いゝや、北の輝《てる》ぢゃない。断じてさうでない。そのいゝ酒がどこから出来てゐるかどの県から入ってるかそれをよくしらべに君をたのんだのだ。けれどもそしてそれからあと七日君はいったい何をして居たのだ。」
「それからあとは毎日林の中や谷をあるいて山地密造酒を探して居りました。」
「あったか。」
「ありませんでした。」
「見給へ。そんな藪《やぶ》の中にこっそり作るやうなそんなのぢゃない。どこか床下をほるかなんかしても少し大きくやってゐるだらうとはじめから僕が注意して置いたぢゃないか。」
デンドウイ属はもう頭を垂れてしまひました。そのやつれた青い顔を見ると署長もまた少し気の毒になって来ました。
「いや、よろしい。帰ってやすみ給へ。ご苦労でした。シラトリ君に一寸《ちょっと》来いと云って呉れ給へ。」
デンドウイ属はしほしほ出て行きました。間もなく、例のシラトリ属がすまし込んで入って来ました。
「君、ユグチュユモトへ行ってくれ給へ。却《かへ》ってそのまゝの方がいゝ。あのね、この前の村会議員のとこへ行ってね、僕からと云ふ口上でね、先《せん》ころはごちそうをいたゞいて実にありがたう、と、ね、その節席上で戯談《じょうだん》半分酒造会社設立のことをおはなししたところ何だか大分本気らしいご挨拶《あいさつ》があったとね、で一つこの際こちらから技術員も出すから模範的なその造酒工場をその村ではじめてはどうだらう、原料も丁度そちらのは醸造に適してゐると思ふと斯《か》う吹っかけて見てじっと顔いろを見て呉れ給へ。きっと向ふが資本がありませんでと斯う云ふからね、そしたらどうでせう、半官半民風にやらうぢゃありませんかと斯うやって呉れ給へ。そしてその返事をもうせき一つまでよく覚え込んで帰って呉れ給へ。いますぐです。今日中に帰れるだらう、あしたは休んでもいゝから。」
「帰れます。」シラトリキキチ氏はしゃんと礼をして出て行きました。署長はもう一生けん命何かを考へ込んで昼飯さへ忘れる風でした。ひるすぎはそはそは窓に立ってシラトリ属の帰るのをいまかいまかと待ってゐました。
ところがシラトリ属は夕方になっても帰りませんでした。
署長はもうみんなも帰る時分だしと思って自分も一ぺん家へ帰るふりをして町をぐるっとまはりみんなが戻ったころまた役所へ来て小使に自分の室《へや》へ電燈をつけさせて待ってゐました。すると八時過ぎて玄関でがたっと自転車を置いた音がしてそれからシラトリ属がまるで息を切らして帰って来たのです。
「どうだった。」署長は待ち兼ねてさう訊《たづ》ねました。
「だめです。」
「いけなかったか。」署長はがっかりしました。
「仰《おっしゃ》ったとほり云ってだまって向ふの顔いろを見てゐたのですけれどもまるで反応がありませんな、さあ、まあそんなことも仰っしゃっておいででしたがどうもお役人方の仰っしゃることはご無理もあればむづかしいことも多くてなんててんでとり合はないのです。」
「顔色を変へなかったか。」
「少しも変りませんでした。」
「それからどうした。」
「仕方ありませんからそこを出て村の居酒屋へいきなり乗り込んであった位の酒を瓶詰《びんづめ》のもはかり売のも全部片っぱしから検査しました。」
「うんうん。そしたら。」
「そしたら瓶詰はみんなイーハトヴの友でしたしはかり売のはたしかに北の輝《てる》です。」
「北の輝の方がいくらか廉《やす》いんだな。」
「さうです。」
「たしかに北の輝かね。」
「さうです。それから酒屋の主人に帳簿を出さしてしらべて見ましたが酒の売れ高がこのごろ毎年減って行くやうであります。」
「をかしいな。前にはあの村はみんな濁り酒ばかり呑《の》んでゐたのにこのごろ検挙が厳しくてだんだん密造が減るならば清酒の売れ高はいくらかづつ増さなければいけない。」
「けれどもどうも前ぐらゐは誰《たれ》も酒を呑まないやうであります。」
「さうかね。」
「それに酒屋の主人のはなしでは近頃は道路もよくなったし荷馬車も通るのでどこの家でもみんな町から直《ぢ》かに買ふからこっちはだんだん商売がすたれると云ひました。」
「をかしいぞ。そんなに町からどしどし買って行くくらゐの現金があの村にある筈《はず》はない。どうもをかしい。よろしい。こんどは私が行って見よう。どうもをかしい。明日から三四日留守するからね。あとをよく気をつけて呉れ給へ。さあ帰ってやすみ給へ。」
税務署長は唇《くちびる》に指をあて、眼を変に光らせて考へ込みながらそろそろ帰り支度をしました。
四、署長の探偵
税務署長のその晩の下宿での仕度ときたら実際科学的なもんだった。
まづ第一にひげをはさみでぢゃきぢゃき刈りとって次に揮発油へ木タールを少しまぜて茶いろな液体をつくって顔から首すぢいっぱいに手にも塗
前へ
次へ
全10ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮沢 賢治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング