湿田《ヒドロ》の方には
朝の氷の骸晶が
まだ融けないでのこってゐても
高常水車の西側から
くるみのならんだ崖のした
地蔵堂の巨きな杉まで
乾田《カタタ》の雪はたいてい消えて
青いすずめのてっぱうも
空気といっしょにちらちら萌える
みちはやはらかな湯気をあげ
白い割木の束をつんで
次から次と町へ行く馬のあしなみはひかり
その一つの馬の列について来た黄いろな二ひきの犬は
尾をふさふさした大きなスナップ兄弟で
ここらの犬と、
はげしく走って好意を交はす
今日を彼岸の了りの日
雪消の水に種籾をひたし
玉麩を買って羹をつくる
こゝらの古い風習である
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  二一  痘瘡
[#地付き]一九二四、三、三〇、

日脚の急に伸びるころ
かきねのひばの冴えるころは
こゝらの乳いろの春のなかに
奇怪な紅教が流行する
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  二五  早春独白
[#地付き]一九二四、三、三〇、

黒髪もぬれ荷縄もぬれて
やうやくあなたが車室に来れば
ひるの電燈は雪ぞらにつき
窓のガラスはぼんやり湯気に曇ります
   ……青じろい磐のあかりと
     暗んで過ぎるひばのむら……
身丈にちかい木炭《すみ》すごを
地蔵菩薩の龕《がん》かなにかのやうに負ひ
山の襞もけぶってならび
堰堤《ダム》もごうごう激してゐた
あの山岨のみぞれのみちを
あなたがひとり走ってきて
この町行きの貨物電車にすがったとき
その木炭《すみ》すごの萱の根は
秋のしぐれのなかのやう
もいちど紅く燃えたのでした
   ……雨はすきとほってまっすぐに降り
     雪はしづかに舞ひおりる
     妖《あや》しい春のみぞれです……
みぞれにぬれてつつましやかにあなたが立てば
ひるの電燈は雪ぞらに燃え
ぼんやり曇る窓のこっちで
あなたは赤い捺染ネルの一きれを
エヂプト風にかつぎにします
   ……氷期の巨きな吹雪の裔《すゑ》は
     ときどき町の瓦斯燈を侵して
     その住民を沈静にした……
わたくしの黒いしゃっぽから
つめたくあかるい雫が降り
どんよりよどんだ雪ぐもの下に
黄いろなあかりを点じながら
電車はいっさんにはしります
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  二九  休息
[#地付き]一九二四、四、四、

中空《なかぞら》は晴れてうららかなのに
西|嶺《ね》の雪の上ばかり
ぼんやり白く淀むのは
水晶球の※[#「さんずい+鶲のへん」、第4水準2−79−5]《くも》りのやう
  ……さむくねむたいひるのやすみ……
そこには暗い乱積雲が
古い洞窟人類の
方向のない Libido の像を
肖顔のやうにいくつか掲げ
そのこっちではひばりの群が
いちめん漂ひ鳴いてゐる
  ……さむくねむたい光のなかで
    古い戯曲の女主人公《ヒロイン》が
    ひとりさびしくまことをちかふ……
氷と藍との東橄欖山地から
つめたい風が吹いてきて
つぎからつぎと水路をわたり
またあかしやの棘ある枝や
すがれの禾草を鳴らしたり
三本立ったよもぎの茎で
ふしぎな曲線《カーヴ》を描いたりする
    (eccolo qua!)
風を無数の光の点が浮き沈み
乱積雲の群像は
いまゆるやかに北へながれる
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  三五  測候所
[#地付き]一九二四、四、六、

シャーマン山の右肩が
にはかに雪で被はれました
うしろの方の高原も
をかしな雲がいっぱいで
なんだか非常に荒れて居ります
  ……凶作がたうとう来たな……
杉の木がみんな茶いろにかはってしまひ
わたりの鳥はもう幾むれも落ちました
  ……炭酸表をもってこい……
いま雷が第六圏で鳴って居ります
公園はいま
町民たちでいっぱいです
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  四〇  烏
[#地付き]一九二四、四、六、

