こでおれは探し出すつもりだったんだ。なるほど、はじめてはっきりしたぞ。さあ探せ、恐竜の骨骼だ。恐竜の骨骼だ。」
学士の影《かげ》は
黒く頁岩の上に落ち
大股《おおまた》に歩いていたから
踊《おど》っているように見えた。
海はもの凄《すご》いほど青く
空はそれより又青く
幾《いく》きれかのちぎれた雲が
まばゆくそこに浮いていた。
「おや出たぞ。」
楢《なら》ノ木大学士が叫《さけ》び出した。
その灰いろの頁岩の
平らな奇麗《きれい》な層面に
直径が一|米《メートル》ばかりある
五本指の足あとが
深く喰《く》い込《こ》んでならんでいる。
所々上の岩のために
かくれているが足裏の
皺《しわ》まではっきりわかるのだ。
「さあ、見附《みつ》けたぞ。この足跡《あしあと》の尽《つ》きた所には、きっとこいつが倒《たお》れたまま化石している。巨きな骨だぞ。まず背骨なら二十米はあるだろう。巨きなもんだぞ。」
大学士はまるで雀躍《こおどり》して
その足あとをつけて行く。
足跡はずいぶん続き
どこまで行くかわからない。
それに太陽の光線は赭《あか》く
たいへん足が疲れたのだ。
どうもおかしいと思いながら
ふと気がついて立ちどまったら
なんだか足が柔《やわ》らかな
泥《どろ》に吸われているようだ。
堅《かた》い頁岩《けつがん》の筈《はず》だったと思って
楢ノ木大学士はうしろを向いた。
そしたら全く愕《おどろ》いた。
さっきから一心に跡《つ》けて来た
巨きな、蟇《がま》の形の足あとは
なるほどずうっと大学士の
足もとまでつづいていて
それから先ももっと続くらしかったが
も一つ、どうだ、大学士の
銀座でこさえた長靴《ながぐつ》の
あともぞろっとついていた。
「こいつはひどい。我輩《わがはい》の足跡までこんなに深く入るというのは実際少し恐《おそ》れ入った。けれどもそれでも探求の目的を達することは達するな。少し歩きにくいだけだ。さあもう斯《こ》うなったらどこまでだって追って行くぞ。」
学士はいよいよ大股《おおまた》に
その足跡をつけて行った。
どかどか鳴るものは心臓
ふいごのようなものは呼吸、
そんなに一生けん命だったが
又そんなにあたりもしずかだった。
大学士はふと波打ぎわを見た。
涛《なみ》がすっかりしずまっていた。
たしかにさっきまで
寄せて吠《ほ》えて砕《くだ》けていた涛が
いつかすっかりしずまっていた。
「こいつは変だ。おまけにずいぶん暑いじゃないか。」
大学士はあおむいて空を見る。
太陽はまるで熟した苹果《りんご》のようで
そこらも無暗《むやみ》に赤かった。
「ずいぶんいやな天気になった。それにしてもこの太陽はあんまり赤い。きっとどこかの火山が爆発《ばくはつ》をやった。その細かな火山灰が正しく上層の気流に混じて地球を包囲しているな。けれどもそれだからと云って我輩のこの追跡には害にならない。もうこの足あとの終るところにあの途方《とほう》もない爬虫《はちゅう》の骨がころがってるんだ。我輩はその地点を記録する。もう一足だぞ。」
大学士はいよいよ勢《いきおい》こんで
その足跡をつけて行く。
ところが間もなく泥浜は
岬《みさき》のように突《つ》き出した。
「さあ、ここを一つ曲って見ろ。すぐ向う側にその骨がある。けれども事によったらすぐないかも知れない。すぐなかったらも少し追って行けばいい。それだけのことだ。」
大学士はにこにこ笑い
立ちどまって巻煙草《まきたばこ》を出し
マッチを擦《す》って煙《けむり》を吐《は》く。
それからわざと顔をしかめ
ごくおうように大股《おおまた》に
岬をまわって行ったのだ。
ところがどうだ名高い楢《なら》ノ木大学士が
釘付《くぎづ》けにされたように立ちどまった。
その眼《め》は空《むな》しく大きく開き
その膝《ひざ》は堅くなってやがてふるえ出し
煙草もいつか泥に落ちた。
青ぞらの下、向うの泥の浜の上に
その足跡の持ち主の
途方もない途方もない雷竜《らいりゅう》氏が
いやに細長い頸《くび》をのばし
汀《なぎさ》の水を呑《の》んでいる。
長さ十間、ざらざらの
鼠《ねずみ》いろの皮の雷竜が
短い太い足をちぢめ
厭《いや》らしい長い頸をのたのたさせ
小さな赤い眼を光らせ
チュウチュウ水を呑んでいる。
あまりのことに楢ノ木大学士は
頭がしいんとなってしまった。
「一体これはどうしたのだ。中生代に来てしまったのか。中生代がこっちの方へやって来たのか。ああ、どっちでもおんなじことだ。とにかくあすこに雷竜《らいりゅう》が居て、こっちさえ見ればかけて来る。大学士も魚も同じことだ。見るなよ、見るなよ。僕はいま、ごくこっそりと戻《もど》るから。どうかしばらく、こっちを向いちゃいけないよ。」
いまや楢《なら》ノ木大学士は
そろりそろりと後退《あとずさ》りし
前へ
次へ
全11ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮沢 賢治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング