[#地付き]一九二五、一、二五、
寅吉山の北のなだらで
雪がまばゆいタングステンの盤になり
山稜の樹の昇羃列が
そこに華麗な像をうつし
またふもとでは
枝打ちされた緑褐色の松並が
弧線《アーク》になってうかんでゐる
恍とした佇立のうちに
雲はばしゃばしゃ飛び
風は
中世騎士風の道徳をはこんでゐた
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四〇九
[#地付き]一九二五、一、二五、
今日もまたしやうがないな
青ぞらばかりうるうるで
窓から下はたゞいちめんのひかって白いのっぺらばう
砂漠みたいな氷原みたいな低い霧だ
雪にかんかん日が照って
あとで気温がさがってくると
かういふことになるんだな
泉沢だの藤原だの
太田へ帰る生徒らが
声だけがやがやすぐ窓下を通ってゐて
帽子も顔もなんにも見えず
たゞまっ白に光る霧が
ぎらぎら澱んでゐるばかり
もっとも向ふのはたけには
つるうめもどきの石藪が
小さな島にうかんでゐるし
正門ぎはのアカシヤ列は
茶いろな莢をたくさんつけて
蜃気楼そっくり
脚をぼんやり生えてゐる
さうだからといって……
なんだい泉沢なんどが
正門の前を通りながら
先生さよならなんといふ
いったい霧の中からは
こっちが見えるわけなのか
さよならなんていはれると
まるでわれわれ職員が
タイタニックの甲板で
Nearer my God か何かうたふ
悲壮な船客まがひである
むしろこの際進度表などなげ出して
寒暖計やテープをもって
霧にじゃぼんと跳びこむことだ
いくら異例の風景でも
立派な自然現象で
活動写真のトリックなどではないのだから
寒暖計も湿度計も……
……霧はもちろん飽和だが……
地表面から高さにつれて
ちがった数を出す筈だ
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四〇九 冬
[#地付き]一九二五、二、五、
がらにもない商略なんぞたてようとしたから
そんな嫌人症《ミザンスロピー》にとっつかまったんだ
……とんとん叩いてゐやがるな……
なんだい あんな 二つぽつんと赤い火は
……山地はしづかに収斂し
凍えてくらい月のあかりや雲……
八時の電車がきれいなあかりをいっぱいのせて
防雪林のてまへの橋をわたってくる
……あゝあ 風のなかへ消えてしまひたい……
蒼ざめた冬の層積雲が
ひがしへひがしへ畳んで行く
……とんとん叩いてゐやがるな……
世紀末風のぼんやり青い氷霧だの
こんもり暗い松山だのか
……ベルが鳴ってるよう……
向日葵の花のかはりに
電燈が三つ咲いてみたり
灌漑水《みづ》や肥料の不足な分で
温泉町ができてみたりだ
……ムーンディーアサンディーアだい……
巨きな雲の欠刻
……いっぱいにあかりを載せて電車がくる……
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九〇 風と反感
[#地付き]一九二五、二、一四、
狐の皮なぞのっそり巻いて
そんなをかしな反感だか何だか
真鍮いろの皿みたいなものを
風のなかからちぎって投げてよこしても
ごらんのとほりこっちは雪の松街道を
急いで出掛けて行くのだし
墓地にならんだ赭いひのきも見てゐるのだし
とてもいちいち受けつけてゐるひまがない
ははん
まちのうへのつめたいそらに
くろいけむりがながれるながれる
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四一〇 車中
[#地付き]一九二五、二、一五、
ばしゃばしゃした狸の毛を耳にはめ
黒いしゃっぽもきちんとかぶり
まなこにうつろの影をうかべ
……肥った妻と雪の鳥……
凜として
ここらの水底の窓ぎはに腰かけてゐる
ひとりの鉄道工夫である
……風が水より稠密で
水と氷は互に遷る
稲沼原の二月ころ……
なめらかででこぼこの窓硝子は
しろく澱んだ雪ぞらと
ひょろ長い松とをうつす
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四一一 未来圏からの影
