な》めた。
大学士はひどくびっくりして
それでも笑いながら眼をさまし
寒さにがたっと顫《ふる》えたのだ。
いつか空がすっかり晴れて
まるで一面星が瞬《またた》き
まっ黒な四つの岩頸《がんけい》が
ただしくもとの形になり
じっとならんで立っていた。

   野宿第二夜

わが親愛な楢《なら》ノ木大学士は
例の長い外套《がいとう》を着て
夕陽《ゆうひ》をせ中に一杯《いっぱい》浴びて
すっかりくたびれたらしく
度々《たびたび》空気に噛《か》みつくような
大きな欠伸《あくび》をやりながら
平らな熊出街道《かくまでいどう》を
すたすた歩いて行ったのだ。
俄《にわ》かに道の右側に
がらんとした大きな石切場が
口をあいてひらけて来た。
学士は咽喉《のど》をこくっと鳴らし
中に入って行きながら
三角の石かけを一つ拾い
「ふん、ここも角閃花崗岩《かくせんかこうがん》」と
つぶやきながらつくづくと
あたりを見れば石切場、
石切りたちも帰ったらしく
小さな笹《ささ》の小屋が一つ
淋《さび》しく隅《すみ》にあるだけだ。
「こいつはうまい。丁度いい。どうもひとのうちの門口《かどぐち》に立って、もしもし今晩は、私は旅の者ですが、日が暮《く》れてひどく困っています。今夜一晩|泊《と》めて下さい。たべ物は持っていますから支度《したく》はなんにも要《い》りませんなんて、へっ、こんなこと云うのは、もう考えてもいやになる。そこで今夜はここへ泊ろう。」
大学士は大きな近眼鏡を
ちょっと直してにやにや笑い
小屋へ入って行ったのだ。
土間には四つの石かけが
炉《ろ》の役目をしその横には
榾《ほだ》もいくらか積んである。
大学士はマッチをすって
火をたき、それからビスケットを出し
もそもそ喰《た》べたり手帳に何か書きつけたり
しばらくの間していたが
おしまいに火をどんどん燃して
ごろりと藁《わら》にねころんだ。
夜中になって大学士は
「うう寒い」
と云いながら
ばたりとはね起きて見たら
もうたきぎが燃え尽《つ》きて
ただのおきだけになっていた。
学士はいそいでたきぎを入れる。
火は赤く愉快《ゆかい》に燃え出し
大学士は胸をひろげて
つくづくとよく暖る。
それから一寸《ちょっと》外へ出た。
二十日の月は東にかかり
空気は水より冷たかった、
学士はしばらく足踏《あしぶ》みをし
それからたばこを一本くわえマッチをすって
「ふん、実にしずかだ、夜あけまでまだ三時間半あるな。」
つぶやきながら小屋に入った。
ぼんやりたき火をながめながら
わらの上に横になり
手を頭の上で組み
うとうとうとうとした。
突然《とつぜん》頭の下のあたりで
小さな声で物を云い合ってるのが聞えた。
「そんなに肱《ひじ》を張らないでお呉《く》れ。おれの横の腹に病気が起るじゃないか。」
「おや、変なことを云うね、一体いつ僕《ぼく》が肱を張ったね」
「そんなに張っているじゃないか、ほんとうにお前この頃《ごろ》湿気《しっけ》を吸ったせいかひどくのさばり出して来たね」
「おやそれは私のことだろうか。お前のことじゃなかろうかね、お前もこの頃は頭でみりみり私を押《お》しつけようとするよ。」
大学士は眼《め》を大きく開き
起き上ってその辺を見まわしたが
誰《た》れも居《お》らない様だった。
声はだんだん高くなる。
「何がひどいんだよ。お前こそこの頃はすこしばかり風を呑《の》んだせいか、まるで人が変ったように意地悪になったね。」
「はてね、少しぐらい僕が手足をのばしたってそれをとやこうお前が云うのかい。十万二千年|昔《むかし》のことを考えてごらん。」
「十万何千年前とかがどうしたの。もっと前のことさ、十万百万千万年、千五百の万年の前のあの時をお前は忘れてしまっているのかい。まさか忘れはしないだろうがね。忘れなかったら今になって、僕の横腹を肱で押すなんて出来た義理かい。」
大学士はこの語《ことば》を聞いて
すっかり愕《おど》ろいてしまう。
「どうも実に記憶《きおく》のいいやつらだ。ええ、千五百の万年の前のその時をお前は忘れてしまっているのかい。まさか忘れはしないだろうがね、ええ。これはどうも実に恐《おそ》れ入ったね、いったい誰だ。変に頭のいいやつは。」
大学士は又そろそろと起きあがり
あたりをさがすが何もない。
声はいよいよ高くなる。
「それはたしかに、あなたは僕の先輩《せんぱい》さ。けれどもそれがどうしたの。」
「どうしたのじゃないじゃないか。僕がやっと体骼《たいかく》と人格を完成してほっと息をついてるとお前がすぐ僕の足もとでどんな声をしたと思うね。こんな工合《ぐあい》さ。もし、ホンブレンさま、ここの所で私もちっとばかり延びたいと思いまする。どうかあなたさまのおみあしさきにでも一寸取りつかせて下さいませ。まあこういうお前のこと
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