のちらしを二百枚も貰ひたまへ。そいつを持って入って行くんだ。君の顔は誰《たれ》も知ってやしない。どうもあの村はわからないとこがある。どうも誰かがどこかで一斗や二斗でなしにつくってゐる。一つ豪胆にうまくやって呉れ給へ。」
「は、畏《かしこ》まりました。」
 デンドウイ属はもう胸がわくわくしました。うまく見付けて帰って来よう。そしたら月給だってもうきっと三円はあがる、ひとつまるっきり探偵風にやってやらう。
「概算旅費を受け取って行きたまへ。」署長はまた云ひました。
「ありがたうございます。」デンドウイ属は礼をして自分の席へ帰ってそれから会計へ行って七日間の概算旅費を受け取って自分の下宿へ帰って行きました。
 さて八日目の朝署長が役所へ出て出勤簿を検査してそれから机の上へ両手を重ねてふうと一つ息をしたとき扉《と》がかたっと開いてデンドウイ属があの八日前の白服のまゝでまた入って来ました。どうもその顔がひどくやつれて見えました。署長は思はず椅子《いす》をかたっと云はせました。
「どうだったね、少しはわかりましたか。」心配さうにそれにまたにこにこしながら訊《き》いたのです。
「どうもいけませんでした。あの村には濁密はないやうであります。」
「さうですか。どう云ふやうにしてしらべました。」署長は少しこはい顔をしました。
「ニタナイのとこに丁度老人でなくなった人があったのです。人が集ったらいづれ酒を呑《の》まないでゐないからと存じましてすぐその前のうちへ無理に一晩泊めて貰ひました。するとそのうちからみんな手伝ひに参りまして道具やなんかも貸したのでございます。私は二階からじっと隣りの人たちの云ふことを一晩寝ないで聞いて居《を》りました。すると夜中すぎに酒が出ました。もう一語でもきゝもらすまいと思ってゐましたら、そのうち一人がすうと口をまげて歯へ風を入れたやうな音がしました。これはもうどうしても濁り酒でないと思ってゐましたら、」
「ふんふん、なかなか君の観察は鋭い。それから。」
「そしたら一人が斯《か》う云ひました。いゝ、ほんとにいゝ、これではもうイーハトヴの友もなにも及ばないな。と云ひました。イーハトヴの友も及ばないとしますととても密造酒ではないと存じました。」
「その酒の名前を聞きましたか。」
「私は北の輝《てる》だらうと思ひます。」
 署長は俄《にはか》にこはい顔をしました。
「いゝや、北の輝《てる》ぢゃない。断じてさうでない。そのいゝ酒がどこから出来てゐるかどの県から入ってるかそれをよくしらべに君をたのんだのだ。けれどもそしてそれからあと七日君はいったい何をして居たのだ。」
「それからあとは毎日林の中や谷をあるいて山地密造酒を探して居りました。」
「あったか。」
「ありませんでした。」
「見給へ。そんな藪《やぶ》の中にこっそり作るやうなそんなのぢゃない。どこか床下をほるかなんかしても少し大きくやってゐるだらうとはじめから僕が注意して置いたぢゃないか。」
 デンドウイ属はもう頭を垂れてしまひました。そのやつれた青い顔を見ると署長もまた少し気の毒になって来ました。
「いや、よろしい。帰ってやすみ給へ。ご苦労でした。シラトリ君に一寸《ちょっと》来いと云って呉れ給へ。」
 デンドウイ属はしほしほ出て行きました。間もなく、例のシラトリ属がすまし込んで入って来ました。
「君、ユグチュユモトへ行ってくれ給へ。却《かへ》ってそのまゝの方がいゝ。あのね、この前の村会議員のとこへ行ってね、僕からと云ふ口上でね、先《せん》ころはごちそうをいたゞいて実にありがたう、と、ね、その節席上で戯談《じょうだん》半分酒造会社設立のことをおはなししたところ何だか大分本気らしいご挨拶《あいさつ》があったとね、で一つこの際こちらから技術員も出すから模範的なその造酒工場をその村ではじめてはどうだらう、原料も丁度そちらのは醸造に適してゐると思ふと斯《か》う吹っかけて見てじっと顔いろを見て呉れ給へ。きっと向ふが資本がありませんでと斯う云ふからね、そしたらどうでせう、半官半民風にやらうぢゃありませんかと斯うやって呉れ給へ。そしてその返事をもうせき一つまでよく覚え込んで帰って呉れ給へ。いますぐです。今日中に帰れるだらう、あしたは休んでもいゝから。」
