はそこへ爪《つめ》を入れて押し上げて見たらカラッと硝子《ガラス》は上にのぼった。もう有頂天になって中へ飛び込んで見るとくらくて急には何も見えなかったががらんとした何もない室《へや》だった。煙突の出てるのは次の室らしかった。急いでそっちへかけて行って見たらあったあったもう径二|米《メートル》ほどの大きな鉄釜《てつがま》がちゃんと煉瓦《れんぐゎ》で組んで据ゑつけられてゐる。署長は眼をこすってよく室の中を見まはした。隅《すみ》の棚《たな》のとこにアセチレン燈が一つあった。マッチも添へてあった。すばやくそれをおろしてみたらたったいま使ったらしくまだあつかった。栓《せん》をねぢって瓦斯《ガス》を吹き出させ火をつけたら室の中は俄《には》かに明るくなった。署長はまるで突貫する兵隊のやうな勢でその奥の室へ入った。そこは白い凝灰岩をきり開いた室でたしか四十坪はあると署長は見てとった。奥の方には二十石入の酒樽が十五本ばかりずらっとならび横には麹室《かうじむろ》らしい別の室さへあったのだ。おまけにビューレットも純粋培養の乳酸菌もピペットも何から何まで実に整然とそろってゐたのだ。(あゝもうだめだ、おれの講演を手を叩《たた》いて笑ったやつはみんな同類なのだ。あの村半分以上引っ括《くく》らなければならない。もうとても大変だ)署長はあぶなく倒れさうになった。その時だ、何か黄いろなやうなものがさっとうしろの方で光った。
 見ると小屋の入口の扉《と》があいて二人の黒い人かげがこっちへ入って来てゐるではないか。税務署長はちょっと鹿踊《ししをど》りのやうな足つきをしたがとっさにふっとアセチレンの火を消した。そしてそろそろとあの十五本の暗い酒だるのかげの方へ走った。足音と語《ことば》ががんがん反響してやって来た。「いぬだいぬだ。」「かくれてるぞかくれてるぞ。」「ふんじばっちまへ。」「おい、気を付けろ、ピストルぐらゐ持ってるぞ。」ズドンと一発やりたいなと署長は思った。とたん、アセチレンの火が向ふでとまった。青じろいいやな焔《ほのほ》をあげながらその火は注意深くこっちの方へやって来た。「酒だるのうしろだぞ」二人は這《は》ふやうにそろそろとやって来た。
 署長はくるくると樽の間をすりまはった。
 そしたらたうとう桶《をけ》と桶の間のあんまりせまい処へはさまってのくも引くもできなくなってしまった。
 アセチレンの
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