双子の星
宮沢賢治
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)天《あま》の川《がわ》の
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一晩|銀笛《ぎんてき》を
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)くびくび[#「くびくび」に傍点]
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双子の星 一
天《あま》の川《がわ》の西の岸にすぎなの胞子《ほうし》ほどの小さな二つの星が見えます。あれはチュンセ童子とポウセ童子という双子のお星さまの住んでいる小さな水精《すいしょう》のお宮です。
このすきとおる二つのお宮は、まっすぐに向い合っています。夜は二人とも、きっとお宮に帰って、きちんと座《すわ》り、空の星めぐりの歌に合せて、一晩|銀笛《ぎんてき》を吹《ふ》くのです。それがこの双子のお星様の役目でした。
ある朝、お日様がカツカツカツと厳《おごそ》かにお身体《からだ》をゆすぶって、東から昇《のぼ》っておいでになった時、チュンセ童子は銀笛を下に置いてポウセ童子に申しました。
「ポウセさん。もういいでしょう。お日様もお昇りになったし、雲もまっ白に光っています。今日は西の野原の泉へ行きませんか。」
ポウセ童子が、まだ夢中《むちゅう》で、半分|眼《め》をつぶったまま、銀笛を吹いていますので、チュンセ童子はお宮から下りて、沓《くつ》をはいて、ポウセ童子のお宮の段にのぼって、もう一度|云《い》いました。
「ポウセさん。もういいでしょう。東の空はまるで白く燃えているようですし、下では小さな鳥なんかもう目をさましている様子です。今日は西の野原の泉へ行きませんか。そして、風車《かざぐるま》で霧《きり》をこしらえて、小さな虹《にじ》を飛ばして遊ぼうではありませんか。」
ポウセ童子はやっと気がついて、びっくりして笛を置いて云いました。
「あ、チュンセさん。失礼いたしました。もうすっかり明るくなったんですね。僕《ぼく》今すぐ沓をはきますから。」
そしてポウセ童子は、白い貝殻《かいがら》の沓をはき、二人は連れだって空の銀の芝原《しばはら》を仲よく歌いながら行きました。
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「お日さまの、
お通りみちを はき浄《きよ》め、
ひかりをちらせ あまの白雲。
お日さまの、
お通りみちの 石かけを
深くうずめよ、あまの青雲。」
そしてもういつか空の泉に来ました。
[#ここで字下げ終わり]
この泉は霽《は》れた晩には、下からはっきり見えます。天の川の西の岸から、よほど離《はな》れた処《ところ》に、青い小さな星で円くかこまれてあります。底は青い小さなつぶ石でたいらにうずめられ、石の間から奇麗《きれい》な水が、ころころころころ湧《わ》き出して泉の一方のふちから天の川へ小さな流れになって走って行きます。私共の世界が旱《ひでり》の時、瘠《や》せてしまった夜鷹《よだか》やほととぎすなどが、それをだまって見上げて、残念そうに咽喉《のど》をくびくび[#「くびくび」に傍点]させているのを時々見ることがあるではありませんか。どんな鳥でもとてもあそこまでは行けません。けれども、天《てん》の大烏《おおがらす》の星や蠍《さそり》の星や兎《うさぎ》の星ならもちろんすぐ行けます。
「ポウセさんまずここへ滝《たき》をこしらえましょうか。」
「ええ、こしらえましょう。僕石を運びますから。」
チュンセ童子が沓をぬいで小流れの中に入り、ポウセ童子は岸から手ごろの石を集めはじめました。
今は、空は、りんごのいい匂《におい》いで一杯《いっぱい》です。西の空に消え残った銀色のお月様が吐《は》いたのです。
ふと野原の向うから大きな声で歌うのが聞えます。
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「あまのがわの にしのきしを、
