その地図にある防火線とさ
あとからできた防火線とがどうしてわかる?

泥炭層の伏流が
どういふものか承知かね?

それで結局迷ってしまふ
そのとき磁石の方角だけで
まっ赤に枯れた柏のなかや
うつぎやばらの大きな藪を
どんどん走って来れるかね?

そしてたうとう日が暮れて
みぞれが降るかもしれないが
どうだそれでもでかけるか?

はあ さうか
[#改ページ]

  三三〇
[#地付き]一九二四、一〇、二六、

(うとうとするとひやりとくる)
(かげろふがみな横なぎですよ)
(斧劈皺雪置く山となりにけりだ)
(大人昨夜眠熟せしや)
(唯《ヤー》とや云はん否《ナイン》とやいはん)
(夜半の雹雷知りたまへるや)
(雷をば覚らず喃語は聴けり)
(何でせうメチール入りの葡萄酒もって
 寅松宵に行ったでせう)
(おまけにちゃんと徳利へ入れて
 ほやほや燗をつけてゐた
 だがメチルではなかったやうだ)
(いやアルコールを獣医とかから
 何十何べん買ふさうです
 寅松なかなかやりますからな)
(湧水にでも行っただらうか)
(柏のかげに寝てますよ)
(しかし午前はよくうごいたぞ
 標石十も埋めたからな)
(寅松どうも何ですよ
 ひとみ黄いろのくはしめなんて
 ぼくらが毎日云ったので
 刺戟を受けたらしいんです)
(そいつはちょっとどうだらう)
(もっともゲルベアウゲの方も
 いっぺん身売りにきまったとこを
 やっとああしてゐるさうですが)
(あんまり馬が廉いもなあ)
(ばあさんもゆふべきのこを焼いて
 ぼくにはいろいろ口説いたですよ
 何ぼ何食って育《おが》ったからって
 あんまりむごいはなしだなんて)
(でも寅松へ嫁るんだらう)
(さあ寅松へどうですか
 野馬をわざと畑へ入れて
 放牧主へ文句をつけたことなどを
 ばあさん云ってゐましたからね)
(それでは嫁る気もないんだな)
(キャベヂの湯煮にも飽きましたなあ)
(都にこそは待ちたまふらん)
(それはそっちのことでせう
 ご機嫌いかゞとあったでせう)
(安息す鈴蘭の蓐だ)
(さあれその蓐古びて黄なりです)
(山嶺既に※[#「りっしんべん+豈」、第3水準1−84−59]々)
(天蓋朱黄燃ゆるは如何)
(爪哇の僭王胡瓜を啖ふ)
(誰か王位を微風に承けん)
(アダヂオは弦にはじまる)
(柏影霜葉喃語を棄てず)
(冠毛燈! ドラモンド光!)
[#改ページ]

  三二四  郊外
[#地付き]一九二四、一〇、二九、

卑しくひかる乱雲が
ときどき凍った雨をおとし
野原は寒くあかるくて
水路もゆらぎ
穂のない粟の塔も消される
    鷹は鱗を片映えさせて
    まひるの雲の下底をよぎり
    ひとはちぎれた海藻を着て
    煮られた塩の魚《さかな》をおもふ
西はうづまく風の縁《へり》
紅くたゞれた錦の皺を
つぎつぎ伸びたりつまづいたり
乱積雲のわびしい影が
まなこのかぎり南へ滑り
山の向ふの秋田のそらは
かすかに白い雲の髪
    毬をかゝげた二本杉
    七庚申の石の塚
たちまち山の襞いちめんを
霧が火むらに燃えたてば
江釣子森の松むらばかり
黒々として溶け残り
人はむなしい幽霊写真
たゞぼんやりと風を見送る
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  三一三  命令
[#地付き]一九二四、一一、二、

マイナス第一中隊は
午前一時に露営地を出発し
現在の松並木を南方に前進して
向ふの、
あの、
そら、
あの黒い特立樹の尖端から
右方指二本の緑の星、
あすこの泉地を経過して
市街のコロイダーレな照明を攻撃せよ
 第一小隊長
 きさまは途中の行軍中、
 そらのねむけを噛みながら行け
それから市街地近傍の、
並木に沿った沼沢には
睡蓮や蓴菜
いろいろな燐光が出没するけれども
すこしもそれにかまってはならない
いいか わかったか
命令 終り
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  三〇五
[#地付き]一九二四、一一、一〇、

