一九 晴天恣意
[#地付き]一九二四、三、二五、
つめたくうららかな蒼穹のはて
五輪峠の上のあたりに
白く巨きな仏頂体が立ちますと
数字につかれたわたくしの眼は
ひとたびそれを異の空間の
高貴な塔とも愕ろきますが
畢竟あれは水と空気の散乱系
冬には稀な高くまばゆい積雲です
とは云へそれは再考すれば
やはり同じい大塔婆
いたゞき八千尺にも充ちる
光厳浄の構成です
あの天末の青らむま下
きらゝに氷と雪とを鎧ひ
樹や石塚の数をもち
石灰、粘板、砂岩の層と、
花崗班糲、蛇紋の諸岩、
堅く結んだ準平原は、
まこと地輪の外ならず、
水風輪は云はずもあれ、
白くまばゆい光と熱、
電、磁、その他の勢力は
アレニウスをば俟たずして
たれか火輪をうたがはん
もし空輪を云ふべくば
これら総じて真空の
その顕現を超えませぬ
斯くてひとたびこの構成は
五輪の塔と称すべく
秘奥は更に二義あって
いまはその名もはゞかるべき
高貴の塔でもありますので
もしも誰かがその樹を伐り
あるいは塚をはたけにひらき
乃至はそこらであんまりひどくイリスの花をとりますと
かういふ青く無風の日なか
見掛けはしづかに盛りあげられた
あの玉髄の八雲のなかに
夢幻に人は連れ行かれ
見えない数個の手によって
かゞやくそらにまっさかさまにつるされて
槍でづぶづぶ刺されたり
頭や胸を圧《お》し潰されて
醒めてははげしい病気になると
さうひとびとはいまも信じて恐れます
さてそのことはとにかくに
雲量計の横線を
ひるの十四の星も截り
アンドロメダの連星も
しづかに過ぎるとおもはれる
そんなにもうるほひかゞやく
碧瑠璃の天でありますので
いまやわたくしのまなこも冴え
ふたゝび陰気な扉《ドア》を排して
あのくしゃくしゃの数字の前に
かゞみ込まうとしますのです
[#改ページ]
塩水撰・浸種
[#地付き]一九二四、三、三〇、
塩水撰が済んでもういちど水を張る
陸羽一三二号
これを最後に水を切れば
穎果の尖が赤褐色で
うるうるとして水にぬれ
一つぶづつが苔か何かの花のやう
かすかにりんごのにほひもする
笊に顔を寄せて見れば
もう水も切れ俵にうつす
日ざしのなかの一三二号
青ぞらに電線は伸び、
赤楊はあちこちガラスの巨きな籠を盛る、
山の尖りも氷の稜も
あんまり淡くけむってゐて
まるで光と香ばかりでできてるやう
湿田《ヒドロ》の方には
朝の氷の骸晶が
まだ融けないでのこってゐても
高常水車の西側から
くるみのならんだ崖のした
地蔵堂の巨きな杉まで
乾田《カタタ》の雪はたいてい消えて
青いすずめのてっぱうも
空気といっしょにちらちら萌える
みちはやはらかな湯気をあげ
白い割木の束をつんで
次から次と町へ行く馬のあしなみはひかり
その一つの馬の列について来た黄いろな二ひきの犬は
尾をふさふさした大きなスナップ兄弟で
ここらの犬と、
はげしく走って好意を交はす
今日を彼岸の了りの日
雪消の水に種籾をひたし
玉麩を買って羹をつくる
こゝらの古い風習である
[#改ページ]
二一 痘瘡
[#地付き]一九二四、三、三〇、
日脚の急に伸びるころ
かきねのひばの冴えるころは
こゝらの乳いろの春のなかに
奇怪な紅教が流行する
[#改ページ]
二五 早春独白
[#地付き]一九二四、三、三〇、
黒髪もぬれ荷縄もぬれて
やうやくあなたが車室に来れば
ひるの電燈は雪ぞらにつき
窓のガラスはぼんやり湯気に曇ります
……青じろい磐のあかりと
暗んで過ぎるひばのむら……
身丈にちかい木炭《すみ》すごを
地蔵菩薩の龕《がん》かなにかのやうに負ひ
山の襞もけぶってならび
堰堤《ダム》もごうごう激してゐた
あの山岨のみぞれのみちを
あなたがひとり走ってきて
この町行きの貨物電車にすがったとき
その木炭《すみ》すごの萱の根は
秋のしぐれのなかのやう
もいちど紅く燃えたのでした
……雨はすきとほってまっすぐに降り
雪はしづかに舞ひおりる
妖《あや》しい春のみぞれです……
みぞれにぬれてつつましやかにあなたが立てば
ひるの電燈は雪ぞらに燃え
ぼんやり曇る窓のこっちで
あなたは赤い捺染ネルの一きれを
エヂプト風にかつぎにします
……氷期の巨きな吹雪の裔《すゑ》は
ときどき町の瓦斯燈を侵して
その住民を沈静にした……
わたくしの黒いしゃっぽから
つめたくあかるい雫が降り
どんよりよどんだ雪ぐもの下に
黄いろなあかりを点じながら
電車はいっさんにはしります
[#改ページ]
二九 休息
[#地付き]一九二四、四、四、
中空《なかぞら》は晴れてうららかなのに
西|嶺《ね》の雪の上ばかり
ぼんやり白く淀むのは
水晶球の※[#「さんず
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