して立ってゐるだけだ)
南に向いた銅いろの上半身
髪はちゞれて風にみだれる
印度の力士といふ風だ
それはその巨きな杉の樹神だらうか
あるいは風のひとりだらうか
[#改ページ]
一九八 雲
[#地付き]一九二四、九、九、
いっしゃうけんめいやってきたといっても
ねごとみたいな
にごりさけみたいなことだ
……ぬれた夜なかの焼きぼっ杭によっかかり……
おい きゃうだい
へんじしてくれ
そのまっくろな雲のなかから
[#改ページ]
一九五 塚と風
[#地付き]一九二四、九、一〇、
……わたくしに関して一つの塚とこゝを通過する風とが
あるときこんなやうな存在であることを示した……
この人ぁくすぐらへでぁのだもなす
たれかが右の方で云ふ
髪を逆立てた印度の力士ふうのものが
口をゆがめ眼をいからせて
一生けんめいとられた腕をもぎはなし
東に走って行かうとする
その肩や胸には赤い斑点がある
後光もあれば鏡もあり
青いそらには瓔珞もきらめく
子どもに乳をやる女
その右乳ぶさあまり大きく角だって
いちめん赤い痘瘡がある
掌のなかばから切られた指
これはやっぱりこの塚のだらうか
わたくしのではない
柳沢さんのでなくてまづ好がった
袴をはいた烏天狗だ
や、西行、
上……見……る……に……は……及……ば……な……い……
や……っ……ぱ……り……下……見……る……の……だ
呟くやうな水のこぼこぼ鳴るやうな
私の考と阿部孝の考とを
ちゃうど神楽の剣舞のやうに
対称的に双方から合せて
そのかっぽれ 学校へ来んかなと云ったのだ
こどもが二人母にだかれてねむってゐる
いぢめてやりたい
いぢめてやりたい
いぢめてやりたい
誰かが泣いて云ひながら行きすぎる
[#改ページ]
一九六
[#地付き]九、一〇、
かぜがくれば
ひとはダイナモになり
……白い上着がぶりぶりふるふ……
木はみな青いラムプをつるし
雲は尾をひいてはせちがひ
山はひとつのカメレオンで
藍青やかなしみや
いろいろの色素粒が
そこにせはしく出没する
[#改ページ]
三〇一 秋と負債
[#地付き]一九二四、九、一六、
半穹二グロスからの電燈が
おもひおもひの焦点《フォカス》をむすび
はしらの陰影《かげ》を地に落し
濃淡な夜の輻射をつくる
……またあま雲の螺鈿からくる青びかり……
ポランの広場の夏の祭の負債から
わたくしはしかたなくここにとゞまり
ひとりまばゆく直立して
いろいろな目にあふのであるが
さて徐ろに四周を見れば
これらの二つのつめたい光の交叉のほかに
もひとつ見えない第三種の照射があって
ここのなめらかな白雲石《ドロミット》の床に
わたくしの影を花盞のかたちに投げてゐる
しさいに観ずれば観ずるほど
それがいよいよ皎かで
ポランの広場の狼避けの柵にもちゃうどあたるので
もうわたくしはあんな sottise な灰いろのけだものを
二度おもひだす要もない
[#改ページ]
三〇四
[#地付き]一九二四、九、一七、
落葉松の方陣は
せいせい水を吸ひあげて
ピネンも噴きリモネンも吐き酸素もふく
ところが栗の木立の方は
まづ一とほり酸素と水の蒸気を噴いて
あとはたくさん青いラムプを吊すだけ
……林いっぱい虻蜂《すがる》のふるひ……
いずれにしてもこのへんは
半蔭地《ハーフシェード》の標本なので
羊歯類などの培養には
申しぶんない条件ぞろひ
……ひかって華奢にひるがへるのは何鳥だ……
水いろのそら白い雲
すっかりアカシヤづくりになった
……こんどは蝉の瓦斯発動機《ガスエンヂン》が林をめぐり
日は青いモザイクになって揺めく……
鳥はどこかで
青じろい尖舌《シタ》を出すことをかんがへてるぞ
(おお栗樹《カスタネア》 花|謝《お》ちし
なれをあさみてなにかせん)
……ても古くさいスペクトル!
