植物医師
郷土喜劇
宮沢賢治
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)爾薩待《にさつたい》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)ペンキ屋|徒弟《とてい》
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(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)教えてくな※[#小書き平仮名ん、228−12]せ
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時 一九二〇年代
処 盛岡市郊外
人物 爾薩待《にさつたい》 正《ただし》 開業したての植物医師
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ペンキ屋|徒弟《とてい》
農民 一
農民 二
農民 三
農民 四
農民 五
農民 六
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幕あく。
粗末なバラック室、卓子二、一は顕微鏡を載《の》せ一は客用、椅子《いす》二、爾薩待正 椅子に坐り心配そうに新聞を見て居る。立ってそわそわそこらを直したりする。
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「今日はあ。」
「はぁい。」(爾薩待忙しく身づくろいする)
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(ペンキ屋徒弟登場 看板を携《たずさ》える)
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爾薩待「ああ、君か、出来たね。」
ペンキ屋(汗を拭きながら渡す)「あの、五円三十銭でございます。」
爾薩待「ああ、そうか。ずいぶん急がして済まなかったね。何せ今日から開業で、新聞にも広告したもんだからね。」
ペンキ屋「はあ、それでようございましょうか。」
爾薩待「ああ、いいとも、立派にできた。あのね、お金は月末まで待って呉《く》れ給《たま》え。」
ペンキ屋「あのう、実はどちらさまにも現金に願ってございますので。」
爾薩待「いや、それはそうだろう。けれどもね、ぼくも茲《ここ》でこうやって医者を開業してみれば、別に夜逃げをする訳でもないんだから、月末まで待ってくれたまえ。」
ペンキ屋「ええ、ですけれど、そう言いつかって来たんですから。」
爾薩待「まあ、いいさ。僕だって、とにかくこうやって病院をはじめれば、まあ、院長じゃないか。五円いくらぐらいきっと払うよ。そうしてくれ給え。」
ペンキ屋「だって、病院だって、人の病院でもないんでしょう。」
爾薩待「勿論《もちろん》さ。植物病院さ。いまはもう外国ならどこの町だって植物病院はあるさ。ここではぼくがはじめだけれど。」
ペンキ屋「だって現金でないと私帰って叱《しか》られますから。そんなら代金引替ということにねがいます。」
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(すばやく看板を奪う)
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爾薩待「君、君、そう頑固なこと言うんじゃないよ。実は僕も困ってるんだ。先月まではぼくは県庁の耕地整理の方へ出てたんだ。ところが部長と喧嘩《けんか》してね、そいつをぶんなぐってやめてしまったんだ。商売をやるたって金もないしね、やっとその顕微鏡を友だちから借りてこの商売をはじめたんだ。同情してくれ給え。」
ペンキ屋「だって、そんな先月まで交通整理だかやっていて俄《にわ》かに医者なんかできるんですか。」
爾薩待「交通整理じゃないよ。耕地整理だよ。けれどもそりぁ、医者とはちがわぁね。しかしね、百姓のことなんざ何とでもごまかせるもんだよ。ぼく、きっとうまくやるから、まあ置いとけよ。置いとけよ。」
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(また取り返す)
