思睡を翳す)
   南の松の林から
   なにかかすかな黄いろのけむり
(こっちのみちがいゝぢゃあないの)
(をかしな鳥があすこに居る!)
(どれだい)
   稲草が魔法使ひの眼鏡で見たといふふうで
   天があかるい孔雀石板で張られてゐるこのひなか
   川を見おろす高圧線に
   まこと思案のその鳥です
(ははあ、あいつはかはせみだ
 翡翠《かはせみ》さ めだまの赤い
 あゝミチア、今日もずゐぶん暑いねえ)
(何よ ミチアって)
(あいつの名だよ
 ミの字はせなかのなめらかさ
 チの字はくちのとがった工合
 アの字はつまり愛称だな)
(マリアのアの字も愛称なの?)
(ははは、来たな
 聖母はしかくののしりて
 クリスマスをば待ちたまふだ)
(クリスマスなら毎日だわ
 受難日だって毎日だわ
 あたらしいクリストは
 千人だってきかないから
 万人だってきかないから)
(ははあ こいつは…… )
   まだ魚狗《かはせみ》はじっとして
   川の青さをにらんでゐます
(……ではこんなのはどうだらう
 あたいの兄貴はやくざもの と)
(それなによ)
(まあ待って
 あたいの兄貴はやくざものと
 あしが弱くてあるきもできずと
 口をひらいて飛ぶのが手柄
 名前を夜鷹と申します)
(おもしろいわ それなによ)
(まあ待って
 それにおととも卑怯もの
 花をまはってミーミー鳴いて
 蜜を吸ふのが……えゝと、蜜を吸ふのが……)
(得意です?)
(いや)
(何より自慢?)
(いや、えゝと
 蜜を吸ふのが日永の仕事
 蜂の雀と申します)
(おもしろいわ それ何よ?)
(あたいといふのが誰だとおもふ?)
(わからないわ)
(あすこにとまっていらっしゃる
 目のりんとしたお嬢さん)
(かはせみ?)
(まあそのへん)
(よだかがあれの兄貴なの?)
(さうだとさ)
(蜂雀かが弟なの)
(さうだとさ
 第一それは女学校だかどこだかの
 おまへの本にあったんだぜ)
(知らないわ)
   さてもこんどは獅子独活《ししうど》の
   月光いろの繖形花から
   びろうどこがねが一聯隊
   青ぞら高く舞ひ立ちます
(まあ大きなバッタカップ!)
(ねえあれつきみさうだねえ)
(はははは)
(学名は何ていふのよ)
(学名なんかうるさいだらう)
(だって普通のことばでは
 属やなにかも知れないわ)
(エノテララマーキアナ何とかっていふんだ)
(ではラマークの発見だわね)
(発見にしちゃなりがすこうし大きいぞ)
   燕麦の白い鈴の上を
   へらさぎ二疋わたってきます
(どこかですももを灼いてるわ)
(あすこの松の林のなかで
 木炭《すみ》かなんかを焼いてるよ)
(木炭窯ぢゃない瓦窯だよ)
(瓦|窯《や》くとこ見てもいゝ?)
(いゝだらう)

 林のなかは淡いけむりと光の棒
 窯の奥には火がまっしろで
 屋根では一羽
 ひよがしきりに叫んでゐます
(まああたし
 ラマーキアナの花粉でいっぱいだわ)
    イリスの花はしづかに燃える
[#改ページ]

  一六六  薤露青
[#地付き]一九二四、七、一七、

みをつくしの列をなつかしくうかべ
薤露青の聖らかな空明のなかを
たえずさびしく湧き鳴りながら
よもすがら南十字へながれる水よ
岸のまっくろなくるみばやしのなかでは
いま膨大なわかちがたい夜の呼吸から
銀の分子が析出される
  ……みをつくしの影はうつくしく水にうつり
    プリオシンコーストに反射して崩れてくる波は
    ときどきかすかな燐光をなげる……
橋板や空がいきなりいままた明るくなるのは
この旱天のどこからかくるいなびかりらしい
水よわたくしの胸いっぱいの
やり場所のないかなしさを
はるかなマヂェランの星雲へとゞけてくれ
そこには赤いいさり火がゆらぎ
蝎がうす雲の上を這ふ
  ……たえず企画したえずかなしみ
    たえず窮乏をつゞけながら
    どこまでもながれて行くもの……
この星の夜の大河の欄干はもう朽ちた
わたくしはまた西のわづかな薄明の残りや
うすい血紅瑪瑙をのぞみ
しづかな鱗の呼吸をきく
  ……なつかしい夢のみをつくし……

