いアングロアラヴ
 光って華奢なサラーブレッド
風の透明な楔形文字は
ごつごつ暗いくるみの枝に来て鳴らし
またいぬがやや笹をゆすれば
 ふさふさ白い尾をひらめかす重挽馬
 あるいは巨きなとかげのやうに
 日を航海するハックニー
馬はつぎつぎあらはれて
泥灰岩の稜を噛む
おぼろな雪融の流れをのぼり
孔雀の石のそらの下
にぎやかな光の市場
種馬検査所へつれられて行く

   3

かぐはしい南の風は
かげろふと青い雲※[#「さんずい+鶲のへん」、第4水準2−79−5]を載せて
なだらのくさをすべって行けば
かたくりの花もその葉の班も燃える
黒い廏肥の籠をになって
黄や橙のかつぎによそひ
いちれつみんなはのぼってくる

みんなはかぐはしい丘のいたゞき近く
黄金のゴールを梢につけた
大きな栗の陰影に来て
その消え残りの銀の雪から
燃える頬やうなじをひやす

しかもわたくしは
このかゞやかな石竹いろの時候を
第何ばん目の辛酸の春に数へたらいゝか
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  七八
[#地付き]一九二四、四、二七、

向ふも春のお勤めなので
すっきり青くやってくる
町ぜんたいにかけわたす
大きな虹をうしろにしょって
急いでゐるのもむじゃきだし
鷺のかたちにちぢれた雲の
そのまっ下をやってくるのもかあいさう
  (Bonan Tagon, Sinjoro!)
  (Bonan Tagon, Sinjoro!)
桜の花が日に照ると
どこか蛙の卵のやうだ
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  八六  山火
[#地付き]一九二四、五、四、

風がきれぎれ遠い列車のどよみを載せて
樹々にさびしく復誦する
   ……その青黒い混淆林のてっぺんで
     鳥が "Zwar" と叫んでゐる……
こんどは風のけじろい外《そ》れを
蛙があちこちぼそぼそ咽び
舎生が潰れた喇叭を吹く
古びて蒼い黄昏である
   ……こんやも山が焼けてゐる……
野面ははげしいかげろふの波
茫と緑な麦ばたや
しまひは黝い乾田《かたた》のはてに
濁って青い信号燈《シグナル》の浮標《ブイ》
   ……焼けてゐるのは達曾部あたり……
まあたらしい南の風が
はやしの縁で砕ければ
馬をなだめる遥かな最低音《バス》と
つめたくふるふ野薔薇の芬気《かをり》
   ……山火がにはかに二つになる……
信号燈《シグナル》は赤く転《かは》ってすきとほり
いちれつ浮ぶ防雪林を
淡い客車の光廓が
音なく北へかけぬける
   ……火は南でも燃えてゐる
     ドルメンまがひの花崗岩《みかげ》を載せた
     千尺ばかりの準平原が
     あっちもこっちも燃えてるらしい
     〈古代神楽を伝へたり
      古風に公事をしたりする
      大|償《つぐなひ》や八木巻へんの
      小さな森林消防隊〉……
蛙は遠くでかすかにさやぎ
もいちどねぐらにはばたく鳥と
星のまはりの青い暈《かさ》
   ……山火はけぶり 山火はけぶり……
半霄くらい稲光りから
わづかに風が洗はれる
[#改ページ]

  九〇
[#地付き]一九二四、五、六、

祠の前のちしゃのいろした草はらに
木影がまだらに降ってゐる
   ……鳥はコバルト山に翔け……
ちしゃのいろした草地のはてに
杉がもくもくならんでゐる
   ……鳥はコバルト山に翔け……
那智先生の筆塚が
青ぐもやまた氷雲の底で
鐚《びた》のかたちの粉苔をつける
   ……鳥はコバルト山に翔け……
二本の巨きなとゞまつが
荒さんで青く塚のうしろに立ってゐる
   ……鳥はコバルト山に翔け……
樹はこの夏の計画を
蒼々として雲に描く
   ……鳥はあっちでもこっちでも
     朝のピッコロを吹いてゐる……
[#改ページ]