その洋傘《かさ》だけでどうかなあ
虹の背後《うしろ》が青く暗くて怪《をか》しいし
そのまた下があんなまっ赤な山と谷
  ……こんもりと松の籠《こも》った岩の鐘……
日にだまされてでかけて行くと
シャツの底まで凍ってしまふ
  ……建物中の玻璃《ガラス》の窓が
    みんないちどにがたがた鳴って
    林はまるで津波のやう……
ああもう向ふで降ってゐる
へんにはげしく光ってゐる
どうも雨ではないらしい
  ……もうそこらへもやってくる
    まっ赤な山もだんだんかくれ
    木の葉はまるで鼠のやうに
    ぐらぐら東へ流される……
それに上には副虹だ
あの副虹のでるときが
いちばん胸にわるいんだ
  ……ロンドンパープルやパリスグリン
    あらゆる毒剤のにほひを盛って
    青い弧《アーク》を虚空《そら》いっぱいに張りわたす……
まあ掛けたまへ
ぢきにきれいな天気になるし
なにか仕度もさがすから
  ……たれも行かないひるまの野原
    天気の猫の目のなかを
    防水服や白い木綿の手袋は
    まづロビンソンクルーソー……
ちょっとかはった葉巻を巻いた
フェアスモークといふもんさ
それもいっしょにもってくる
[#改ページ]

  三三一  孤独と風童
[#地付き]一九二四、一一、二三、

シグナルの
赤いあかりもともったし
そこらの雲もちらけてしまふ
プラットフォームは
Yの字をした柱だの
犬の毛皮を着た農夫だの
けふもすっかり酸えてしまった

東へ行くの?
白いみかげの胃の方へかい
さう
では おいで
行きがけにねえ
向ふの
あの
ぼんやりとした葡萄いろのそらを通って
大荒沢やあっちはひどい雪ですと
ぼくが云ったと云っとくれ
では
さやうなら
[#改ページ]

  三三八  異途への出発
[#地付き]一九二五、一、五、

月の惑みと
巨きな雪の盤とのなかに
あてなくひとり下り立てば
あしもとは軋り
寒冷でまっくろな空虚は
がらんと額に臨んでゐる
   ……楽手たちは蒼ざめて死に
     嬰児は水いろのもやにうまれた……
尖った青い燐光が
いちめんそこらの雪を縫って
せはしく浮いたり沈んだり
しんしんと風を集積する
   ……ああアカシヤの黒い列……
みんなに義理をかいてまで
こんや旅だつこのみちも
じつはたゞしいものでなく
誰のためにもならないのだと
いままでにしろわかってゐて
それでどうにもならないのだ
   ……底びかりする水晶天の
     一ひら白い裂罅《ひび》のあと……
雪が一そうまたたいて
そこらを海よりさびしくする
[#改ページ]

  三四三  暁穹への嫉妬
[#地付き]一九二五、一、六、

薔薇輝石や雪のエッセンスを集めて、
ひかりけだかくかゞやきながら
その清麗なサファイア風の惑星を
溶かさうとするあけがたのそら
さっきはみちは渚をつたひ
波もねむたくゆれてゐたとき
星はあやしく澄みわたり
過冷な天の水そこで
青い合図《wink》をいくたびいくつも投げてゐた
それなのにいま
(ところがあいつはまん円なもんで
リングもあれば月も七っつもってゐる
第一あんなもの生きてもゐないし
まあ行って見ろごそごそだぞ)と
草刈が云ったとしても
ぼくがあいつを恋するために
このうつくしいあけぞらを
変な顔して 見てゐることは変らない
変らないどこかそんなことなど云はれると
いよいよぼくはどうしていゝかわからなくなる
……雪をかぶったはひびゃくしんと
  百の岬がいま明ける
  万葉風の青海原よ……
滅びる鳥の種族のやうに
星はもいちどひるがへる
[#改ページ]

  三五一  発動機船
[#地付き]一九二五、一、八、

水底の岩層も見え
藻の群落も手にとるやうな
アンデルゼンの月夜の海を
船は真鍮のラッパを吹いて
[#改ページ]

