だ。入口の方がどやどやして実に六人ばかりの黒い影が走り込んで来た。(もう地獄だ、これっきりだ。)署長は思った。今まで番をしてゐた男は立ってそれを迎へた。ぐるっとみんなが署長を囲んだ。
「こいつはトケイの椎蕈《しひたけ》商人ださうです。椎蕈を買はうと思って来たんださうです。」
「うん。さっき組合へうさんなやつが名刺を置いて行ったさうだがこいつだらう。」りんとした声が云った。署長は聞きおぼえのある声だと思って顔をあげたらじっさいぎくりとしてしまった。それは名誉村長だった。しばらくしんとした。
「どうだ。放してやるか。」また一人が云った。署長は横目でそっちを見上げた。あの村会議員なのだ。
「いや、よく調べないといけません。念に念を入れないとあとでとんだことになります。」
署長はまたちらっとそっちを見た。それはあの講演の時青くなった小学校長だった。すなはちわれらの樽《たる》コ先生ではないか。
「いゝえ、こいつはさっき一ぺん私が番所から追ひ帰したのです。どうもあやしいと思ひましたからとがめましたら椎蕈山はこっちかと云ふんです。こっちぢゃない帰れ帰れって云ひましたらさうですかここらからまはるみちはないかとまた云ひやがるんです。ないない。帰れと云ひましたら仕方なく戻って行きました。そいつをいつの間にどこをまはってこゝへ入ったかもうこいつはきっと税務署のまはしものです」
「うん。さう云へばどうもおれにもつらに見おぼえがある。表へ引っぱり出してみろ。てめへは行って番所に居ろ。」社長の名誉村長が云った。
「立てこの野郎」署長はえり首をつかまへられて猫のやうに引っぱり出された。おもてへ出て見ると日光は実に暖かくぽかぽか飴《あめ》色に照ってゐた。(おれが炭焼がまに入れられて炭化されてもお日さまはやっぱりこんなにきれいに照ってゐるんだなあ。)署長はぽっと夢のやうに考へた。
「何だこいつは税務署長ぢゃないか。」名誉村長はびっくりしたやうに叫んだ。それからみんなはにゅうと遁げるやうなかたちになった。署長はもうすっかり決心してすっくと立ちあがった。
「いかにもおれは税務署長だ。きさまらはよくも国家の法律を犯してこんな大それたことをしたな。おれは早くからにらんでゐたのだ。もうすっかり証拠があがってゐる。おれのことなどは潰《つぶ》すなり灼《や》くなり勝手にしろ。もう準備はちゃんとできてゐる。きさまたちは密造罪と職務執行妨害罪と殺人罪で一人残らず検挙されるからさう思へ。」
社長も鑑査役も実に青くなってしまった。しばらくみんなしいんとした。
こゝだと署長が考へた。
「さあ、おれを殺すなら殺せ、官吏が公務のために倒れることはもう当然だ。」署長は大へんいゝ気持がした。といきなりうしろから一つがぁんとやられた。又かと思ひながら署長が倒れたらみんな一ぺんに殺気立った。
「木へ吊《つ》るせ吊るせ。なあに証拠だなんてまだ挙がってる筈《はず》はない。こいつ一人片付ければもう大丈夫だ。樺花《かばはな》の炭釜《すみがま》に入れちまへ。」たちまち署長は松の木へつるしあげられてしまった。村会議員が出て云った。
「この野郎、ひとの家でご馳走《ちそう》になったのも忘れてづうづうしい野郎だ。ゆぶしをかけるか。」
「野蛮なことをするな。」署長が吊られて苦しがってばたばたしながら云った。
「とにかく善後策を講じようぢゃないか。まあ中で相談するとしよう。」村長が云った。
みんなは中へはひった。署長は木の上で気が遠くなってしまった。
五、署長のかん禁
