快なのはまっすぐに行ってぐるっと円を描いてまっすぐにかえる位ゆっくりカーブを切るときだ。まるでからだの油がねとねとするぞ。さて、お前は天からの追放の書き付けを持って来たろうな。早く出せ。」
 二人は顔を見合せました。チュンセ童子が
「僕らはそんなもの持たない。」と申しました。
 すると鯨《くじら》が怒って水を一つぐうっと口から吐《は》きました。ひとではみんな顔色を変えてよろよろしましたが二人はこらえてしゃんと立っていました。
 鯨が怖《こわ》い顔をして云いました。
「書き付けを持たないのか。悪党め。ここに居るのはどんな悪いことを天上でして来たやつでも書き付けを持たなかったものはないぞ。貴様らは実にけしからん。さあ。呑んでしまうからそう思え。いいか。」鯨は口を大きくあけて身構えしました。ひとでや近所の魚は巻き添《ぞ》えを食っては大変だと泥の中にもぐり込んだり一もくさんに逃げたりしました。
 その時向うから銀色の光がパッと射《さ》して小さな海蛇《うみへび》がやって来ます。くじらは非常に愕《おど》ろいたらしく急いで口を閉めました。
 海蛇は不思議そうに二人の頭の上をじっと見て云いました。
「あなた方はどうしたのですか。悪いことをなさって天から落とされたお方ではないように思われますが。」
 鯨が横から口を出しました。
「こいつらは追放の書き付けも持ってませんよ。」
 海蛇が凄《すご》い目をして鯨をにらみつけて云いました。
「黙《だま》っておいで。生意気な。このお方がたをこいつらなんてお前がどうして云えるんだ。お前には善《よ》い事をしていた人の頭の上の後光が見えないのだ。悪い事をしたものなら頭の上に黒い影法師《かげぼうし》が口をあいているからすぐわかる。お星さま方。こちらへお出《い》で下さい。王の所へご案内申しあげましょう。おい、ひとで。あかりをともせ。こら、くじら。あんまり暴れてはいかんぞ。」
 くじらが頭をかいて平伏《へいふく》しました。
 愕ろいた事には赤い光のひとでが幅《はば》のひろい二列にぞろっとならんで丁度街道のあかりのようです。
「さあ、参りましょう。」海蛇は白髪《はくはつ》を振《ふ》って恭々《うやうや》しく申しました。二人はそれに続いてひとでの間を通りました。まもなく蒼《あお》ぐろい水あかりの中に大きな白い城の門があってその扉《と》がひとりでに開いて中から沢山の立派な海蛇が出て参りました。そして双子のお星さまだちは海蛇の王さまの前に導かれました。王様は白い長い髯《ひげ》の生えた老人でにこにこわらって云いました。
「あなた方はチュンセ童子にポウセ童子。よく存じて居ります。あなた方が前にあの空の蠍《さそり》の悪い心を命がけでお直しになった話はここへも伝わって居ります。私はそれをこちらの小学校の読本《とくほん》にも入れさせました。さて今度はとんだ災難で定めしびっくりなさったでしょう。」
 チュンセ童子が申しました。
「これはお語《ことば》誠《まこと》に恐《おそ》れ入ります。私共はもう天上にも帰れませんしできます事ならこちらで何なりみなさまのお役に立ちたいと存じます。」
 王が云いました。
「いやいや、そのご謙遜《けんそん》は恐れ入ります。早速|竜巻《たつまき》に云いつけて天上にお送りいたしましょう。お帰りになりましたらあなたの王様に海蛇めが宜《よろ》しく申し上げたと仰《お》っしゃって下さい。」
 ポウセ童子が悦《よろこ》んで申しました。
「それでは王様は私共の王様をご存じでいらっしゃいますか。」
 王はあわてて椅子《いす》を下って申しました。
「いいえ、それどころではございません。王様はこの私の唯《ただ》一人の王でございます。遠いむかしから私めの先生でございます。私はあのお方の愚《おろ》かなしもべでございます。いや、まだおわかりになりますまい。けれどもやがておわかりでございましょう。それでは夜の明けないうちに竜巻にお伴《とも》致《いた》させます。これ、これ。支度《したく》はいいか。」
 一|疋《ぴき》のけらいの海蛇が
「はい、ご門の前にお待ちいたして居ります。」と答えました。
 二人は丁寧《ていねい》に王にお辞儀をいたしました。
「それでは王様、ごきげんよろしゅう。いずれ改めて空からお礼を申しあげます。このお宮のいつまでも栄えますよう。」
 王は立って云いました。
「あなた方もどうかますます立派にお光り下さいますよう。それではごきげんよろしゅう。」
 けらいたちが一度に恭々しくお辞儀をしました。
 童子たちは門の外に出ました。
 竜巻が銀のとぐろを巻いてねています。
 一人の海蛇が二人をその頭に載《の》せました。
 二人はその角《つの》に取りつきました。
 その時赤い光のひとでが沢山出て来て叫《さけ》びました。
「さよなら、どうか空の王様によろしく。私どももいつか許されますようおねがいいたします。」
 二人は一緒《いっしょ》に云いました。
「きっとそう申しあげます。やがて空でまたお目にかかりましょう。」
 竜巻がそろりそろりと立ちあがりました。
「さよなら、さよなら。」
 竜巻はもう頭をまっくろな海の上に出しました。と思うと急にバリバリバリッと烈《はげ》しい音がして竜巻は水と一所に矢のように高く高くはせのぼりました。
 まだ夜があけるのに余程《よほど》間があります。天の川がずんずん近くなります。二人のお宮がもうはっきり見えます。
「一寸《ちょっと》あれをご覧なさい。」と闇《やみ》の中で竜巻が申しました。
 見るとあの大きな青白い光りのほうきぼしはばらばらにわかれてしまって頭も尾も胴も別々にきちがいのような凄《すご》い声をあげガリガリ光ってまっ黒な海の中に落ちて行きます。
「あいつはなまこになりますよ。」と竜巻がしずかに云いました。
 もう空の星めぐりの歌が聞えます。
 そして童子たちはお宮につきました。
 竜巻は二人をおろして
「さよなら、ごきげんよろしゅう」と云いながら風のように海に帰って行きました。
 双子のお星さまはめいめいのお宮に昇りました。そしてきちんと座《すわ》って見えない空の王様に申しました。
「私どもの不注意からしばらく役目を欠かしましてお申し訳けございません。それにもかかわらず今晩はおめぐみによりまして不思議に助かりました。海の王様が沢山の尊敬をお伝えして呉《く》れと申されました。それから海の底のひとでがお慈悲《じひ》をねがいました。又私どもから申しあげますがなまこももしできますならお許しを願いとう存じます。」
 そして二人は銀笛《ぎんてき》をとりあげました。
 東の空が黄金色《きんいろ》になり、もう夜明けに間もありません。



底本:「新編 銀河鉄道の夜」新潮文庫、新潮社
   1989(平成元)年6月15日発行
   1994(平成6)年6月5日13刷 
入力:野口英司
1999年7月23日公開
2004年3月22日修正
青空文庫作成ファイル:
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