度限り特にご内密にねがひませんでせうか。」
 署長はもう勝ったと思った。
「いやお語《ことば》で痛み入ります。私も職務上いろいろいたしましたがお立場はよくわかって居ります。しかしどうも事こゝに至れば到底内密といふことはでき兼ねる次第です。もう談《はなし》がすっかりひろがって居りますからどうしても二三人の犠牲者はいたし方ありますまい。尤《もっと》も私に関するさまざまのことはこれは決して公にいたしません。まあ罰金だけ納めて下さってそれでいゝやうな訳です。」
「それがそのどうも私どもはじめ名前を出したくないので。」
 この時だ、表が俄《にはか》にやかましくなって烈《はげ》しい叫声や組討ちの音が起った。まるでもう嵐のやうだった。
「署長署長」誰《たれ》かが叫んだ。署長はばっと立ちあがった。
「おゝ、こゝに居るぞよくやったよくやった。シラトリ、こゝに居るぞ。」
 すぐ二三人が室《へや》の戸をけやぶって入って来た。
「署長、ご健勝で。もうみんな捕縛しました。」とシラトリ属が泣いてかけて来た。
「よくわかったなあ、警察の方もたのんだか。」
「えゝ総動員です。二十人捕縛してあります。この方は。」
「名誉村長だ。けれども仕方ない繩《なは》をかけ申せ。」署長はわくわくして云った。
「署長ご健勝で。」署員たちが向ふ鉢巻《はちまき》をしたり棍棒《こんぼう》をもったりしてかけ寄った。署長は痛いからだを室から出た。
「樽《たる》にみんな封印しろ。証拠品は小さな器具だけ、集めろ。その乳酸菌の培養も。うん。よろしい。いやどうもご苦労をねがひました。」署長は巡査部長に挨拶《あいさつ》した。
「お変りなくて結構です。いや本署でも大へん心配いたしました。おい。みんな外へ引っぱれ。」
 そしてもうぞろぞろみんなはイーハトヴ密造会社の工場を出たのだ。五分ののちこの変な行列があの番所の少し向ふを通ってゐた。
 署長は名誉村長とならんで歩いてゐた。
「今日は何日だ。」署長はふっとうしろを向いてシラトリ属にきいた。
「五日です。」
「あゝもうあの日から四日たってゐるなあ。ちょっとの間に木の芽が大きくなった。」
 署長はそらを見あげた。春らしいしめった白い雲が丘の山からぼおっと出てくろもじのにほひが風にふうっと漂って来た。
「あゝいゝ匂《にほひ》だな。」署長が云った。
「いゝ匂ですな。」名誉村長が云った。




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