も濁ってはゐませんでした。どうもをかしい。これは決してこゝらのどの酒屋でできる酒でもない、他県から来るのだってもう大ていはきまってゐる。どうもをかしいと斯《か》う署長はひとりで考へました。そのうちさっきの村会議員が又やって来てきちんと座って云ひました。
「いや、もう閣下、ひどくご無礼をいたしました。こんな乱雑な席にご光来をねがひまして面目次第もございません。たゞもうほんの村民の志だけをお汲《く》み下されまして至らぬところ又すぎました処《ところ》は平にご容赦をねがひます。」
 署長はすっかり酔った風をしながら笑って答へました。
「いや、君、こんな愉快なうちとけた宴会ははじめてだよ。こんなことならたびたびやって来たいもんだね。斯う出られたら困るだらう。」
 村会議員はちらっと署長を見あげました。本当はまだ酔ってゐないなと気がついたのです。署長が又云ひました。
「どうも斯う高い税金のかかった酒を斯う多分に貰《もら》っちゃお気の毒だ。一つ内密でこの村だけ無税にしようかな。」
「いや、ハッハッハ。ご冗談。」村会議員は少しあわてて台所の方へ引っ込んで行きました。
「もう失礼しよう、おい君。」署長は立ちあがりました。
「もうお帰りですか。まあまあ。」村長やみんなが立って留めようとしたときそこはもう商売で署長と白鳥属とはまるで忍術のやうに座敷から姿を消し台所にあった靴《くつ》をつまんだと思ふともう二人の自転車は暗い田圃《たんぼ》みちをときどき懐中電燈をぱっぱっとさせて一目散にハーナムキヤの町の方へ走ってゐたのです。

      三、署長室の策戦

 次の日税務署長は役所へ出て自分の室《へや》に入り出勤簿を検査しますとチリンチリンと卓上ベルを鳴らして給仕を呼び「デンドウイを呼べ。」とあごで云ひつけました。
 すぐ白服のデンドウイ属がいかにも敬虔《けいけん》に入って来ました。
「まあ掛け給《たま》へ。」署長はやさしく云って話の口をきりました。
「ユグチュユモトの村へ出張して呉《く》れ給へ。」
「は、」
「変装して行って貰《もら》ひたいな。一寸《ちょっと》売薬商人がいゝだらう。あの千金丹の洋傘《かうもりがさ》があった筈《はず》だね。」
「は、ございます。」
「ぢゃ、ライオン堂へ行ってこれでウ※[#小書き片仮名ヰ、138−4]スキーを一本買ってねそれから広告をくばってやるからと云って何かのちらしを二百枚も貰ひたまへ。そいつを持って入って行くんだ。君の顔は誰《たれ》も知ってやしない。どうもあの村はわからないとこがある。どうも誰かがどこかで一斗や二斗でなしにつくってゐる。一つ豪胆にうまくやって呉れ給へ。」
「は、畏《かしこ》まりました。」
 デンドウイ属はもう胸がわくわくしました。うまく見付けて帰って来よう。そしたら月給だってもうきっと三円はあがる、ひとつまるっきり探偵風にやってやらう。
「概算旅費を受け取って行きたまへ。」署長はまた云ひました。
「ありがたうございます。」デンドウイ属は礼をして自分の席へ帰ってそれから会計へ行って七日間の概算旅費を受け取って自分の下宿へ帰って行きました。
 さて八日目の朝署長が役所へ出て出勤簿を検査してそれから机の上へ両手を重ねてふうと一つ息をしたとき扉《と》がかたっと開いてデンドウイ属があの八日前の白服のまゝでまた入って来ました。どうもその顔がひどくやつれて見えました。署長は思はず椅子《いす》をかたっと云はせました。
「どうだったね、少しはわかりましたか。」心配さうにそれにまたにこにこしながら訊《き》いたのです。
「どうもいけませんでした。あの村には濁密はないやうであります。」
「さうですか。どう云ふやうにしてしらべました。」署長は少しこはい顔をしました。
「ニタナイのとこに丁度老人でなくなった人があったのです。人が集ったらいづれ酒を呑《の》まないでゐないからと存じましてすぐその前のうちへ無理に一晩泊めて貰ひました。するとそのうちからみんな手伝ひに参りまして道具やなんかも貸したのでございます。私は二階からじっと隣りの人たちの云ふことを一晩寝ないで聞いて居《を》りました。すると夜中すぎに酒が出ました。もう一語でもきゝもらすまいと思ってゐましたら、そのうち一人がすうと口をまげて歯へ風を入れたやうな音がしました。これはもうどうしても濁り酒でないと思ってゐましたら、」
「ふんふん、なかなか君の観察は鋭い。それから。」
「そしたら一人が斯《か》う云ひました。いゝ、ほんとにいゝ、これではもうイーハトヴの友もなにも及ばないな。と云ひました。イーハトヴの友も及ばないとしますととても密造酒ではないと存じました。」
「その酒の名前を聞きましたか。」
「私は北の輝《てる》だらうと思ひます。」
 署長は俄《にはか》にこはい顔をしました。

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