  三五六  旅程幻想
[#地付き]一九二五、一、八、

さびしい不漁と旱害のあとを
海に沿ふ
いくつもの峠を越えたり
萱の野原を通ったりして
ひとりここまで来たのだけれども
いまこの荒れた河原の砂の、
うす陽のなかにまどろめば、
肩またせなのうら寒く
何か不安なこの感じは
たしかしまひの硅板岩の峠の上で
放牧用の木柵の
楢の扉を開けたまゝ
みちを急いだためらしく
そこの光ってつめたいそらや
やどり木のある栗の木なども眼にうかぶ
その川上の幾重の雲と
つめたい日射しの格子のなかで
何か知らない巨きな鳥が
かすかにごろごろ鳴いてゐる
[#改ページ]

  三五八  峠
[#地付き]一九二五、一、九、

あんまり眩ゆく山がまはりをうねるので
ここらはまるで何か光機の焦点のやう
蒼穹《あをぞら》ばかり、
いよいよ暗く陥ち込んでゐる、
  (鉄鉱床のダイナマイトだ
   いまのあやしい呟きは!)
冷たい風が、
せはしく西から襲ふので
白樺はみな、
ねぢれた枝を東のそらの海の光へ伸ばし
雪と露岩のけはしい二色の起伏のはてで
二十世紀の太平洋が、
青くなまめきけむってゐる
黒い岬のこっちには
釜石湾の一つぶ華奢なエメラルド
   ……そこでは叔父のこどもらが
     みんなすくすくと育ってゐた……
あたらしい風が翔ければ
白樺の木は鋼のやうにりんりん鳴らす
[#改ページ]

  四〇一  氷質の冗談
[#地付き]一九二五、一、一八、

職員諸兄 学校がもう砂漠のなかに来てますぞ
杉の林がペルシャなつめに変ってしまひ
はたけも藪もなくなって
そこらはいちめん氷凍された砂けむりです
白淵先生 北緯三十九度辺まで
アラビヤ魔神が出て来ますのに
大本山からなんにもお触れがなかったですか
さっきわれわれが教室から帰ったときは
そこは賑やかな空気の祭
青くかゞやく天の椀から
ねむや鵝鳥の花も胸毛も降ってゐました
それからあなたが進度表などお綴ぢになり
わたくしが火をたきつけてゐたそのひまに
あの妖質のみづうみが
ぎらぎらひかってよどんだのです
えゝ さうなんです
もしわたくしがあなたの方の管長ならば
こんなときこそ布教使がたを
みんな巨きな駱駝に乗せて
あのほのじろくあえかな霧のイリデ※[#小書き片仮名ス、1−6−80]センス
蛋白石のけむりのなかに
もうどこまでもだしてやります
そんな砂漠の漂ふ大きな虚像のなかを
あるいはひとり
あるいは兵士や隊商連のなかまに入れて
熱く息づくらくだのせなの革嚢に
世界の辛苦を一杯につめ
極地の海に堅く封じて沈めることを命じます
そしたらたぶん それは強力な竜にかはって
地球一めんはげしい雹を降らすでせう
そのときわたくし管長は
東京の中本山の玻璃台にろ頂部だけをてかてか剃って
九条のけさをかけて立ち
二人の侍者に香炉と白い百合の花とをさゝげさせ
空を仰いでごくおもむろに
竜をなだめる二行の迦陀をつくります
いやごらんなさい
たうとう新聞記者がやってきました
[#改ページ]

  四〇七  森林軌道
[#地付き]一九二五、一、二五、

岩手火山が巨きな氷霧の套をつけて
そのいたゞきを陰気な亜鉛の粉にうづめ
裾に岱赭の落葉松の方林を
林道白く連結すれば
そこから寒い負性の雪が
小松の黒い金米糖を
野原いちめん散点する
   ……川の音から風の音から
     とろがかすかにひびいてくる……
南はうるむ雪ぐもを
盛岡の市は沈んで見えず
三つ森山の西半分に
雑木がぼうとくすぶって
のこりが鈍いぶりきいろ
   ……鎔岩流の刻みの上に
     二つの鬼語が横行する……
いきなり一すぢ
吹雪《フキ》が螺旋に舞ひあがり
続いて一すぢまた立てば
いまはもう野はら一ぱい
あっちもこっちも
空気に孔があいたやう
巌稜も一斉に噴く
   ……四番のとろは
     ひどく難儀をしてゐるらしく
     音も却って遠くへ行った……
一つの雪の欠け目から
白い光が斜めに射し
山は灰より巨きくて
林もはんぶんけむりに陥ちる
   ……鳥はさっきから一生けん命
     吹雪の柱を縫ひながら
     風の高みに叫んでゐた……
[#改ページ]

  四〇八

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