「帰れます。」シラトリキキチ氏はしゃんと礼をして出て行きました。署長はもう一生けん命何かを考へ込んで昼飯さへ忘れる風でした。ひるすぎはそはそは窓に立ってシラトリ属の帰るのをいまかいまかと待ってゐました。
 ところがシラトリ属は夕方になっても帰りませんでした。
 署長はもうみんなも帰る時分だしと思って自分も一ぺん家へ帰るふりをして町をぐるっとまはりみんなが戻ったころまた役所へ来て小使に自分の室《へや》へ電燈をつけさせて待ってゐました。すると八時過ぎて玄関でがたっと自転車を置いた音がしてそれからシラトリ属がまるで息を切らして帰って来たのです。
「どうだった。」署長は待ち兼ねてさう訊《たづ》ねました。
「だめです。」
「いけなかったか。」署長はがっかりしました。
「仰《おっしゃ》ったとほり云ってだまって向ふの顔いろを見てゐたのですけれどもまるで反応がありませんな、さあ、まあそんなことも仰っしゃっておいででしたがどうもお役人方の仰っしゃることはご無理もあればむづかしいことも多くてなんててんでとり合はないのです。」
「顔色を変へなかったか。」
「少しも変りませんでした。」
「それからどうした。」
「仕方ありませんからそこを出て村の居酒屋へいきなり乗り込んであった位の酒を瓶詰《びんづめ》のもはかり売のも全部片っぱしから検査しました。」
「うんうん。そしたら。」
「そしたら瓶詰はみんなイーハトヴの友でしたしはかり売のはたしかに北の輝《てる》です。」
「北の輝の方がいくらか廉《やす》いんだな。」
「さうです。」
「たしかに北の輝かね。」
「さうです。それから酒屋の主人に帳簿を出さしてしらべて見ましたが酒の売れ高がこのごろ毎年減って行くやうであります。」
「をかしいな。前にはあの村はみんな濁り酒ばかり呑《の》んでゐたのにこのごろ検挙が厳しくてだんだん密造が減るならば清酒の売れ高はいくらかづつ増さなければいけない。」
「けれどもどうも前ぐらゐは誰《たれ》も酒を呑まないやうであります。」
「さうかね。」
「それに酒屋の主人のはなしでは近頃は道路もよくなったし荷馬車も通るのでどこの家でもみんな町から直《ぢ》かに買ふからこっちはだんだん商売がすたれると云ひました。」
「をかしいぞ。そんなに町からどしどし買って行くくらゐの現金があの村にある筈《はず》はない。どうもをかしい。よろしい。こんどは私が行って見よう。どうもをかしい。明日から三四日留守するからね。あとをよく気をつけて呉れ給へ。さあ帰ってやすみ給へ。」
 税務署長は唇《くちびる》に指をあて、眼を変に光らせて考へ込みながらそろそろ帰り支度をしました。

      四、署長の探偵

 税務署長のその晩の下宿での仕度ときたら実際科学的なもんだった。
 まづ第一にひげをはさみでぢゃきぢゃき刈りとって次に揮発油へ木タールを少しまぜて茶いろな液体をつくって顔から首すぢいっぱいに手にも塗った。鼻の横や耳の下には殊に濃く塗ったのだ。それからアスファルトの屋根材の継目に塗りつける黒いペイントを顎《あご》のとこへ大きな点につけてしばらくの間じっとそんな油や何かの乾くのを待ってたが、それがきれいに乾くとこんどは鏡台の引出しをあけてにせものの金歯を二枚出して犬歯へはめました。すると税務署長がすっかり変ってしまって請負師か何かの大将のやうに見えて来た。それから署長は押し入れからふだん魚釣りに行くときにつかふ古いきゅうくつな上着を出して着ておまけに乗馬ズボンと長靴《ながぐつ》をはいた。そして葉書入れを逆まにしてしばらく古い名刺をしらべてゐたがその中からトケウ乾物商サヘタコキチと書いたやつをえらんでうちかくしへ入れた。独りものの署長のことだから実際こんなことができたのだ。それから帽子をかぶり洋傘《かうもりがさ》を持って外へ出たけれども何と思ったかもう一ぺん長靴をぬいでそれを持って座敷へあがった。古い新聞紙を鏡の前の畳へ敷いて又長靴をはいてちゃんと立って鏡をのぞいてさあもうにかにかにかにかし出した。
