教室から帰ったときは
そこは賑やかな空気の祭
青くかゞやく天の椀から
ねむや鵝鳥の花も胸毛も降ってゐました
それからあなたが進度表などお綴ぢになり
わたくしが火をたきつけてゐたそのひまに
あの妖質のみづうみが
ぎらぎらひかってよどんだのです
えゝ さうなんです
もしわたくしがあなたの方の管長ならば
こんなときこそ布教使がたを
みんな巨きな駱駝に乗せて
あのほのじろくあえかな霧のイリデ※[#小書き片仮名ス、1−6−80]センス
蛋白石のけむりのなかに
もうどこまでもだしてやります
そんな砂漠の漂ふ大きな虚像のなかを
あるいはひとり
あるいは兵士や隊商連のなかまに入れて
熱く息づくらくだのせなの革嚢に
世界の辛苦を一杯につめ
極地の海に堅く封じて沈めることを命じます
そしたらたぶん それは強力な竜にかはって
地球一めんはげしい雹を降らすでせう
そのときわたくし管長は
東京の中本山の玻璃台にろ頂部だけをてかてか剃って
九条のけさをかけて立ち
二人の侍者に香炉と白い百合の花とをさゝげさせ
空を仰いでごくおもむろに
竜をなだめる二行の迦陀をつくります
いやごらんなさい
たうとう新聞記者がやってきました
[#改ページ]
四〇七 森林軌道
[#地付き]一九二五、一、二五、
岩手火山が巨きな氷霧の套をつけて
そのいたゞきを陰気な亜鉛の粉にうづめ
裾に岱赭の落葉松の方林を
林道白く連結すれば
そこから寒い負性の雪が
小松の黒い金米糖を
野原いちめん散点する
……川の音から風の音から
とろがかすかにひびいてくる……
南はうるむ雪ぐもを
盛岡の市は沈んで見えず
三つ森山の西半分に
雑木がぼうとくすぶって
のこりが鈍いぶりきいろ
……鎔岩流の刻みの上に
二つの鬼語が横行する……
いきなり一すぢ
吹雪《フキ》が螺旋に舞ひあがり
続いて一すぢまた立てば
いまはもう野はら一ぱい
あっちもこっちも
空気に孔があいたやう
巌稜も一斉に噴く
……四番のとろは
ひどく難儀をしてゐるらしく
音も却って遠くへ行った……
一つの雪の欠け目から
白い光が斜めに射し
山は灰より巨きくて
林もはんぶんけむりに陥ちる
……鳥はさっきから一生けん命
吹雪の柱を縫ひながら
風の高みに叫んでゐた……
[#改ページ]
四〇八
[#地付き]一九二五、一、二五、
寅吉山の北のなだらで
雪がまばゆいタングステンの盤になり
山稜の樹の昇羃列が
そこに華麗な像をうつし
またふもとでは
枝打ちされた緑褐色の松並が
弧線《アーク》になってうかんでゐる
恍とした佇立のうちに
雲はばしゃばしゃ飛び
風は
中世騎士風の道徳をはこんでゐた
[#改ページ]
四〇九
[#地付き]一九二五、一、二五、
今日もまたしやうがないな
青ぞらばかりうるうるで
窓から下はたゞいちめんのひかって白いのっぺらばう
砂漠みたいな氷原みたいな低い霧だ
雪にかんかん日が照って
あとで気温がさがってくると
かういふことになるんだな
泉沢だの藤原だの
太田へ帰る生徒らが
声だけがやがやすぐ窓下を通ってゐて
帽子も顔もなんにも見えず
たゞまっ白に光る霧が
ぎらぎら澱んでゐるばかり
もっとも向ふのはたけには
つるうめもどきの石藪が
小さな島にうかんでゐるし
正門ぎはのアカシヤ列は
茶いろな莢をたくさんつけて
蜃気楼そっくり
脚をぼんやり生えてゐる
さうだからといって……
なんだい泉沢なんどが
正門の前を通りながら
先生さよならなんといふ
いったい霧の中からは
こっちが見えるわけなのか
さよならなんていはれると
まるでわれわれ職員が
タイタニックの甲板で
Nearer my God か何かうたふ
悲壮な船客まがひである
むしろこの際進度表などなげ出して
寒暖計やテープをもって
霧にじゃぼんと跳びこむことだ
いくら異例の風景でも
立派な自然現象で
活動写真のトリックなどではないのだから
寒暖計も湿度計も……
……霧はもちろん飽和だが……
地表面から高さにつれて
ちがった数を出す筈だ
[#改ページ]
四〇九 冬
[#地付き]一九二五、二、五、
がらにもない商略なんぞたてようとしたから
そんな嫌人症《ミザンスロピー》にとっつかまったんだ
……とんとん叩いてゐやがるな……
なんだい あんな 二つぽつんと赤い火は
……山地はしづかに収斂し
凍えてくらい月のあかりや雲……
八時の電車がきれいなあかりをいっぱいのせて
防雪林のてまへの橋をわたってくる
……あゝあ 風のなかへ消えてしまひたい……
蒼ざめた冬の層積雲が
ひがしへひがしへ畳んで行く
……とんとん叩いてゐやがるな……
世紀末風のぼんやり青い氷霧だの
こ
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