しばらくたって署長は自分があの奥の室《へや》の中に入れられてゐるのを気がついた。頭には冷たい巾《きれ》がのせてあったし毛布もかけてあった。いちばんあとから小屋を出た男が虔《つつま》しく番をしながら看病してゐた。おもてではがやがやみんなが談《はな》してゐた。何でも善後策を協議してゐるか酒盛りをやってゐるらしかった。署長がからだをうごかしたらすぐその若者が近くへ寄って模様を見た。それから戸をあけてそしても一つ戸をあけて外の大きな室に出て行った。と思ふと名誉村長が入って来た。茶いろの洋服を着てゐた。(そして見るとおれは二日か三日寝てゐたんだな。)署長は考へた。名誉村長は座って恭しく礼をして云った。
「署長さん。先日はどうも飛んだ乱暴をいたしました。
実は前後の見境ひもなくあんなことをいたしましてお申し訳けございません。実は私どもの方でもあなたの方のお手入があんまり厳しいためつい会社組織にしてこんなことまでいたしましたやうな訳で誠に面目次第もございません。就《つ》きましていかゞでございませう。私どもの会社ももうかっきり今日ぎり解散いたしまして酒は全部私の名義でつくったとして税金も納めます。あなたはお宅まで自働車でお送りいたしますがこの度限り特にご内密にねがひませんでせうか。」
署長はもう勝ったと思った。
「いやお語《ことば》で痛み入ります。私も職務上いろいろいたしましたがお立場はよくわかって居ります。しかしどうも事こゝに至れば到底内密といふことはでき兼ねる次第です。もう談《はなし》がすっかりひろがって居りますからどうしても二三人の犠牲者はいたし方ありますまい。尤《もっと》も私に関するさまざまのことはこれは決して公にいたしません。まあ罰金だけ納めて下さってそれでいゝやうな訳です。」
「それがそのどうも私どもはじめ名前を出したくないので。」
この時だ、表が俄《にはか》にやかましくなって烈《はげ》しい叫声や組討ちの音が起った。まるでもう嵐のやうだった。
「署長署長」誰《たれ》かが叫んだ。署長はばっと立ちあがった。
「おゝ、こゝに居るぞよくやったよくやった。シラトリ、こゝに居るぞ。」
すぐ二三人が室《へや》の戸をけやぶって入って来た。
「署長、ご健勝で。もうみんな捕縛しました。」とシラトリ属が泣いてかけて来た。
「よくわかったなあ、警察の方もたのんだか。」
「えゝ総動員です。二十人捕縛してあります。この方は。」
「名誉村長だ。けれども仕方ない繩《なは》をかけ申せ。」署長はわくわくして云った。
「署長ご健勝で。」署員たちが向ふ鉢巻《はちまき》をしたり棍棒《こんぼう》をもったりしてかけ寄った。署長は痛いからだを室から出た。
「樽《たる》にみんな封印しろ。証拠品は小さな器具だけ、集めろ。その乳酸菌の培養も。うん。よろしい。いやどうもご苦労をねがひました。」署長は巡査部長に挨拶《あいさつ》した。
「お変りなくて結構です。いや本署でも大へん心配いたしました。おい。みんな外へ引っぱれ。」
そしてもうぞろぞろみんなはイーハトヴ密造会社の工場を出たのだ。五分ののちこの変な行列があの番所の少し向ふを通ってゐた。
署長は名誉村長とならんで歩いてゐた。
「今日は何日だ。」署長はふっとうしろを向いてシラトリ属にきいた。
「五日です。」
「あゝもうあの日から四日たってゐるなあ。ちょっとの間に木の芽が大きくなった。」
署長はそらを見あげた。春らしいしめった白い雲が丘の山からぼおっと出てくろもじのにほひが風にふうっと漂って来た。
「あゝいゝ匂《にほひ》だな。」署長が云った。
「いゝ匂ですな。」名誉村長が云った。
底本:「新修宮沢賢治全集 第十一巻」筑摩書房
1979(昭和54)年11月15日初版第1刷発行
※底本本文の編集方針に合わせて、ルビの拗音、促音、「喧嘩《けんくゎ》」、「煉瓦《れんぐゎ》」を小書きしました。
入力:田代信行
校正:斉藤知子
2005年1月8日作成
青空文庫作成ファイル:
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