 それから俄《には》かにまじめになってしばらく顔をくしゃくしゃにしてゐたがいよいよ勇気に充《み》ちて来たらしく一ぺんに畳をはね越えておもてに飛び出し大股《おほまた》に通りをまがった。実にその晩の夜の十時すぎに勇敢な献身的なこの署長は町の安宿へ行って一晩とめて呉れと云った。そしたらまじめにお湯はどうかとか夕飯はいらないかとか宿屋では聞いた。署長はもうすっかり占めたと思ったのだ。そして次の朝早く署長はユグチュユモトの村へ向った。
 村の入口に来てさっそく署長はあの小売酒屋へ行った。
「えゝ伺ひますが、この村の椎蕈《しひたけ》山はどちらでせうか。」
「椎蕈山かね。おまへさんは買付けに来たのかい。」
「へえ、さうです。」
「そんなら組合へ行ったらいゝだらう。」
「組合はどちらでございませう。」
「こっから十町ばかりこのみちをまっすぐに行くとね学校がある、」
 知ってるとも、そこでおれが講演までしてひどい目にあってるぢゃないか、署長は腹の底で思った。
「その学校の向ひに産業組合事務所って看板がかけてあるからそこへ行って談《はな》したらいゝだらう。」
「さうですか。どうもありがたうございました。お蔭《かげ》さまでございます。」署長はまるで飛ぶやうにおもてに出てまた戻って来た。
「どうもせいがきれていけない。一杯くれませんか。えゝ瓶《びん》でない方。ううい。いゝ酒ですね。何て云ひます。」
「北の輝《てる》です。」
「これはいゝ酒だ。こゝへ来てこんな酒を呑《の》まうと思はなかった。どこで売ります。」
「私のとこでおろしもしますよ。」
「はあ、しかし町で買った方が安いでせう。」
「さうでもありません。」
「だめだ。持って行くにひどいから。」
 署長は金を十銭おいて又飛び出した。それから組合の事務所へ行った。さあもうつかまへるぞ今日中につかまへるぞ、署長はひとりで思った。ところが事務所にはたった一人髪をてかてか分けて白いしごきをだらりとした若者が椅子《いす》に座って何か書いてゐた。こいつはうまいと署長は思った。
「今日は、いゝお天気でございます。ごめん下さい。私はトケイから参りました斯《か》う云ふものでございますがどうかお取次をねがひます。」署長はあの古い名刺をだいぶ黄いろになってるぞと思ひながら出した。若者は率直に立って「あゝさうすか。」と云って名刺を受けとったがあとは何も云はないでもぢもぢしてゐた。
「今朝はまだどなたもお見えにならないんですか。」
「はあ、見えないで。」若者は当惑したやうに答へた。
「えゝ、ではお待ちいたします、どうかお構ひなく。いかゞでございませう。本年は椎蕈《しひたけ》の方は。この雨でだいぶ豊作でございませうね。」
「あんまりよくないさうだよ。」
「はあいや匂《にほひ》やなにかは悪いでせうが生えることは沢山生えましてございませうね。」
「できたらう。」若者はだんだん言《ことば》も粗末になって来た。
「どうでせうね。わたしあ東京の乾物屋なんだが貸しの代りに酒をたくさんとったのがあるんだがどうでせう。椎蕈ととり代へるのを承知下さらないでせうかね。安くしますが。」
「さあだめだらう。酒はこっちにもあるんだから。」
「町から買ふんでせう。」
「いゝや」
「どこかに酒屋があるんですか。」
「酒屋ってわけぢゃない。」
 さあ署長はどきっとしました。
「どこですか。」
「どこって、組合とはまた別だからね。」若者はぴたっと口をつぐんでしまひました。さあ税務署長はまるで踊りあがるやうな気がした。もうたゞ一息だ。少くとも月一石づつつくってあちこちへ四五升づつ売ってゐるやつがある。今日中にはきっとつかまへてしまふぞ。
「椎蕈山は遠いんですか。」

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