ガス》が病因です。うむ。」
「あいた、いた、いた、いた。た。」
「ずいぶんひどい医者だ。漢方の藪医《やぶい》だな。とうとうみんな風化かな。」
大学士は又新らしく
たばこをくわえてにやにやする。
耳の下では鉱物どもが
声をそろえて叫んでいた。
「あ、いた、いた、いた、いた、た、たた。」
みんなの声はだんだん低く
とうとうしんとしてしまう。
「はてな、みんな死んだのか。あるいは僕だけ聞えなくなったのか。」
大学士はみかげのかけらを
手にとりあげてつくづく見て
パチッと向うの隅《すみ》へ弾《はじ》く。
それから榾《ほだ》を一本くべた。
その時はもうあけ方で
大学士は背嚢《はいのう》から
巻煙草《まきたばこ》を二包み出して
榾のお礼に藁《わら》に置き
背嚢をしょい小屋を出た。
石切場の壁《かべ》はすっかり白く
その西側の面だけに
月のあかりがうつっていた。

   野宿第三夜

(どうも少し引き受けようが軽率《けいそつ》だったな。グリーンランドの成金《なりきん》がびっくりする程《ほど》立派な蛋白石《たんぱくせき》などを、二週間でさがしてやろうなんてのは、実際少し軽率だった。
 どうも斯《こ》う人の居ない海岸などへ来て、つくづく夕方歩いていると東京のまちのまん中で鼻の赤い連中などを相手にして、いい加減の法螺《ほら》を吹《ふ》いたことが全く情けなくなっちまう。どうだ、この頁岩《けつがん》の陰気《いんき》なこと。全くいやになっちまうな。おまけに海も暗くなったし、なかなか、流紋玻璃《りゅうもんはり》にも出《で》っ会《く》わさない。それに今夜もやっぱり野宿だ。野宿も二晩ぐらいはいいが、三晩となっちゃうんざりするな。けれども、まあ、仕方もないさ。ビスケットのあるうちは、歩いて野宿して、面白《おもしろ》い夢《ゆめ》でも見る分が得というもんだ。)
例の楢《なら》ノ木大学士が
衣嚢《ポケット》に両手を突っ込んで
少しせ中を高くして
つくづく考え込みながら
もう夕方の鼠《ねずみ》いろの
頁岩の波に洗われる
海岸を大股《おおまた》に歩いていた。
全く海は暗くなり
そのほのじろい波がしらだけ
一列、何かけもののように見えたのだ。
いよいよ今日は歩いても
だめだと学士はあきらめて
ぴたっと岩に立ちどまり
しばらく黒い海面と
向うに浮《うか》ぶ腐《くさ》った馬鈴薯《いも》のような雲を
眺《なが》めていたが、又《また》ポケットから
煙草《たばこ》を出して火をつけた。
それからくるっと振《ふ》り向いて
陸の方をじっと見定めて
急いでそっちへ歩いて行った。
そこには低い崖《がけ》があり
崖の脚《あし》には多分は涛《なみ》で
削《けず》られたらしい小さな洞《ほら》があったのだ。
大学士はにこにこして
中へはいって背嚢《はいのう》をとる。
それからまっくらなとこで
もしゃもしゃビスケットを喰《た》べた。
ずうっと向うで一列涛が鳴るばかり。
「ははあ、どうだ、いよいよ宿がきまって腹もできると野宿もそんなに悪くない。さあ、もう一服やって寝《ね》よう。あしたはきっとうまく行く。その夢を今夜見るのも悪くない。」
大学士の吸う巻煙草が
ポツンと赤く見えるだけ、
「斯《こ》う納まって見ると、我輩《わがはい》もさながら、洞熊《ほらくま》か、洞窟《どうくつ》住人だ。ところでもう寝よう。
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闇《やみ》の向うで
涛がぼとぼと鳴るばかり
鳥も啼《な》かなきゃ
洞をのぞきに人も来ず、と。ふん、斯《こ》んなあんばいか。寝ろ、寝ろ。」
[#ここで字下げ終わり]
大学士はすぐとろとろする
疲《つか》れて睡《ねむ》れば夢も見ない
いつかすっかり夜が明けて
昨夜の続きの頁岩《けつがん》が
青白くぼんやり光っていた。
大学士はまるでびっくりして
急いで洞を飛び出した。
あわてて帽子《ぼうし》を落しそうになり
それを押《おさ》えさえもした。
「すっかり寝過ごしちゃった。ところでおれは一体何のために歩いているんだったかな。ええと、よく思い出せないぞ。たしかに昨日《きのう》も一昨日《おととい》も人の居ない処《ところ》をせっせと歩いていたんだが。いや、もっと前から歩いていたぞ。もう一年も歩いているぞ。その目的はと、はてな、忘れたぞ。こいつはいけない。目的がなくて学者が旅行をするということはない、必ず目的があるのだ。化石じゃなかったかな。ええと、どうか第三紀の人類に就《つ》いてお調べを願います、と、誰《たれ》か云ったようだ。いいや、そうじゃない、白堊紀《はくあき》の巨《おお》きな爬虫《はちゅう》類の骨骼《こっかく》を博物館の方から頼まれてあるんですがいかがでございましょう、一つお探しを願われますまいかと、斯うじゃなかったかな。斯うだ、斯うだ、ちがいない。さあ、ところでここは白堊系の頁岩だ。もうこ
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