水いろの天の下
高原の雪の反射のなかを
風がすきとほって吹いてゐる
茶いろに黝んだからまつの列が
めいめいにみなうごいてゐる
烏が一羽菫外線に灼けながら
その一本の異状に延びた心にとまって
ずゐぶん古い水いろの夢をおもひださうとあせってゐる
風がどんどん通って行けば
木はたよりなくぐらぐらゆれて
烏は一つのボートのやうに
  ……烏もわざとゆすってゐる……
冬のかげろふの波に漂ふ
にもかかはらずあちこち雪の彫刻が
あんまりひっそりしすぎるのだ
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  四五  海蝕台地
[#地付き]一九二四、四、六、

日がおしまひの六分圏《セキスタント》にはひってから
そらはすっかり鈍くなり
台地はかすんではてない意慾の海のやう
  ……かなしくもまたなつかしく
    斎時の春の胸を噛む
    見惑塵思の海のいろ……
そこには波がしらの模様に雪ものこれば
いくつものからまつばやしや谷は
粛々起伏をつゞけながら
あえかなそらのけむりにつゞく
  ……それはひとつの海蝕台地
    古い劫《カルパ》の紀念碑である……
たよりなくつけられたそのみちをよぢ
憔悴苦行の梵土をまがふ
坎※[#「土へん+可」、第3水準1−15−40]な高原住者の隊が
一れつ蔭いろの馬をひいて
つめたい宙のけむりに消える
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  四六  山火
[#地付き]一九二四、四、六、

血紅の火が
ぼんやり尾根をすべったり
またまっ黒ないたゞきで
奇怪な王冠のかたちをつくり
焔の舌を吐いたりすれば
瑪瑙の針はげしく流れ
陰気な柳の髪もみだれる
  ……けたたましくも吠え立つ犬と
    泥灰岩《マール》の崖のさびしい反射……
或いはコロナや破けた肺のかたちに変る
この恐ろしい巨きな夜の華の下
     (夫子夫子あなたのお目も血に染みました)
酔って口口罵りながら
村びとたちが帰ってくる
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  五二  嬰児
[#地付き]一九二四、四、一〇、

なにいろをしてゐるともわからない
ひろぉいそらのひととこで
縁《へり》のまばゆい黒雲が
つぎからつぎと爆発される
     (そらたんぽぽだ
      しっかりともて)
それはひとつづついぶった太陽の射面を過ぎて
いっぺんごとにおまへを青くかなしませる
  ……そんなら雲がわるいといって
    雲なら風に消されたり
    そのときどきにひかったり
    たゞそのことが雲のこころといふものなのだ……
そしてひとでもおんなじこと
鳥は矢羽のかたちになって
いくつも杉の梢に落ちる
[#改ページ]

  五三  休息
[#地付き]一九二四、四、一〇、

風はうしろの巨きな杉や
わたくしの黄いろな仕事着のえりを
つぎつぎ狼の牙にして過ぎるけれども
わたくしは白金の百合のやうに
  ……三本鍬の刃もふるへろ……
ほのかにねむることができる
[#改ページ]

  六九
[#地付き]一九二四、四、一九、

どろの木の下から
いきなり水をけたてて
月光のなかへはねあがったので
狐かと思ったら
例の原始の水きねだった
横に小さな小屋もある
粟か何かを搗くのだらう
水はたうたうと落ち
ぼそぼそ青い火を噴いて
きねはだんだん下りてゐる
水を落してまたはねあがる
きねといふより一つの舟だ
舟といふより一つのさじだ
ぼろぼろ青くまたやってゐる
どこかで鈴が鳴ってゐる
丘も峠もひっそりとして
そこらの草は
ねむさもやはらかさもすっかり鳥のこゝろもち
ひるなら羊歯のやはらかな芽や
桜草《プリムラ》も咲いてゐたらう
みちの左の栗の林で囲まれた
蒼鉛いろの影の中に
鍵なりをした巨きな家が一軒黒く建ってゐる
鈴は睡った馬の胸に吊され
呼吸につれてふるへるのだ
きっと馬は足を折って
蓐草の上にかんばしく睡ってゐる
わたくしもまたねむりたい
どこかで鈴とおんなじに啼く鳥がある
たとへばそれは青くおぼろな保護色だ
向ふの丘の影の方でも啼いてゐる
それからいくつもの月夜の峯を越えた遠くでは
風のやうに峡流も鳴る
[#改ページ]