声のいゝ製糸場の工女たちが
わたくしをあざけるやうに歌って行けば
そのなかにはわたくしの亡くなった妹の声が
たしかに二つも入ってゐる
  ……あの力いっぱいに
    細い弱いのどからうたふ女の声だ……
杉ばやしの上がいままた明るくなるのは
そこから月が出ようとしてゐるので
鳥はしきりにさわいでゐる
  ……みをつくしらは夢の兵隊……
南からまた電光がひらめけば
さかなはアセチレンの匂をはく
水は銀河の投影のやうに地平線までながれ
灰いろはがねのそらの環
  ……あゝ いとしくおもふものが
    そのまゝどこへ行ってしまったかわからないことが
    なんといふいゝことだらう……
かなしさは空明から降り
黒い鳥の鋭く過ぎるころ
秋の鮎のさびの模様が
そらに白く数条わたる
[#改ページ]

  一七九
[#地付き]一九二四、八、一七、

北いっぱいの星ぞらに
ぎざぎざ黒い嶺線が
手にとるやうに浮いてゐて
幾すぢ白いパラフ※[#小書き片仮名ヰ、391−6]ンを
つぎからつぎと噴いてゐる
  そこにもくもく月光を吸ふ
  蒼くくすんだ海綿体《カステーラ》
萱野十里もをはりになって
月はあかるく右手の谷に南中し
みちは一すぢしらしらとして
椈の林にはひらうとする
  ……あちこち白い楢の木立と
    降るやうな虫のジロフォン……
橙いろと緑との
花粉ぐらゐの小さな星が
互にさゝやきかはすがやうに
黒い露岩の向ふに沈み
山はつぎつぎそのでこぼこの嶺線から
パラフ※[#小書き片仮名ヰ、392−5]ンの紐をとばしたり
突然銀の挨拶を
上流《かみ》の仲間に抛げかけたり
  Astilbe argentium
  Astilbe platinicum
いちいちの草穂の影さへ落ちる
この清澄な昧爽ちかく
あゝ東方の普賢菩薩よ
微かに神威を垂れ給ひ
曾つて説かれし華厳のなか
仏界形円きもの
形花台の如きもの
覚者の意志に住するもの
衆生の業にしたがふもの
この星ぞらに指し給へ
  ……点々白い伐株と
    まがりくねった二本のかつら……
ひとすぢ蜘蛛の糸ながれ
ひらめく萱や
月はいたやの梢にくだけ
木影の窪んで鉛の網を
わくらばのやうに飛ぶ蛾もある
[#改ページ]

  一八一  早池峰山巓
[#地付き]一九二四、八、一七、

あやしい鉄の隈取りや
数の苔から彩られ
また捕虜岩《ゼノリス》の浮彫と
石絨の神経を懸ける
この山巓の岩組を
雲がきれぎれ叫んで飛べば
露はひかってこぼれ
釣鐘人蔘《ブリューベル》のいちいちの鐘もふるへる
みんなは木綿《ゆふ》の白衣をつけて
南は青いはひ松のなだらや
北は渦巻く雲の髪
草穂やいはかがみの花の間を
ちぎらすやうな冽たい風に
眼もうるうるして息《い》吹きながら
踵《くびす》を次いで攀ってくる
九旬にあまる旱天《ひでり》つゞきの焦燥や
夏蚕飼育の辛苦を了へて
よろこびと寒さとに泣くやうにしながら
たゞいっしんに登ってくる
   ……向ふではあたらしいぼそぼその雲が
     まっ白な火になって燃える……
ここはこけももとはなさくうめばちさう
かすかな岩の輻射もあれば
雲のレモンのにほひもする
[#改ページ]

  一八四  春
[#地付き]一九二四、八、二二、

空気がぬるみ
沼には鷺百合の花が咲いた
むすめたちは
みなつややかな黒髪をすべらかし
あたらしい紺のペッティコートや
また春らしい水いろの上着
プラットフォームの陸橋の段のところでは
赤縞のずぼんをはいた老楽長が
そらこんな工合だといふふうに
楽譜を読んできかせてゐるし
山脈はけむりになってほのかにながれ
鳥は燕麦のたねのやうに
いくかたまりもいくかたまりも過ぎ
青い蛇はきれいなはねをひろげて
そらのひかりをとんで行く
ワルツ第CZ号の列車は
まだ向ふのぷりぷり顫ふ地平線に
その白いかたちを見せてゐない
[#改ページ]

