟はそれを聞かずに
光る大きな長い舌を出して
大学士の額をべろりと嘗《な》めた。
大学士はひどくびっくりして
それでも笑いながら眼をさまし
寒さにがたっと顫《ふる》えたのだ。
いつか空がすっかり晴れて
まるで一面星が瞬《またた》き
まっ黒な四つの岩頸《がんけい》が
ただしくもとの形になり
じっとならんで立っていた。
野宿第二夜
わが親愛な楢《なら》ノ木大学士は
例の長い外套《がいとう》を着て
夕陽《ゆうひ》をせ中に一杯《いっぱい》浴びて
すっかりくたびれたらしく
度々《たびたび》空気に噛《か》みつくような
大きな欠伸《あくび》をやりながら
平らな熊出街道《かくまでいどう》を
すたすた歩いて行ったのだ。
俄《にわ》かに道の右側に
がらんとした大きな石切場が
口をあいてひらけて来た。
学士は咽喉《のど》をこくっと鳴らし
中に入って行きながら
三角の石かけを一つ拾い
「ふん、ここも角閃花崗岩《かくせんかこうがん》」と
つぶやきながらつくづくと
あたりを見れば石切場、
石切りたちも帰ったらしく
小さな笹《ささ》の小屋が一つ
淋《さび》しく隅《すみ》にあるだけだ。
「こいつはうまい。丁度いい。どうもひとのうちの門口《かどぐち》に立って、もしもし今晩は、私は旅の者ですが、日が暮《く》れてひどく困っています。今夜一晩|泊《と》めて下さい。たべ物は持っていますから支度《したく》はなんにも要《い》りませんなんて、へっ、こんなこと云うのは、もう考えてもいやになる。そこで今夜はここへ泊ろう。」
大学士は大きな近眼鏡を
ちょっと直してにやにや笑い
小屋へ入って行ったのだ。
土間には四つの石かけが
炉《ろ》の役目をしその横には
榾《ほだ》もいくらか積んである。
大学士はマッチをすって
火をたき、それからビスケットを出し
もそもそ喰《た》べたり手帳に何か書きつけたり
しばらくの間していたが
おしまいに火をどんどん燃して
ごろりと藁《わら》にねころんだ。
夜中になって大学士は
「うう寒い」
と云いながら
ばたりとはね起きて見たら
もうたきぎが燃え尽《つ》きて
ただのおきだけになっていた。
学士はいそいでたきぎを入れる。
火は赤く愉快《ゆかい》に燃え出し
大学士は胸をひろげて
つくづくとよく暖る。
それから一寸《ちょっと》外へ出た。
二十日の月は東にかかり
空気は水より冷たかった、
学士はしばらく足踏《あしぶ》みをし
それからたばこを一本くわえマッチをすって
「ふん、実にしずかだ、夜あけまでまだ三時間半あるな。」
つぶやきながら小屋に入った。
ぼんやりたき火をながめながら
わらの上に横になり
手を頭の上で組み
うとうとうとうとした。
突然《とつぜん》頭の下のあたりで
小さな声で物を云い合ってるのが聞えた。
「そんなに肱《ひじ》を張らないでお呉《く》れ。おれの横の腹に病気が起るじゃないか。」
「おや、変なことを云うね、一体いつ僕《ぼく》が肱を張ったね」
「そんなに張っているじゃないか、ほんとうにお前この頃《ごろ》湿気《しっけ》を吸ったせいかひどくのさばり出して来たね」
「おやそれは私のことだろうか。お前のことじゃなかろうかね、お前もこの頃は頭でみりみり私を押《お》しつけようとするよ。」
大学士は眼《め》を大きく開き
起き上ってその辺を見まわしたが
誰《た》れも居《お》らない様だった。
声はだんだん高くなる。
「何がひどいんだよ。お前こそこの頃はすこしばかり風を呑《の》んだせいか、まるで人が変ったように意地悪になったね。」
「はてね、少しぐらい僕が手足をのばしたってそれをとやこうお前が云うのかい。十万二千年|昔《むかし》のことを考えてごらん。」
「十万何千年前とかがどうしたの。もっと前のことさ、十万百万千万年、千五百の万年の前のあの時をお前は忘れてしまっているのかい。まさか忘れはしないだろうがね。忘れなかったら今になって、僕の横腹を肱で押すなんて出来た義理かい。」
大学士はこの語《ことば》を聞いて
すっかり愕《おど》ろいてしまう。
「どうも実に記憶《きおく》のいいやつらだ。ええ、千五百の万年の前のその時をお前は忘れてしまっているのかい。まさか忘れはしないだろうがね、ええ。これはどうも実に恐《おそ》れ入ったね、いったい誰だ。変に頭のいいやつは。」
大学士は又そろそろと起きあがり
あたりをさがすが何もない。
声はいよいよ高くなる。
「それはたしかに、あなたは僕の先輩《せんぱい》さ。けれどもそれがどうしたの。」
「どうしたのじゃないじゃないか。僕がやっと体骼《たいかく》と人格を完成してほっと息をついてるとお前がすぐ僕の足もとでどんな声をしたと思うね。こんな工合《ぐあい》さ。もし、ホンブレンさま、ここの所で私もちっとばかり延びたいと思いまする。どうかあなたさまのおみあしさきにでも一寸取りつかせて下さいませ。まあこういうお前のこと
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