[#地付き]一九二四、四、一九、

いま来た角に
二本の白楊《ドロ》が立ってゐる
雄花の紐をひっそり垂れて
青い氷雲にうかんでゐる
そのくらがりの遠くの町で
床屋の鏡がたゞ青ざめて静まるころ
芝居の小屋が塵を沈めて落ちつくころ
帽子の影がさういふふうだ
シャープ鉛筆 月印
紫蘇のかをりの青じろい風
かれ草が変にくらくて
水銀いろの小流れは
蒔絵のやうに走ってゐるし
そのいちいちの曲り目には
藪もぼんやりけむってゐる
一梃の銀の手斧が
水のなかだかまぶたのなかだか
ひどくひかってゆれてゐる
太吉がひるま
この小流れのどこかの角で
まゆみの藪を截ってゐて
帰りにこゝへ落したのだらう
なんでもそらのまんなかが
がらんと白く荒さんでゐて
風がをかしく酸っぱいのだ……
風……とそんなにまがりくねった桂の木
低《の》原の雲も青ざめて
ふしぎな縞になってゐる……し
すももが熟して落ちるやうに
おれも鉛筆をぽろっと落し
だまって風に溶けてしまはう
このういきゃうのかをりがそれだ

風……骨、青さ、
どこかで鈴が鳴ってゐる
どれぐらゐいま睡ったらう
青い星がひとつきれいにすきとほって
雲はまるで蝋で鋳たやうになってゐるし
落葉はみんな落した鳥の尾羽に見え
おれはまさしくどろの木の葉のやうにふるへる
[#改ページ]

  七三  有明
[#地付き]一九二四、四、二〇、

あけがたになり
風のモナドがひしめき
東もけむりだしたので
月は崇巌なパンの木の実にかはり
その香気もまたよく凍らされて
はなやかに錫いろのそらにかゝれば
白い横雲の上には
ほろびた古い山彙の像が
ねづみいろしてねむたくうかび
ふたたび老いた北上川は
それみづからの青くかすんだ野原のなかで
支流を納めてわづかにひかり
そこにゆふべの盛岡が
アークライトの点綴や
また町なみの氷燈の列
ふく郁としてねむってゐる
滅びる最後の極楽鳥が
尾羽をひろげて息づくやうに
かうかうとしてねむってゐる
それこそここらの林や森や
野原の草をつぎつぎに食べ
代りに砂糖や木綿を出した
やさしい化性の鳥であるが
   しかも変らぬ一つの愛を
   わたしはそこに誓はうとする
やぶうぐひすがしきりになき
のこりの雪があえかにひかる
[#改ページ]

  七四
[#地付き]一九二四、四、二〇、

東の雲ははやくも蜜のいろに燃え
丘はかれ草もまだらの雪も
あえかにうかびはじめまして
おぼろにつめたいあなたのよるは
もうこの山地のどの谷からも去らうとします
ひとばんわたくしがふりかへりふりかへり来れば
巻雲のなかやあるいはけぶる青ぞらを
しづかにわたっていらせられ
また四更ともおぼしいころは
やゝにみだれた中ぞらの
二つの雲の炭素棒のあひだに
古びた黄金の弧光のやうに
ふしぎな御《み》座を示されました
まことにあなたを仰ぐひとりひとりに
全くことなったかんがへをあたへ
まことにあなたのまどかな御座は
つめたい火口の数を示し
あなたの御座の運行は
公式にしたがってたがはぬを知って
しかもあなたが一つのかんばしい意志であり
われらに答へまたはたらきかける、
巨きなあやしい生物であること
そのことはいましわたくしの胸を
あやしくあらたに湧きたゝせます
あゝあかつき近くの雲が凍れば凍るほど
そこらが明るくなればなるほど
あらたにあなたがお吐きになる
エステルの香は雲にみちます
おゝ天子
あなたはいまにはかにくらくなられます
[#改ページ]

  七五  北上山地の春
[#地付き]一九二四、四、二〇、

   1

雪沓とジュートの脚絆
白樺は焔をあげて
熱く酸っぱい樹液を噴けば
こどもはとんびの歌をうたって
狸の毛皮を収穫する
打製石斧のかたちした
柱の列は煤でひかり
高くけはしい屋根裏には
いま朝餐の青いけむりがいっぱいで
大迦藍《カセードラル》の穹窿《ドーム》のやうに
一本の光の棒が射してゐる
そのなまめいた光象の底
つめたい春のうまやでは
かれ草や雪の反照
明るい丘の風を恋ひ
馬が蹄をごとごと鳴らす

   2

浅黄と紺の羅紗を着て
やなぎは蜜の花を噴き
鳥はながれる丘丘を
馬はあやしく急いでゐる
 息熱
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