すこしはなれたそらの井戸。
みずはころろ、そこもきらら、
まわりをかこむあおいほし。
夜鷹ふくろう、ちどり、かけす、
来よとすれども、できもせぬ。」
[#ここで字下げ終わり]
「あ、大烏の星だ。」童子たちは一緒《いっしょ》に云いました。
もう空のすすきをざわざわと分けて大烏が向うから肩《かた》をふって、のっしのっしと大股《おおまた》にやって参りました。まっくろなびろうどのマントを着て、まっくろなびろうどの股引《ももひき》をはいて居《お》ります。
大烏は二人を見て立ちどまって丁寧《ていねい》にお辞儀《じぎ》しました。
「いや、今日は。チュンセ童子とポウセ童子。よく晴れて結構ですな。しかしどうも晴れると咽喉が乾《かわ》いていけません。それに昨夜《ゆうべ》は少し高く歌い過ぎましてな。ご免下さい。」と云いながら大烏は泉に頭をつき込《こ》みました。
「どうか構わないで沢山《たくさん》呑《の》んで下さい。」とポウセ童子が云いました。
大烏は息もつかずに三分ばかり咽喉を鳴らして呑んでからやっと顔をあげて一寸《ちょっと》眼をパチパチ云わせてそれからブルルッと頭をふって水を払《はら》いました。
その時向うから暴《あら》い声の歌が又《また》聞えて参りました。大烏は見る見る顔色を変えて身体《からだ》を烈《はげ》しくふるわせました。
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「みなみのそらの、赤眼のさそり
毒ある鉤《かぎ》と 大きなはさみを
知らない者は 阿呆鳥《あほうどり》。」
[#ここで字下げ終わり]
そこで大烏が怒って云いました。
「蠍星《さそりぼし》です。畜生《ちくしょう》。阿呆鳥だなんて人をあてつけてやがる。見ろ。ここへ来たらその赤眼を抜《ぬ》いてやるぞ。」
チュンセ童子が
「大烏さん。それはいけないでしょう。王様がご存じですよ。」という間もなくもう赤い眼の蠍星が向うから二つの大きな鋏《はさみ》をゆらゆら動かし長い尾をカラカラ引いてやって来るのです。その音はしずかな天の野原中にひびきました。
大烏はもう怒ってぶるぶる顫《ふる》えて今にも飛びかかりそうです。双子の星は一生けん命手まねでそれを押《おさ》えました。
蠍は大烏を尻眼《しりめ》にかけてもう泉のふち迄《まで》這《は》って来て云いました。
「ああ、どうも咽喉《のど》が乾いてしまった。やあ双子さん。今日は。ご免なさい。少し水を呑んでやろうかな。はてな、どうもこの水は変に土臭《つちくさ》いぞ。どこかのまっ黒な馬鹿ァが頭をつっ込んだと見える。えい。仕方ない。我慢《がまん》してやれ。」
そして蠍は十分ばかりごくりごくりと水を呑みました。その間も、いかにも大烏を馬鹿にする様に、毒の鉤のついた尾をそちらにパタパタ動かすのです。
とうとう大烏は、我慢し兼ねて羽をパッと開いて叫《さけ》びました。
「こら蠍。貴様はさっきから阿呆鳥だの何だのと俺《おれ》の悪口を云ったな。早くあやまったらどうだ。」
蠍がやっと水から頭をはなして、赤い眼をまるで火が燃えるように動かしました。
「へん。誰《たれ》か何か云ってるぜ。赤いお方だろうか。鼠色《ねずみいろ》のお方だろうか。一つ鉤をお見舞《みまい》しますかな。」
大烏はかっとして思わず飛びあがって叫びました。
「何を。生意気な。空の向う側へまっさかさまに落してやるぞ。」
蠍も怒って大きなからだをすばやくひねって尾の鉤を空に突《つ》き上げました。大烏は飛びあがってそれを避《さ》け今度はくちばしを槍《やり》のようにしてまっすぐに蠍の頭をめがけて落ちて来ました。
チュンセ童子もポウセ童子もとめるすきがありません。蠍は頭に深い傷を受け、大烏は胸を毒の鉤でさされて、両方ともウンとうなったまま重なり合って気絶してしまいました。
蠍の血がどくどく空に流れて、いやな赤い雲になりました。
チュンセ童子が急いで沓《くつ》をはいて、申しました。
「さあ大変だ。大烏には毒がはいったのだ。早く吸いとってやらないといけない。ポウセさん。大烏をしっかり押えていて下さいませんか。」
