火はすぐ横から足もとへやって来た。と思ふと黒い太い手がやって来ていきなり署長のくびをつかまへた。ガアンと頭が鳴った。署長は自分が酒桶の前の広場へ蟹《かに》のやうになって倒れてゐるのを見た。まるで力もなにもなかった。アセチレン燈もまだ持ってゐる。
「立て、こん畜生太いやつだ。炭焼がまの中へ入れちまふから、さう思へ。」
(炭焼がまの中に入れられたらおれの煙は木のけむりといっしょに山に立つ。あんまり情ない。)署長は青ざめながら考へた。
「誰《たれ》だ、きさん、収税だらう。」
「いゝや。」署長は気の毒なやうな返事をした。
「とにかく引っ括《くく》れ。」一人が顎《あご》でさし図した。一人はアセチレンをそこへ置いてまるで風のやうにうごいて綱を持って来た。署長はくるくるにしばられてしまった。
「おい、おれが番してるから早く社長と鑑査役に知らせて来い。」
「おゝ。」一人は又すばやくかけて出て行った。
「おい、云はなぃかこん畜生、貴さん収税だらう。」
「さうでない。」
「収税でなくて何しに入るんだ。」署長はやうやく気を取り直した。
「おいらトケイの乾物商だよ。」
「トケイの乾物商が何しにこんなとこへ来るんだ。」
「椎蕈《しひたけ》買ひに来たよ。」
「椎蕈。」
「あゝこゝで椎蕈つくってると思ったから見てゐたんだ。名刺もちゃんと組合の方へ置いてある。」
「正直な椎蕈商が何しに錠前のかかった家の窓からくぐり込むんだ。」
「椎蕈小屋の中へはひったっていゝと思ったんだ。外で待ってゐても厭《あ》きたからついはひって見たんだよ。」
「うん。さう云やさうだなあ。」こゝだと署長は思った。みんなの来ないうちに早く遁《に》げないともうほんたうに殺されてしまふ。もう一生けん命だと考へた。
「おい、いゝ加減にして繩《なは》をといて呉れよ。椎蕈はいくらでも高く買ふからさ。おれだってトケイにぁ妻も子供もあるんだ。こゝらへ来て、こんな目にあっちゃ叶《かな》はねえ。どうか繩をといて呉れよ。」
「うん、まあいまみんな来るから少し待てよ。よく聞いてから社長や重役の方へ申しあげれぁよかったなあ。」
「だからさ、遁《に》がして呉れよ。おれお前にあとでトケイへ帰ったら百円送るからさ。」
「まあ少し待てよ。」あゝもう少し待ったら、どんなことになるかわからない。署長はぐるぐるしてまた倒れさうになった。
 ところがもういけなかったの
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