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ペンキ屋「そうですか。そいじゃ月末にはどうか間ちがいなく。困っちまうなあ。」
爾薩待「大丈夫さ。君を困らしぁしないよ。ありがとう、じゃ、さよなら。」
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ペンキ屋徒弟退場。
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「申し。」
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爾薩待(居座《いずま》いを直し身繕《みづくろ》いする)「はあ。」
農民一(登場 枯れた陸稲《おかぼ》をもっている)「稲の伯楽《ばくろう》づのぁ、こっちだべすか。」
爾薩待「はあ、そうです。」
農民一「陸稲のごとでもわがるべすか。」
爾薩待「ああ、わかります。私は植物一切の医者ですから。」
農民一「はあ、おりゃの陸稲ぁ、さっぱりおがらなぃです。この位になって、だんだん枯れはじめです、なじょにしたらいが、教えてくな※[#小書き平仮名ん、228−12]せ。」(出す)
爾薩待(手にとって見る)「ははあ、あんまり乾き過ぎたな。」
農民一「いいえ、おりゃのあそごぁひでえ谷地《やじ》で、なんぼ旱《ひでり》でも土ぽさぽさづぐなるづごとのなぃどごだます。」
爾薩待「ははあ、あんまり水のはけないためだ。」
農民一(考える)「すた、去年なも、ずいぶん雨降りだたんとも、ずいぶんゆぐ穫《と》れだます、まんつ、おらあだりでば大谷地中《おおやぢうぢ》でおれのこれぁとったもの無ぃがったます。」
爾薩待「ははあ、あんまり厚く蒔《ま》きすぎたな。」
農民一「厚ぐ蒔ぐて全体陸稲づもな、一反歩《いったんぶ》さなんぼごりゃ蒔げばいのす。」
爾薩待「さうですな。品種や土壌《どじょう》によりますがなあ、さうですなあ、陸稲一反歩となるというと、可成いろいろですがなあ、その塩水撰したやつとしないやつでもちがいますがなあ。」
農民一「はあ、その塩水撰したのです。」
爾薩待「ははあ、塩水撰した陸稲の種子《たね》と、土壌や肥料にもよりますがなあ。」
農民一「まんつ、あだり前のどごで、あだり前の肥料してす。」
爾薩待「そうですなあ、それは、ええと、あなたのあたりではなんぼぐらい播《ま》きます?」
農民一「まず一反歩四升だなす。おらもその位に播いだんす。」
爾薩待「ははあ、一反歩四升と。少し厚いようですなあ、三升八合ぐらいでしょうな。然し、あなたのとこのは厚蒔のためでもないですなあ。そうすると、やっぱり肥料ですな。肥料があんまり少かったのでしょう。」
農民一「はあ、まぁんつ、人並よりは、やったます。百刈りでば、まずおらあだり一反四|畝《せ》なんだ、その百刈りさ、馬肥《うまごえ》、十五|駄《だん》、豆粕《まめかす》一俵、硫安《りゅうあん》十貫目もやったます。」
爾薩待「あ、その硫安だ。硫安を濃くして掛けたでしょう。」
農民一「はあ、別段濃いど思わなぃがったが、全体なんぼ位に薄めたらいがべす。」
爾薩待「そうですな。硫安の薄め方となるとずいぶん色々ですがなあ、天気にもよりますしね。」
農民一「曇ってまず、土のさっと湿けだずぎだら、なんぼこりゃにすたらいがべす。」
爾薩待「そうですな。またあんまり薄くてもいかんですな。あなたの処ではどれ位にします。」
農民一「まず肥桶《こえおけ》一杯の水さ、この位までて言うます。」
爾薩待「ええ、まあそうですね、けれども、これ位では少し多いかも知れませんね。まあ、こんなんでしょうな。」(掌を少し小さくする)
農民一「はあ、せどなはおれぁは、もっと入れだます。」
爾薩待「そうですか。そうすればまあ病気ですな。」
農民一「何病だべす。」
爾薩待(勿体《もったい》らしく顕微鏡に掛ける)「ははあ、立枯病《たちがれびょう》ですな。立枯病です。ちゃんと見えています。立枯病です。」
農民一「はでな、病気よりも何が虫だなぃがべすか。」
爾薩待「虫もいますか。葉にですか。」
農民一「いいえ、根にす、小せぁ虫こぁ居るようだます。」
爾薩待「ああなるほど虫だ。ちゃんと根を食ったあとがある。これは病気と虫と両方です。主に虫の方です。」
農民一「はあ、私もそうだと思ってあんすた。」
爾薩待(汗を拭《ふ》いてやっと安心という風)「ええ、そうですとも、これはもう明らかに虫です。しかも根切虫だということは極めて明白です。つまりこの稲は根切虫の害によって枯れたのですな。」