  九三
[#地付き]一九二四、五、八、

日脚がぼうとひろがれば
つめたい西の風も吹き
黒くいでたつむすめが二人
接骨木藪をまはってくる
けらを着 縄で胸をしぼって
睡蓮の花のやうにわらひながら
ふたりがこっちへあるいてくる
その蓋のある小さな手桶は
けふははたけへのみ水を入れて来たのだ
ある日は青い蓴菜を入れ
欠けた朱塗の椀をうかべて
朝がこれより爽かなとき
町へ売りにも来たりする
赤い漆の小さな桶だ
けらがばさばさしてるのに
瓶のかたちの袴《モンペ》をはいて
おまけに鍬を二梃づつ
けらにしばってゐるものだから
何か奇妙な鳥踊りでもはじめさう
大陸からの季節の風は
続けて枯れた草を吹き
にはとこ藪のかげからは
こんどは生徒が四人来る
赤い顔してわらってゐるのは狼《オイノ》沢
一年生の高橋は 北清事変の兵士のやうに
はすに包みをしょってゐる
[#改ページ]

  九三
[#地付き]一九二四、一〇、二六、

ふたりおんなじさういふ奇体な扮装で
はげしいかげろふの紐をほぐし
しづかにならんで接骨樹藪をまはってくれば
季節の風にさそはれて
わざわざここの台地の上へ
ステップ地方の鳥の踊《をどり》
それををどりに来たのかと
誰でもちょっとかんがへさう
けらがばさばさしてるのに
瓶のかたちのもんぺをはいて
めいめい鍬を二梃づつ
その刃を平らにせなかにあて
荷縄を胸に結ひますと
その柄は二枚の巨きな羽
かれ草もゆれ笹もゆれ
こんがらかった遠くの桑のはたけでは
けむりの青い Lento もながれ
崖の上ではこどもの凧の尾もひかる
そこをゆっくりまはるのは
もうどうしても鳥踊《フォーゲルタンツ》
大陸からの西風は
雪の長嶺を越えてきて
かげろふの紐をときどき消し
翡翠いろした天頂では
ひばりもじゅうじゅくじゅうじゅく鳴らす
そこをしづしづめぐるのは
どうもまことに鳥踊《フォーゲルタンツ》
そこらでぴったりとまるのも
やっぱりもって鳥踊り
しばらく顔を見合せながら
赤い手桶をはたけにおろし
天使のやうに向きあって
胸に手あてて立つといふ
ビザンチンから近世まで
大へん古いポーズです
おやおや胸の縄をとく!
おひとりうしろへまはって行って
大じな羽をおろしてしまふ
それからこちらが縄をとく
そちらが羽をおろしてあげる
けらをみがるにぬぎすてて
まゝごとみたいに座ってしまひ
髪をなでたり
ぽろっぽろっとおはなしなんどはじめれば
そこらあたりの茎ばっかしのキャベヂから
たゞもういちめんラムネのやうに
ごぼごぼと湧くかげろふばかり
鳥の踊りももうおしまひ
[#改ページ]

  九九
[#地付き]一九二四、五、一六、

鉄道線路と国道が、
こゝらあたりは並行で、
並木の松は、
そろってみちに影を置き
電信ばしらはもう掘りおこした田のなかに
でこぼこ影をなげますと
いたゞきに花をならべて植ゑつけた
ちひさな萱ぶきのうまやでは
馬がもりもりかひばを噛み
頬の赤いはだしの子どもは
その入口に稲草の縄を三本つけて
引っぱったりうたったりして遊んでゐます
柳は萌えて青ぞらに立ち
田を犁く馬はあちこちせはしく行きかへり
山は草火のけむりといっしょに
青く南へながれるやう
雲はしづかにひかって砕け
水はころころ鳴ってゐます
さっきのかゞやかな松の梢の間には
一本の高い火の見はしごがあって
その片っ方の端が折れたので
赭髪の小さな goblin が
そこに座ってやすんでゐます
やすんでこゝらをながめてゐます
ずうっと遠くの崩れる風のあたりでは
草の実を啄むやさしい鳥が
かすかにごろごろ鳴いてゐます
このとき銀いろのけむりを吐き
こゝらの空気を楔のやうに割きながら
急行列車が出て来ます
ずゐぶん早く走るのですが
車がみんなまはってゐるのは見えますので
さっきの頬の赤いはだしの子どもは
稲草の縄をうしろでにもって
汽車の足だけ見て居ます
その行きすぎた黒い汽車を
この国にむかしから棲んでゐる
三本鍬をかついだ巨きな人が
にがにが笑ってじっとながめ
それからびっこをひきながら
線路をこっちへよこぎって
いきなりぽっかりなくなりますと
あとはまた水がころころ鳴って
馬がもりもり噛むのです
[#改ページ]

