うもせいがきれていけない。一杯くれませんか。えゝ瓶《びん》でない方。ううい。いゝ酒ですね。何て云ひます。」
「北の輝《てる》です。」
「これはいゝ酒だ。こゝへ来てこんな酒を呑《の》まうと思はなかった。どこで売ります。」
「私のとこでおろしもしますよ。」
「はあ、しかし町で買った方が安いでせう。」
「さうでもありません。」
「だめだ。持って行くにひどいから。」
 署長は金を十銭おいて又飛び出した。それから組合の事務所へ行った。さあもうつかまへるぞ今日中につかまへるぞ、署長はひとりで思った。ところが事務所にはたった一人髪をてかてか分けて白いしごきをだらりとした若者が椅子《いす》に座って何か書いてゐた。こいつはうまいと署長は思った。
「今日は、いゝお天気でございます。ごめん下さい。私はトケイから参りました斯《か》う云ふものでございますがどうかお取次をねがひます。」署長はあの古い名刺をだいぶ黄いろになってるぞと思ひながら出した。若者は率直に立って「あゝさうすか。」と云って名刺を受けとったがあとは何も云はないでもぢもぢしてゐた。
「今朝はまだどなたもお見えにならないんですか。」
「はあ、見えないで。」若者は当惑したやうに答へた。
「えゝ、ではお待ちいたします、どうかお構ひなく。いかゞでございませう。本年は椎蕈《しひたけ》の方は。この雨でだいぶ豊作でございませうね。」
「あんまりよくないさうだよ。」
「はあいや匂《にほひ》やなにかは悪いでせうが生えることは沢山生えましてございませうね。」
「できたらう。」若者はだんだん言《ことば》も粗末になって来た。
「どうでせうね。わたしあ東京の乾物屋なんだが貸しの代りに酒をたくさんとったのがあるんだがどうでせう。椎蕈ととり代へるのを承知下さらないでせうかね。安くしますが。」
「さあだめだらう。酒はこっちにもあるんだから。」
「町から買ふんでせう。」
「いゝや」
「どこかに酒屋があるんですか。」
「酒屋ってわけぢゃない。」
 さあ署長はどきっとしました。
「どこですか。」
「どこって、組合とはまた別だからね。」若者はぴたっと口をつぐんでしまひました。さあ税務署長はまるで踊りあがるやうな気がした。もうたゞ一息だ。少くとも月一石づつつくってあちこちへ四五升づつ売ってゐるやつがある。今日中にはきっとつかまへてしまふぞ。
「椎蕈山は遠いんですか。」

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