を落してやって
みんなもぼろぼろ泣いてゐた
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  一二六  牛
[#地付き]一九二四、五、二二、

一ぴきのエーシャ牛が
草と地靄に角をこすってあそんでゐる
うしろではパルプ工場の火照りが
夜なかの雲を焦がしてゐるし
低い砂丘の向ふでは
海がどんどん叩いてゐる
しかもじつに掬っても呑めさうな
黄銅いろの月あかりなので
牛はやっぱり機嫌よく
こんどは角で柵を叩いてあそんでゐる
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  一三三
[#地付き]一九二四、五、二三、

つめたい海の水銀が
無数かゞやく鉄針を
水平線に並行にうかべ
ことにも繁く島の左右に集めれば
島は霞んだ気層の底に
ひとつの硅化花園をつくる
銅緑《カパーグリン》の色丹松や
緑礬いろのとどまつねずこ
また水際には鮮らな銅で被はれた
巨きな枯れたいたやもあって
風のながれとねむりによって
みんないっしょに酸化されまた還元される
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  一三九  夏
[#地付き]一九二四、五、二三、

木の芽が油緑や喪神青にほころび
あちこち四角な山畑には
桐が睡たく咲きだせば
こどもをせおったかみさんたちが
毘沙門天にたてまつる
赤や黄いろの幡をもち
きみかげさうの空谷や
たゞれたやうに鳥のなく
いくつもの緩《ゆる》い峠を越える
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  一四五  比叡(幻聴)
[#地付き]一九二四、五、二五、

黒い麻のころもを着た
六人のたくましい僧たちと
わたくしは山の平に立ってゐる
  それは比叡で
  みんなの顔は熱してゐる
雲もけはしくせまってくるし
湖水も青く湛へてゐる
  (うぬぼれ うんきのないやつは)
ひとりが所在なささうにどなる
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  二七  鳥の遷移
[#地付き]一九二四、六、二一、

鳥がいっぴき葱緑の天をわたって行く
わたくしは二こゑのくゎくこうを聴く
からだがひどく巨きくて
それにコースも水平なので
誰か模型に弾条《バネ》でもつけて飛ばしたやう
それだけどこか気の毒だ
鳥は遷り さっきの声は時間の軸で
青い鏃のグラフをつくる
  ……きららかに畳む山彙と
    水いろのそらの縁辺……
鳥の形はもう見えず
いまわたくしのいもうとの
墓場の方で啼いてゐる
  ……その墓森の松のかげから
    黄いろな電車がすべってくる
    ガラスがいちまいふるへてひかる
    もう一枚がならんでひかる……
鳥はいつかずっとうしろの
煉瓦工場の森にまはって啼いてゐる
あるいはそれはべつのくゎくこうで
さっきのやつはまだくちはしをつぐんだまま
水を呑みたさうにしてそらを見上げながら
墓のうしろの松の木などに、
とまってゐるかもわからない
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  一五二  林学生
[#地付き]一九二四、六、二二、

ラクムス青《ブラウ》の風だといふ
シャツも手帳も染まるといふ
おゝ高雅なるこれらの花藪《やぶ》と火山塊との配列よ
ぼくはふたたびここを訪ひ
見取りをつくっておかうといふ
さうだかへってあとがいい
藪に花なぞない方が、
いろいろ緑《グリーン》の段階《ステーヂ》で
舶来風の粋《いき》だといふ
いゝやぼくのは画《ゑ》ぢゃないよ
あとでどこかの大公園に、
そっくり使ふ平面図だよ
うわあ測量するのかい
そいつの助手はごめんだよ
もちろんたのみはしないといふ
東の青い山地の上で
何か巨きなかけがねをかふ音がした
それは騎兵の演習だらう
いやさうでない盛岡駅の機関庫さ
そんなもんではぜんぜんない
すべてかういふ高みでは
かならずなにかあゝいふふうの、
得体のしれない音をきく
それは一箇の神秘だよ
神秘でないよ気圧だよ
気圧でないよ耳鳴りさ
みんないっしょに耳鳴りか
もいちど鳴るといゝなといふ
センチメンタル! 葉笛を吹くな
えゝシューベルトのセレナーデ
これから独奏なさいます
やかましいやかましいやかましいい
その葉をだいじにしまっておいて
晩頂上で吹けといふ
先生先生山地の上の重たいもやのうしろから
赤く潰れたをかしなものが昇《で》てくるといふ
   (それは潰れた赤い信頼!
    天台、ジェームスその他によれば!)
ここらの空気はまるで鉛糖溶液です
それにうしろも三合目まで
たゞまっ白な雲の澱みにかはってゐます
月がおぼろな赤いひかりを送ってよこし
遠くで柏が鳴るといふ
月のひかりがまるで掬って呑めさうだ
それから先生、鷹がどこかで磬を叩いてゐますといふ
   (ああさうですか 鷹が磬など叩くとしたら
    どてらを着てゐて叩くでせうね)
鷹ではないよ くひなだよ
くひなでないよ しぎだよといふ
月はだんだん明るくなり
羊歯ははがねになるといふ
みかげの山も粘板岩の高原も
もうとっぷりと暮れたといふ
ああこの風はすなはちぼく、
且つまたぼくが、
ながれる青い単斜のタッチの一片といふ
   (しかも 月《ルーノ》よ
    あなたの鈍い銅線の
    二三はひとももって居ります)
あっちでもこっちでも
鳥はしづかに叩くといふ
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  一五四  亜細亜学者の散策
[#地付き]一九二四、七、五、

