いっぱいに張りわたす……
まあ掛けたまへ
ぢきにきれいな天気になるし
なにか仕度もさがすから
……たれも行かないひるまの野原
天気の猫の目のなかを
防水服や白い木綿の手袋は
まづロビンソンクルーソー……
ちょっとかはった葉巻を巻いた
フェアスモークといふもんさ
それもいっしょにもってくる
[#改ページ]
三三一 孤独と風童
[#地付き]一九二四、一一、二三、
シグナルの
赤いあかりもともったし
そこらの雲もちらけてしまふ
プラットフォームは
Yの字をした柱だの
犬の毛皮を着た農夫だの
けふもすっかり酸えてしまった
東へ行くの?
白いみかげの胃の方へかい
さう
では おいで
行きがけにねえ
向ふの
あの
ぼんやりとした葡萄いろのそらを通って
大荒沢やあっちはひどい雪ですと
ぼくが云ったと云っとくれ
では
さやうなら
[#改ページ]
三三八 異途への出発
[#地付き]一九二五、一、五、
月の惑みと
巨きな雪の盤とのなかに
あてなくひとり下り立てば
あしもとは軋り
寒冷でまっくろな空虚は
がらんと額に臨んでゐる
……楽手たちは蒼ざめて死に
嬰児は水いろのもやにうまれた……
尖った青い燐光が
いちめんそこらの雪を縫って
せはしく浮いたり沈んだり
しんしんと風を集積する
……ああアカシヤの黒い列……
みんなに義理をかいてまで
こんや旅だつこのみちも
じつはたゞしいものでなく
誰のためにもならないのだと
いままでにしろわかってゐて
それでどうにもならないのだ
……底びかりする水晶天の
一ひら白い裂罅《ひび》のあと……
雪が一そうまたたいて
そこらを海よりさびしくする
[#改ページ]
三四三 暁穹への嫉妬
[#地付き]一九二五、一、六、
薔薇輝石や雪のエッセンスを集めて、
ひかりけだかくかゞやきながら
その清麗なサファイア風の惑星を
溶かさうとするあけがたのそら
さっきはみちは渚をつたひ
波もねむたくゆれてゐたとき
星はあやしく澄みわたり
過冷な天の水そこで
青い合図《wink》をいくたびいくつも投げてゐた
それなのにいま
(ところがあいつはまん円なもんで
リングもあれば月も七っつもってゐる
第一あんなもの生きてもゐないし
まあ行って見ろごそごそだぞ)と
草刈が云ったとしても
ぼくがあいつを恋するために
このうつくしいあけぞらを
変な顔して 見てゐることは変らない
変らないどこかそんなことなど云はれると
いよいよぼくはどうしていゝかわからなくなる
……雪をかぶったはひびゃくしんと
百の岬がいま明ける
万葉風の青海原よ……
滅びる鳥の種族のやうに
星はもいちどひるがへる
[#改ページ]
三五一 発動機船
[#地付き]一九二五、一、八、
水底の岩層も見え
藻の群落も手にとるやうな
アンデルゼンの月夜の海を
船は真鍮のラッパを吹いて
[#改ページ]
三五六 旅程幻想
[#地付き]一九二五、一、八、
さびしい不漁と旱害のあとを
海に沿ふ
いくつもの峠を越えたり
萱の野原を通ったりして
ひとりここまで来たのだけれども
いまこの荒れた河原の砂の、
うす陽のなかにまどろめば、
肩またせなのうら寒く
何か不安なこの感じは
たしかしまひの硅板岩の峠の上で
放牧用の木柵の
楢の扉を開けたまゝ
みちを急いだためらしく
そこの光ってつめたいそらや
やどり木のある栗の木なども眼にうかぶ
その川上の幾重の雲と
つめたい日射しの格子のなかで
何か知らない巨きな鳥が
かすかにごろごろ鳴いてゐる
[#改ページ]
三五八 峠
[#地付き]一九二五、一、九、
あんまり眩ゆく山がまはりをうねるので
ここらはまるで何か光機の焦点のやう
蒼穹《あをぞら》ばかり、
いよいよ暗く陥ち込んでゐる、
(鉄鉱床のダイナマイトだ
いまのあやしい呟きは!)
冷たい風が、
せはしく西から襲ふので
白樺はみな、
ねぢれた枝を東のそらの海の光へ伸ばし
雪と露岩のけはしい二色の起伏のはてで
二十世紀の太平洋が、
青くなまめきけむってゐる
黒い岬のこっちには
釜石湾の一つぶ華奢なエメラルド
……そこでは叔父のこどもらが
みんなすくすくと育ってゐた……
あたらしい風が翔ければ
白樺の木は鋼のやうにりんりん鳴らす
[#改ページ]
四〇一 氷質の冗談
[#地付き]一九二五、一、一八、
職員諸兄 学校がもう砂漠のなかに来てますぞ
杉の林がペルシャなつめに変ってしまひ
はたけも藪もなくなって
そこらはいちめん氷凍された砂けむりです
白淵先生 北緯三十九度辺まで
アラビヤ魔神が出て来ますのに
大本山からなんにもお触れがなかったですか
さっきわれわれが
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