農民一「はあ、それで、その根切虫、無ぐするになじょにすたらいがべす。」
爾薩待「さうですなあ、虫を殺すとすればやっぱり亜砒酸《あひさん》などが一番いいですな。」
農民一「はあ、どこで売ってるべす。」
爾薩待「いや、それは私のとこが病院ですからな。私のとこにあります。いま上げます。」
農民一「はあ。」
爾薩待(立って薬瓶《くすりびん》をとる)「何反といいましたですか。」
農民一「五畝歩でごあんす。」
爾薩待「五畝歩とするとどれ位でいいかなあ。(しばらく考えてなあにくそという風)これ位でいいな。」(瓶のまま渡す)
農民一「あの虫のいなぃどごさも掛げるのすか。」
爾薩待(あわてる)「いや、それは、いたとこへだけかけるのです。」
農民一「枯れだどごぁ半分ごりゃだんす。」
爾薩待「ああ、丁度その位へかけるだけです。」
農民一「水さなんぼごりゃ入れるのす。」
爾薩待「肥桶一つへまずこれ位ですなあ。」
農民一「はあ、そうせば、よっぽど叮ねいに掛げなぃやなぃな。まんつお有難うごあんすな。すぐ行って掛げで見ら※[#小書き平仮名ん、232−7]す。なんぼ上げだらいがべす。」
爾薩待「そうですな。診察料一円に薬価一円と、二円いただきます。」
農民一「はあ。」(財布から二円出す)
爾薩待(受取る)「やあ、ありがとう。」
農民一「どうもお有難うごあんした。これがらもどうがよろしぐお願いいだしあんす。」
爾薩待「いや、さよなら。」(農民一 退場)
爾薩待(ほくほくして室の中を往来する)「ふん。亜砒酸は五十銭で一円五十銭もうけだ。これなら一向訳ないな。向こうから聞いた上でこっちは解決をつけてやる丈だから。」(硫安を入れるときの手付をする)
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「もうし。」
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爾薩待「はい。」(農民二 登場)
農民二「植物医者づのぁお前さんだべすか。」
爾薩待「ええ、そうです。」
農民二「陸稲《おかぼ》のごとでもわがるべすか。」
爾薩待「ああわかります。私は植物一切の医者ですから。」
農民二「はあ、おりゃの陸稲ぁ、さっぱりおがらなぃです。この位になってだんだん枯れはじめです。」
爾薩待「ああ、そうですか。まあお掛けなさい。ええと、陸稲が枯れるんですか。」
農民二「はあ、斯《こ》う言うにならんす。」(出す)
爾薩待「ああ、なるほど、これはね、こいつはね、あんまり乾き過ぎたという訳でもない、また水はけの悪いためでもない。」
農民二「はあ、全ぐその通りだんす。」
爾薩待「そうでしょう。またあんまり厚く蒔き過ぎたというのでもない。まあ一反歩四升位|蒔《ま》いたでしょう。」
農民二「そうでごあんす、そうでごあんす、丁度それ位蒔ぎあんすた。」
爾薩待「そうでしょう。また肥料があんまり少ないのでもない。また硫安を追肥《ついひ》するのに濃過《こす》ぎたのでもない。まあ肥桶《こえおけ》一つにこれ位入れたでしょう。」
農民二「はあ、そうでごあんす、そうでごあんす。」
爾薩待「そうでしょう、またこれは病気でもない。ぼく考えるに、どうです、これ位ぐらいのこんな虫が根についちゃいませんか。」
農民二「はあ、おりあんす、おりあんす。」
爾薩待「なるほど、そうでしょう。そいつがいかんのです。」
農民二「なじょにすたらいがべす。」
爾薩待「それはね、亜砒酸《あひさん》という薬をかけるんです。」
農民二「どごで売ってべす。」
爾薩待「いや、勿論私のところにあるのですがね、いまちょっと切れていますから、証明書を書いて上げます。(書く)これをもって町の薬屋から買っておいでなさい。硫安と同じ位に薄めて使うんです。」
農民二「はあ、こいづ持ってて薬買って薄めで掛けるのだなす。」
爾薩待「そうです。」
農民二「なんぼお礼上げだらいがべす。」
爾薩待「診察料は一円です。それから証明書代が五十銭です。」
農民二「一円五十銭だなす。(金を出す)さあ、どうもおありがどごあんすた。」
爾薩待「いや、ありがとう。さよなら。」
[#ここから2字下げ]
農民二 退場
農民三 登場
[#ここで字下げ終わり]
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