気圧が高くなったので
地平の青い膨らみが
徐々に平位に復して来た
蓋し国土の質たるや
剛に過ぐるを尊ばず
地面が踏みに従って
小さい歪みをなすことは
天竺乃至西域の
永い夢想であったのである

紫紺のいろに湿った雲のこっち側
何か播かれた四角な畑に
かながら製の幢幡とでもいふべきものが
八つ正しく立てられてゐて
いろいろの風にさまざまになびくのは
たしかに鳥を追ふための装置であって
誰とて異論もないのであるが
それがことさらあゝいふ風な
八の数をそろへたり
方位を正して置かれたことは
ある種拝天の余習であるか
一種の隔世遺伝であるか
わたしはこれをある契機から
ドルメン周囲の施設の型と考へる

日が青山に落ちようとして
麦が古金に熟するとする
わたしが名指す古金とは
今日世上一般の
暗い黄いろなものでなく
竜樹菩薩の大論に
わづかに暗示されたるもの、
すなはちその徳はなはだ高く
その相はるかに旺んであって
むしろ quick gold ともなすべき
わくわくたるそれを云ふのである
水はいつでも水であって
一気圧下に零度で凍り
摂氏四度の水銀は、
比重十三ポイント六なるごとき
さうした式の考へ方は
現代科学の域内にても
俗説たるを免れぬ

さう亀茲国の夕日のなかを
やっぱりたぶんかういふふうに
鳥がすうすう流れたことは
そこの出土の壁画から
たゞちに指摘できるけれども
池地の青いけむりのなかを
はぐろとんぼがとんだかどうか
そは杳として知るを得ぬ
[#改ページ]

  一五五
[#地付き]一九二四、七、五、

温く含んだ南の風が
かたまりになったり紐になったりして
りうりう夜の稲を吹き
またまっ黒な水路のへりで
はんやくるみの木立にそゝぐ
  ……地平線地平線
    灰いろはがねの天末で
    銀河のはじが茫乎とけむる……
熟した藍や糀のにほひ
一きは過ぎる風跡に
蛙の族は声をかぎりにうたひ
ほたるはみだれていちめんとぶ
  ……赤眼の蠍
    萱の髪
    わづかに澱む風の皿……
螢は消えたりともったり
泥はぶつぶつ醗酵する
  ……風が蛙をからかって、
    そんなにぎゅっぎゅっ云はせるのか
    蛙が風をよろこんで、
    そんなにぎゅっぎゅっ叫ぶのか……
北の十字のまはりから
三目星《カシオペーア》の座のあたり
天はまるでいちめん
青じろい疱瘡にでもかかったやう
天の川はまたぼんやりと爆発する
  ……ながれるといふそのことが
    たゞもう風のこゝろなので
    稲を吹いては鳴らすと云ひ
    蛙に来ては鳴かすといふ……
天の川の見掛けの燃えを原因した
高みの風の一列は
射手のこっちで一つの邪気をそらにはく
それのみならず蠍座あたり
西蔵魔神の布呂に似た黒い思想があって
南斗のへんに吸ひついて
そこらの星をかくすのだ
けれども悪魔といふやつは、
天や鬼神とおんなじやうに、
どんなに力が強くても、
やっぱり流転のものだから
やっぱりあんなに
やっぱりあんなに
どんどん風に溶される
星はもうそのやさしい面影《アントリッツ》を恢復し
そらはふたゝび古代意慾の曼陀羅になる
  ……螢は青くすきとほり
    稲はざわざわ葉擦れする……
  うしろではまた天の川の小さな爆発
たちまち百のちぎれた雲が
星のまばらな西寄りで
難陀竜家の家紋を織り
天をよそほふ鬼の族は
ふたゝび蠍の大火ををかす
  ……蛙の族はまた軋り
    大梵天ははるかにわらふ……
奇怪な印を挙げながら
ほたるの二疋がもつれてのぼり
まっ赤な星もながれれば
水の中には末那の花
あゝあたたかな憂陀那の群が
南から幡になったり幕になったりして
くるみの枝をざわだたせ
またわれわれの耳もとで
銅鑼や銅角になって砕ければ
古生銀河の南のはじは
こんどは白い湯気を噴く
     (風ぐらを増す
      風ぐらを増す)
そうらこんどは
射手から一つ光照弾が投下され
風にあらびるやなぎのなかを
淫蕩に青くまた冴え冴えと
蛍の群がとびめぐる
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  一五六
[#地付き]一九二四、七、五、