ポウセ童子も沓をはいてしまっていそいで大烏のうしろにまわってしっかり押えました。チュンセ童子が大烏の胸の傷口に口をあてました。ポウセ童子が申しました。
「チュンセさん。毒を呑んではいけませんよ。すぐ吐き出してしまわないといけませんよ。」
チュンセ童子が黙《だま》って傷口から六|遍《ぺん》ほど毒のある血を吸ってはき出しました。すると大烏がやっと気がついて、うすく目を開いて申しました。
「あ、どうも済みません。私はどうしたのですかな。たしか野郎をし止めたのだが。」
チュンセ童子が申しました。
「早く流れでその傷口をお洗いなさい。歩けますか。」
大烏はよろよろ立ちあがって蠍を見て又|身体《からだ》をふるわせて云いました。
「畜生。空の毒虫め。空で死んだのを有り難《がた》いと思え。」
二人は大烏を急いで流れへ連れて行きました。そして奇麗《きれい》に傷口を洗ってやって、その上、傷口へ二三度|香《かぐわ》しい息を吹きかけてやって云いました。
「さあ、ゆるゆる歩いて明るいうちに早くおうちへお帰りなさい。これからこんな事をしてはいけません。王様はみんなご存じですよ。」
大烏はすっかり悄気《しょげ》て翼《つばさ》を力なく垂れ、何遍もお辞儀をして
「ありがとうございます。ありがとうございます。これからは気をつけます。」と云いながら脚《あし》を引きずって銀のすすきの野原を向うへ行ってしまいました。
二人は蠍を調べて見ました。頭の傷はかなり深かったのですがもう血がとまっています。二人は泉の水をすくって、傷口にかけて奇麗に洗いました。そして交《かわ》る交《がわ》るふっふっと息をそこへ吹き込みました。
お日様が丁度空のまん中においでになった頃《ころ》蠍はかすかに目を開きました。
ポウセ童子が汗をふきながら申しました。
「どうですか気分は。」
蠍がゆるく呟《つぶや》きました。
「大烏めは死にましたか。」
チュンセ童子が少し怒って云いました。
「まだそんな事を云うんですか。あなたこそ死ぬ所でした。さあ早くうちへ帰る様に元気をお出しなさい。明るいうちに帰らなかったら大変ですよ。」
蠍が目を変に光らして云いました。
「双子さん。どうか私を送って下さいませんか。お世話の序《ついで》です。」
ポウセ童子が云いました。
「送ってあげましょう。さあおつかまりなさい。」
チュンセ童子も申しました。
「そら、僕にもおつかまりなさい。早くしないと明るいうちに家に行けません。そうすると今夜の星めぐりが出来なくなります。」
蠍《さそり》は二人につかまってよろよろ歩き出しました。二人の肩《かた》の骨は曲りそうになりました。実に蠍のからだは重いのです。大きさから云っても童子たちの十倍位はあるのです。
けれども二人は顔をまっ赤にしてこらえて一足ずつ歩きました。
蠍は尾をギーギーと石ころの上に引きずっていやな息をはあはあ吐いてよろりよろりとあるくのです。一時間に十町とも進みません。
もう童子たちは余り重い上に蠍の手がひどく食い込《こ》んで痛いので、肩や胸が自分のものかどうかもわからなくなりました。
空の野原はきらきら白く光っています。七つの小流れと十の芝原《しばはら》とを過ぎました。
童子たちは頭がぐるぐるしてもう自分が歩いているのか立っているのかわかりませんでした。それでも二人は黙ってやはり一足ずつ進みました。
さっきから六時間もたっています。蠍の家まではまだ一時間半はかかりましょう。もうお日様が西の山にお入りになる所です。
「もう少し急げませんか。私らも、もう一時間半のうちにおうちへ帰らないといけないんだから。けれども苦しいんですか。大変痛みますか。」とポウセ童子が申しました。
「へい。も少しでございます。どうかお慈悲《じひ》でございます。」と蠍が泣きました。
「ええ。も少しです。傷は痛みますか。」とチュンセ童子が肩の骨の砕《くだ》けそうなのをじっとこらえて申しました。
お日様がもうサッサッサッと三遍|厳《おごそ》かにゆらいで西の山にお沈《しず》みになりました。
「もう僕《ぼく》らは帰らないといけない。困ったな。ここ
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