  一八四  「春」変奏曲
[#地付き]一九二四、八、二二、
[#地付き]一九三三、七 、五、

いろいろな花の爵やカップ、
それが厳めしい蓋を開けて、
青や黄いろの花粉を噴くと、
そのあるものは
片っぱしから沼に落ちて
渦になったり条になったり
ぎらぎら緑の葉をつき出した水ぎぼうしの株を
あっちへこっちへ避けてしづかに滑ってゐる
ところがプラットフォームにならんだむすめ
そのうちひとりがいつまでたっても笑ひをやめず
みんなが肩やせなかを叩き
いろいろしてももうどうしても笑ひやめず

(ギルダちゃんたらいつまでそんなに笑ふのよ)
(あたし……やめようとおも……ふんだけれど……)
(水を呑んだらいゝんぢゃあないの)
(誰かせなかをたゝくといゝわ)
(さっきのドラゴが何か悪気を吐いたのよ)
(眼がさきにをかしいの お口がさきにをかしいの?)
(そんなこときいたってしかたないわ)
(のどが……とっても……くすぐったい……の……)
(まあ大へんだわ あら楽長さんがやってきた)
(みんなこっちへかたまって、何かしたかい)
(ギルダちゃんとてもわらってひどいのよ)
(星葉木の胞子だらう
 のどをああんとしてごらん
 こっちの方のお日さまへ向いて
 さうさう おゝ桃いろのいゝのどだ
 やっぱりさうだ
 星……葉木の胞子だな
 つまり何だよ 星葉木の胞子にね
 四本の紐があるんだな
 そいつが息の出入のたんび
 湿気の加減がかはるんで、
 のどでのびたり、
 くるっと巻いたりするんだな
 誰かはんけちを、水でしぼってもっといで
 あっあっ沼の水ではだめだ、
 あすこでことこと云ってゐる
 タンクの脚でしぼっておいで
 ぜんたい星葉木なんか
 もう絶滅してゐる筈なんだが
 どこにいったいあるんだらう
 なんでも風の上だから
 あっちの方にはちがひないが)
  そっちの方には星葉木のかたちもなくて、
  手近に五本巨きなドロが
  かゞやかに日を分劃し
  わずかに風にゆれながら
  枝いっぱいに硫黄の粒を噴いてゐます
(先生、はんけち)
(ご苦労、ご苦労
 ではこれを口へあてて
 しづかに四五へん息をして さうさう
 えへんとひとつしてごらん
 もひとつえへん さう、どうだい)
(あゝ助かった
 先生どうもありがたう)
(ギルダちゃん おめでたう)
(ギルダちゃん おめでたう)
  ベーリング行XZ号の列車は
  いま触媒の白金を噴いて、
  線路に沿った黄いろな草地のカーペットを
  ぶすぶす黒く焼き込みながら
  梃々として走って来ます
[#改ページ]

  一九一  風と杉
[#地付き]一九二四、九、六、

杉のいちいちの緑褐の房に
まばゆい白い空がかぶさり
蜂《すがる》は熱いまぶたをうなり
風が吹けば白い建物
  ……一つの汽笛の Cork−screw ……
銀や痛みやさびしく口をつぐむひと
  ……それはわたしのやうでもある
    白金の毛あるこのけだもののまばゆい焦点……
半分溶けては雀が通り
思ひ出しては風が吹く
  ……どうもねむられない……
      (そらおかあさんを
       ねむりのなかに入れておあげ……)
杉の葉のまばゆい残像
ぽつんと白い銀の日輪
  ……まぶたは熱くオレンヂいろの火は燃える……
      (せめて地獄の鬼になれ)
  ……わたくしの唇は花のやうに咲く……
もいちどまばゆい白日輪
       :
       :
       :
      (ブレンカア)
      (こいづ葡萄だな)
  ……うす赤や黄金……
      (おい仕事わたせ
       おれの仕事わたせ)
       :
       :
       :
  朱塗のらんかん
      (百姓ならべつの仕事もあるだらう
       君はもうほんとにこゝに
       ひとをばかに
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