この森を通りぬければ
みちはさっきの水車へもどる
鳥がぎらぎら啼いてゐる
たしか渡りのつぐみの群だ
夜どほし銀河の南のはじが
白く光って爆発したり
蛍があんまり流れたり
おまけに風がひっきりなしに樹をゆするので
鳥は落ちついて睡られず
あんなにひどくさわぐのだらう
けれども
わたくしが一あし林のなかにはいったばかりで
こんなにはげしく
こんなに一そうはげしく
まるでにはか雨のやうになくのは
何といふをかしなやつらだらう
ここは大きなひばの林で
そのまっ黒ないちいちの枝から
あちこち空のきれぎれが
いろいろにふるへたり呼吸したり
云はばあらゆる年代の
光の目録《カタログ》を送ってくる
  ……鳥があんまりさわぐので
    私はぼんやり立ってゐる……
みちはほのじろく向ふへながれ
一つの木立の窪みから
赤く濁った火星がのぼり
鳥は二羽だけいつかこっそりやって来て
何か冴え冴え軋って行った
あゝ風が吹いてあたたかさや銀の分子《モリキル》
あらゆる四面体の感触を送り
蛍が一そう乱れて飛べば
鳥は雨よりしげくなき
わたくしは死んだ妹の声を
林のはてのはてからきく
  ……それはもうさうでなくても
    誰でもおなじことなのだから
    またあたらしく考へ直すこともない……
草のいきれとひのきのにほひ
鳥はまた一そうひどくさわぎだす
どうしてそんなにさわぐのか
田に水を引く人たちが
抜き足をして林のへりをあるいても
南のそらで星がたびたび流れても
べつにあぶないことはない
しづかに睡ってかまはないのだ
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  一五七
[#地付き]一九二四、七、

ほほじろは鼓のかたちにひるがへるし
まっすぐにあがるひばりもある
岩頸列はまだ暗い霧にひたされて
貢った暁の睡りをまもってゐるが
この峡流の出口では
麻のにほひやオゾンの風
もう電動機《モートル》も電線も鳴る
夜もすがら
風と銀河のあかりのなかで
ガスエンヂンの爆音に
灌漑水の急にそなへたわかものたち、
いまはなやかな田園の黎明のために
それらの青い草山の
波立つ萱や、
古風な稗の野末をのぞみ
東のそらの黝んだ葡萄鼠と、
赤縞入りのアラゴナイトの盃で
この清冽な朝の酒を
胸いっぱいに汲まうでないか
見たまへあすこら四列の虹の交流を
水いろのそらの渚による沙に
いまあたらしく朱金や風がちゞれ
ポプルス楊の幾本が
繊細な葉をめいめいせはしくゆすってゐる
湧くやうにひるがへり
叫ぶやうにつたはり
じつにわれらのねがひをば
いっしんに発信してゐるのだ
[#改ページ]

  一五八
[#地付き]一九二四、七、一五、

(北上川は※[#「螢」の「虫」に代えて「火」、第3水準1−87−61]気をながしィ
 山はまひるの
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