飾禾草《オーナメンタルグラス》の穂!……
風がにはかに吹きだすと
暗い虹だの顫へるなみが
息もつけなくなるくらゐ
そこらいっぱいひかり出す
それはちひさな蜘蛛の巣だ
半透明な緑の蜘蛛が
森いっぱいにミクロトームを装置して
虫のくるのを待ってゐる
にもかゝはらず虫はどんどん飛んでゐる
あのありふれた百が単位の羽虫の輩が
みんな小さな弧光燈《アークライト》といふやうに
さかさになったり斜めになったり
自由自在に一生けんめい飛んでゐる
それもああまで本気に飛べば
公算論のいかものなどは
もう誰にしろ持ち出せない
むしろ情に富むものは
一ぴきごとに伝記を書くといふかもしれん
(おゝ栗樹《カスタネア》 花去りて
その実はなほし杳かなり)
鳥がどこかで
また青じろい尖舌《シタ》を出す
[#改ページ]
三〇七
[#地付き]一九二四、九、二七、
しばらくぼうと西日に向ひ
またいそがしくからだをまげて
重ねた粟を束ねだす
こどもらは向ふでわらひ
女たちも一生けん命
古金のはたけに出没する
……崖はいちめん
すすきの花のまっ白な火だ……
こんどはいきなり身構へて
繰るやうにたぐるやうに刈って行く
黝んで濁った赤い粟の稈
※[#始め二重括弧、1−2−54]かべ いいいい い
なら いいいい い※[#終わり二重括弧、1−2−55]
……あんまり萱穂がひかるので
こどもらまでがさわぎだす……
濁って赤い花青素《アントケアン》の粟ばたで
ひとはしきりにはたらいてゐる
……風にゆすれる蓼の花
ちぢれて傷む西の雲……
女たちも一生けん命
くらい夕陽の流れを泳ぐ
……萱にとびこむ百舌の群
萱をとびたつ百舌の群……
抱くやうにたぐるやうに刈って行く
黝んで赤い粟の稈
……はたけのへりでは
麻の油緑も一れつ燃える……
※[#始め二重括弧、1−2−54]デデッポッポ
デデッポッポ※[#終わり二重括弧、1−2−55]
……こっちでべつのこどもらが
みちに板など持ちだして
とびこえながらうたってゐる……
はたけの方のこどもらは
もう風や夕陽の遠くへ行ってしまった
[#改ページ]
三〇九
[#地付き]一九二四、一〇、二、
南のはてが
灰いろをしてひかってゐる
ちぎれた雲のあひだから
そらと川とがしばらく闇に映《は》え合ふのだ
そこから岸の林をふくみ
川面いっぱいの液を孕んで
風がいっさん溯ってくる
ああまっ甲におれをうつ
……ちぎれた冬の外套を
翼手のやうにひるがへす……
(われ陀羅尼珠を失ふとき
落魄ひとしく迫り来りぬ)
風がふたゝびのぼってくる
こはれかかったらんかんを
嘲るやうにがたがた鳴らす
……どんなにおまへが潔癖らしい顔をしても
翼手をもった肖像は
もう乾板にはひってゐると……
(人も世間もどうとも云へ
おれはおまへの行く方角で
あらたな仕事を見つけるのだ)
風がまた来れば
一瞬白い水あかり
(待ておまへはアルモン黒《ブラック》だな)
乱れた鉛の雲の間に
ひどく傷んで月の死骸があらはれる
それはあるいは風に膨れた大きな白い星だらう
烏が軋り
雨はじめじめ落ちてくる
[#改ページ]
三一一 昏い秋
[#地付き]一九二四、一〇、四、
黒塚森の一群が
風の向ふにけむりを吐けば
そんなつめたい白い火むらは
北いっぱいに飛んでゐる
……野はらのひわれも火を噴きさう……
雲の鎖やむら立ちや
白いうつぼの稲田にたって
ひとは幽霊写真のやうに
ぼんやりとして風を見送る
[#改ページ]
三一三 産業組合青年会
[#地付き]一九二四、一〇、五、
祀られざるも神には神の身土があると
あざけるやうなうつろな声で
さう云ったのはいったい誰だ 席をわたったそれは誰だ
……雪をはらんだつめたい雨が
闇をぴしぴし縫ってゐる……
まことの道は
誰が云ったの行ったの
さういふ風のものでない