  一〇六
[#地付き]一九二四、五、一八、

日はトパースのかけらをそゝぎ
雲は酸敗してつめたくこごえ
ひばりの群はそらいちめんに浮沈する
    (おまへはなぜ立ってゐるか
     立ってゐてはいけない
     沼の面にはひとりのアイヌものぞいてゐる)
一本の緑天鵞絨の杉の古木が
南の風にこごった枝をゆすぶれば
ほのかに白い昼の蛾は
そのたよりない気岸の線を
さびしくぐらぐら漂流する
    (水は水銀で
     風はかんばしいかをりを持ってくると
     さういふ型の考へ方も
     やっぱり鬼神の範疇である)
アイヌはいつか向ふへうつり
蛾はいま岸の水ばせうの芽をわたってゐる
[#改ページ]

  一一六  津軽海峡
[#地付き]一九二四、五、一九、

南には黒い層積雲の棚ができて
二つの古びた緑青いろの半島が
こもごもひるの疲れを払ふ
   ……しばしば海霧を析出する
     二つの潮の交会点……
波は潜まりやきらびやかな点々や
反覆される異種の角度の正反射
あるいは葱緑と銀との縞を織り
また錫病と伯林青《プルシャンブルウ》
水がその七いろの衣裳をかへて
朋に誇ってゐるときに
   ……喧《かしま》びやしく澄明な
     東方風の結婚式……
船はけむりを南にながし
水脈は凄美な砒素鏡になる

早くも北の陽ざしの中に
蝦夷の陸地の起伏をふくみ
また雨雲の渦巻く黒い尾をのぞむ
[#改ページ]

  一一八  函館港春夜光景
[#地付き]一九二四、五、一九、

地球照ある七日の月が、
海峡の西にかかって、
岬の黒い山々が
雲をかぶってたゝずめば、
そのうら寒い螺鈿の雲も、
またおぞましく呼吸する
そこに喜歌劇オルフィウス風の、
赤い酒精を照明し、
妖蠱奇怪な虹の汁をそゝいで、
春と夏とを交雑し
水と陸との市場をつくる
  ……………………きたわいな
  つじうらはっけがきたわいな
  ヲダルハコダテガスタルダイト、
  ハコダテネムロインディコライト
  マヲカヨコハマ船燈みどり、
  フナカハロモエ汽笛は八時
  うんとそんきのはやわかり、
  かいりくいっしょにわかります
海ぞこのマクロフィスティス群にもまがふ、
巨桜の花の梢には、
いちいちに氷質の電燈を盛り、
朱と蒼白のうっこんかうに、
海百合の椀を示せば
釧路地引の親方連は、
まなじり遠く酒を汲み、
魚の歯したワッサーマンは、
狂ほしく灯影を過ぎる
  ……五ぐゎつははこだてこうゑんち、
    えんだんまちびとねがひごと、
    うみはうちそと日本うみ、
    れうばのあたりもわかります……
夜ぞらにふるふビオロンと銅鑼、
サミセンにもつれる笛や、
繰りかへす螺のスケルツォ
あはれマドロス田谷力三は、
ひとりセビラの床屋を唱ひ、
高田正夫はその一党と、
紙の服着てタンゴを踊る
このとき海霧《ガス》はふたたび襲ひ
はじめは翔ける火蛋白石や
やがては丘と広場をつゝみ
月長石の映えする雨に
孤光わびしい陶磁とかはり、
白のテントもつめたくぬれて、
紅蟹まどふバナナの森を、
辛くつぶやくクラリオネット

風はバビロン柳をはらひ、
またときめかす花梅のかをり、
青いえりしたフランス兵は
桜の枝をさゝげてわらひ
船渠会社の観桜団が
瓶をかざして広場を穫れば
汽笛はふるひ犬吠えて
地照かぐろい七日の月は
日本海の雲にかくれる
[#改ページ]

  一二三  馬
[#地付き]一九二四、五、二二、

いちにちいっぱいよもぎのなかにはたらいて
馬鈴薯のやうにくさりかけた馬は
あかるくそそぐ夕陽の汁を
食塩の結晶したばさばさの頭に感じながら
はたけのへりの熊笹を
ぼりぼりぼりぼり食ってゐた
それから青い晩が来て
やうやく廏に帰った馬は
高圧線にかかったやうに
にはかにばたばた云ひだした
馬は次の日冷たくなった
みんなは松の林の裏へ
巨きな穴をこしらへて
馬の四つの脚をまげ
そこへそろそろおろしてやった
がっくり垂れた頭の上へ
ぼろぼろ土
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