[#地付き]一九二五、二、一五、
吹雪《フキ》はひどいし
けふもすさまじい落磐
……どうしてあんなにひっきりなし
凍った汽笛《フエ》を鳴らすのか……
影や恐ろしいけむりのなかから
蒼ざめてひとがよろよろあらはれる
それは氷の未来圏からなげられた
戦慄すべきおれの影だ
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四一五
[#地付き]一九二五、二、一五、
暮れちかい
吹雪の底の店さきに
萌黄いろしたきれいな頸を
すなほに伸ばして吊り下げられる
小さないちはの家鴨の子
……屠者はおもむろに呪し
鮫の黒肉《み》はわびしく凍る……
風の擦過の向ふでは
にせ巡礼の鈴の音
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四一九 奏鳴的説明
[#地付き]一九二五、二、一五、
雲もぎらぎらにちぢれ
木が還《げん》照のなかから生えたつとき
翻へったり砕けたり或は全い空明を示したり
吹雪はかがやく流沙のごとくに
地平はるかに移り行きます
それはあやしい火にさへなって
ひとびとの視官を眩惑いたします
或は燃えあがるボヘミヤの玻璃
すさまじき光と風との奏鳴者
そも氷片にまた趨光の性あるか
はた天球の極を索むる泳動か
そらのフラスコ、
四万アールの散乱質は
旋る日脚に従って
地平はるかに遷り行きます
その風の脚
まばゆくまぶしい光のなかを
スキップといふかたちをなして
一の黒影こなたへ来れば
いまや日は乱雲に落ち
そのへりは烈しい鏡を示します
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五〇四
[#地付き]一九二五、四、二、
硫黄いろした天球を
煤けた雲がいくきれか翔け
肥料倉庫の亜鉛の屋根で
鳥がするどくひるがへる
最後に湿った真鍮を
二きれ投げて日は沈み
おもちゃのやうな小さな汽車は
教師や技手を四五人乗せて
東の青い古生山地に出発する
……大豆《まめ》の玉負ふその人に
希臘古聖のすがたあり……
積まれて酸える枕木や
けむりのなかの赤いシグナル
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五〇六
[#地付き]一九二五、四、二、
そのとき嫁いだ妹に云ふ
十三もある昴の星を
汗に眼を蝕まれ
あるいは五つや七つと数へ
或いは一つの雲と見る
老いた野原の師父たちのため
老いと病ひになげいては
その子と孫にあざけられ
死にの床では誰ひとり
たゞ安らかにその道を
行けと云はれぬ嫗のために
……水音とホップのかをり
青ぐらい峡の月光……
おまへのいまだに頑是なく
赤い毛糸のはっぴを着せた
まなこつぶらな童子をば
舞台の雪と青いあかりにしばらく貸せと
……ほのかにしろい並列は
達曾部川の鉄橋の脚……
そこではしづかにこの国の
古い和讃の海が鳴り
地蔵菩薩はそのかみの、
母の死による発心を、
眉やはらかに物がたり
孝子は誨へられたるやうに
無心に両手を合すであらう
(菩薩威霊を仮したまへ)
ぎざぎざの黒い崖から
雪融の水が崩れ落ち
種山あたり雲の蛍光
雪か雲かの変質が
その高原のしづかな頂部で行はれる
……まなこつぶらな童子をば
しばらくわれに貸せといふ……
いまシグナルの暗い青燈
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五〇八 発電所
[#地付き]一九二五、四、二、
鈍った雪をあちこち載せる
鉄やギャプロの峯の脚
二十日の月の錫のあかりを
わづかに赤い落水管と
ガラスづくりの発電室と
……また余水吐の青じろい滝……
くろい蝸牛水車《スネールタービン》で
早くも春の雷気を鳴らし
鞘翅発電機《ダイナモコレオプテラ》をもって
愴たる夜中のねむけをふるはせ
むら気な十の電圧計や
もっと多情な電流計で
鉛直フズリナ配電盤に
交通地図の模型をつくり
大トランスの六つから
三万ボルトのけいれんを
塔の初号に連結すれば
幾列の清冽な電燈は
青じろい風や川をわたり
まっ黒な工場の夜の屋根から
赤い傘、火花の雲を噴きあげる
[#改ページ]
五一一
[#地付き]一九二五、四、二、
……はつれて軋る手袋と
盲ひ凍えた月の鉛……
県道《みち》のよごれた凍《し》み雪が
西につゞいて氷河に見え
畳んでくらい丘丘を
春のキメラがしづかに翔ける
……眼に象って
かなしいその眼に象って……
北で一つの松山が
重く澱んだ夜なかの雲に
肩から上をどんより消され
黒い地平の遠くでは
何か玻璃器を軋らすやうに
鳥がたくさん啼いてゐる
……眼に象って
泪をたゝへた眼に象って……
丘いちめんに風がごうごう吹いてゐる
ところがこゝは黄いろな芝がぼんやり敷いて
笹がすこうしさやぐきり
たとへばねむたい空気の沼だ
かういふひそかな空気の沼を
板やわづかの漆喰から
正方体にこしらへあげて
ふたりだまって座ったり
うすい緑茶をのんだりする
どうしてさういふやさしいことを
卑しむこともなかったのだ
……眼に象って
かなしいあの眼に象って……
あらゆる好意や戒めを
それが安易であるばかりに
ことさら嘲けり払ったあと
ここには乱れる憤りと
病ひに移化する困憊ばかり
……鳥が林の裾の方でも鳴いてゐる……
……霰か氷雨を含むらしい
黒く珂質の雲の下
三郎沼の岸からかけて
夜なかの巨きな林檎の樹に
しきりに鳴きかふ磁製の鳥だ……
(わたくしのつくった蝗を見てください)
(なるほどそれは
ロッキー蝗といふふうですね
チョークでへりを隈どった
黒の模様がおもしろい
それは一疋だけ見本ですね)
おゝ月の座の雲の銀
巨きな喪服のやうにも見える
[#改ページ]
五一五 朝餐
[#地付き]一九二五、四、五、
苔に座ってたべてると
麦粉と塩でこしらへた
このまっ白な鋳物の盤の
何と立派でおいしいことよ
裏にはみんな曲った松を浮き出して、
表は点の括り字で「大」といふ字を鋳出してある
この大の字はこのせんべいが大きいといふ広告なのか
あの人の名を大蔵とでも云ふのだらうか
さうでなければどこかで買った古型だらう
たしかびっこをひいてゐた
発破で足をけがしたために
生れた村の入口で
せんべいなどを焼いてくらすといふこともある
白銅一つごくていねいに受けとって
がさがさこれを数へてゐたら
赤髪のこどもがそばから一枚くれといふ
人は腹ではくつくつわらひ
顔はしかめてやぶけたやつを見附けてやった
林は西のつめたい風の朝
頭の上にも曲った松がにょきにょき立って
白い小麦のこのパンケーキのおいしさよ
競馬の馬がはうれん草を食ふやうに
アメリカ人がアスパラガスを喰ふやうに
すきとほった風といっしょにむさぼりたべる
こんなのをこそ speisen とし云ふべきだ
……雲はまばゆく奔騰し
野原の遠くで雷が鳴る……
林のバルサムの匂を呑み
あたらしいあさひの蜜にすかして
わたくしはこの終りの白い大の字を食ふ
[#改ページ]
五一九 春
[#地付き]一九二五、四、一二、
烈しいかげろふの波のなかを、
紺の麻着た肩はゞひろいわかものが
何かゆっくりはぎしりをして行きすぎる、
どこかの愉快な通商国へ
挨拶をしに出掛けるとでもいふ風だ
……あをあを燃える山の雪……
かれくさもゆれ笹もゆれ
こんがらかった遠くの桑のはたけでは
煙の青い lento もながれ
崖の上ではこどもの凧の尾もひかる
……ひばりの声の遠いのは
そいつがみんな
かげろふの行く高いところで啼くためだ……
ぎゅっぎゅっぎゅっぎゅっはぎしりをして
ひとは林にはひって行く
[#改ページ]
五二〇
[#地付き]一九二五、四、一八、
地蔵堂の五本の巨杉《すぎ》が
まばゆい春の空気の海に
もくもくもくもく盛りあがるのは
古い怪《け》性の青唐獅子の一族が
ここで誰かの呪文を食って
仏法守護を命ぜられたといふかたち
……地獄のまっ黒けの花椰菜め!
そらをひっかく鉄の箒め!……
地蔵堂のこっちに続き
さくらもしだれの柳も匝《めぐ》る
風にひなびた天台|寺《でら》は
悧発で純な三年生の寛の家
寛がいまより小さなとき
鉛いろした障子だの
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