祭祀の有無を是非するならば
卑賤の神のその名にさへもふさはぬと
応へたものはいったい何だ いきまき応へたそれは何だ
……ときどき遠いわだちの跡で
水がかすかにひかるのは
東に畳む夜中の雲の
わづかに青い燐光による……
部落部落の小組合が
ハムをつくり羊毛を織り医薬を頒ち
村ごとのまたその聯合の大きなものが
山地の肩をひととこ砕いて
石灰岩末の幾千車かを
酸えた野原にそゝいだり
ゴムから靴を鋳たりもしよう
……くろく沈んだ並木のはてで
見えるともない遠くの町が
ぼんやり赤い火照りをあげる……
しかもこれら熱誠有為な村々の処士会同の夜半
祀られざるも神には神の身土があると
老いて呟くそれは誰だ
[#改ページ]
三一四
[#地付き]一九二四、一〇、五、
夜の湿気と風がさびしくいりまじり
松ややなぎの林はくろく
そらには暗い業の花びらがいっぱいで
わたくしは神々の名を録したことから
はげしく寒くふるへてゐる
[#改ページ]
三一七 善鬼呪禁
[#地付き]一九二四、一〇、一一、
なんぼあしたは木炭《すみ》を荷馬車に山に積み
くらいうちから町へ出かけて行くたって
こんな月夜の夜なかすぎ
稲をがさがさ高いところにかけたりなんかしてゐると
あんな遠くのうす墨いろの野原まで
葉擦れの音も聞えてゐたし
どこからどんな苦情が来ないもんでない
だいいちそうら
そうら あんなに
苗代の水がおはぐろみたいに黒くなり
畦に植わった大豆《まめ》もどしどし行列するし
十三日のけぶった月のあかりには
十字になった白い暈さへあらはれて
空も魚の眼球《めだま》に変り
いづれあんまり碌でもないことが
いくらもいくらも起ってくる
おまへは底びかりする北ぞらの
天河石《アマゾンストン》のところなんぞにうかびあがって
風をま喰《くら》ふ野原の慾とふたりづれ
威張って稲をかけてるけれど
おまへのだいじな女房は
地べたでつかれて酸乳みたいにやはくなり
口をすぼめてよろよろしながら
丸太のさきに稲束をつけては
もひとつもひとつおまへへ送り届けてゐる
どうせみんなの穫れない歳を
逆に旱魃《ひでり》でみのった稲だ
もういゝ加減区劃りをつけてはねおりて
鳥が渡りをはじめるまで
ぐっすり睡るとしたらどうだ
[#改ページ]
三二〇 ローマンス(断片)
[#地付き]一九二四、一〇、一二、
ぼくはもいちど見て来ますから
あなたはここで
月のあかりの汞から
咽喉だの胸を犯されないやう
よく気を付けて待っててください
あの綿火薬のけむりのことなぞ
もうお考へくださいますな
最後にひとつの積乱雲が
ひどくちぢれて砕けてしまふ
[#改ページ]
三三一 凍雨
[#地付き]一九二四、一〇、二四、
つめたい雨も木の葉も降り
町へでかけた用|足《タシ》たちも
背簑《ケラ》をぬらして帰ってくる
……凍らす風によみがへり
かなしい雲にわらふもの……
牆林《ヤグネ》は黝く
上根子堰の水もせゝらぎ
風のあかりやおぼろな雲に洗はれながら
きゃらの樹が塔のかたちにつくられたり
崖いっぱいの萱の根株が
妖しい紅《べに》をくゆらしたり
……さゝやく風に目を瞑り
みぞれの雲にあへぐもの……
北は鍋倉円満寺
南は太田飯豊笹間
小さな百の組合を
凍ってめぐる白の天涯
[#改ページ]
三二九
[#地付き]一九二四、一〇、二六、
野馬がかってにこさへたみちと
ほんとのみちとわかるかね?
なるほどおほばこセンホイン
その実物もたしかかね?
おんなじ型の黄いろな丘を
ずんずん数へて来れるかね?
前へ
次へ
全11ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮沢 賢治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング