十六日
宮沢賢治
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)盆《ぼん》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)三|服《ぷく》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#小書き平仮名ん、134−7]
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よく晴れて前の谷川もいつもとまるでちがって楽しくごろごろ鳴った。盆《ぼん》の十六日なので鉱山《こうざん》も休んで給料《きゅうりょう》は呉《く》れ畑《はたけ》の仕事《しごと》も一段落《いちだんらく》ついて今日こそ一日そこらの木やとうもろこしを吹《ふ》く風も家のなかの煙《けむり》に射《さ》す青い光の棒《ぼう》もみんな二人のものだった。
おみちは朝から畑にあるもので食べられるものを集《あつ》めていろいろに取《と》り合せてみた。嘉吉《かきち》は朝いつもの時刻《じこく》に眼《め》をさましてから寝《ね》そべったまま煙草《たばこ》を二、三|服《ぷく》ふかしてまたすうすう眠《ねむ》ってしまった。
この一年に二日しかない恐《おそ》らくは太陽《たいよう》からも許《ゆる》されそうな休みの日を外では鳥が針《はり》のように啼《な》き日光がしんしんと降《ふ》った。嘉吉がもうひる近いからと起《おこ》されたのはもう十一時近くであった。
おみちは餅《もち》の三いろ、あんのと枝豆《えだまめ》をすってくるんだのと汁《しる》のとを拵《こしら》えてしまって膳《ぜん》の支度《したく》もして待《ま》っていた。嘉吉は楊子《ようじ》をくわいて峠《とうげ》へのみちをよこぎって川におりて行った。それは白と鼠《ねずみ》いろの縞《しま》のある大理石《だいりせき》で上流《じょうりゅう》に家のないそのきれいな流《なが》れがざあざあ云《い》ったりごぼごぼ湧《わ》いたりした。嘉吉《かきち》はすぐ川下《かわしも》に見える鉱山《こうざん》の方を見た。鉱山も今日はひっそりして鉄索《てつさく》もうごいていず青ぞらにうすくけむっていた。嘉吉はせいせいしてそれでもまだどこかに溶《と》けない熱《あつ》いかたまりがあるように思いながら小屋《こや》へ帰って来た。嘉吉は鉱山の坑木《こうぼく》の係《かか》りではもう頭株《かしらかぶ》だった。それに前は小林区《しょうりんく》の現場監督《げんばかんとく》もしていたので木のことではいちばん明るかった。そして冬|撰鉱《せんこう》へ来ていたこの村の娘《むすめ》のおみちと出来てからとうとうその一本|調子《ちょうし》で親たちを納得《なっとく》させておみちを貰《もら》ってしまった。親たちは鉱山から少し離《はな》れてはいたけれどもじぶんの栗《くり》の畑《はたけ》もわずかの山林もくっついているいまのところに小屋をたててやった。そしておみちはそのわずかの畑に玉蜀黍《とうもろこし》や枝豆《えだまめ》やささげも植《う》えたけれども大抵《たいてい》は嘉吉を出してやってから実家《じっか》へ手伝《てつだ》いに行った。そうしてまだ子供《こども》がなく三年|経《た》った。
嘉吉は小屋へ入った。
(お前さま今夜ほうのきさ仏《ほとけ》さん拝《おが》みさ行ぐべ。)おみちが膳《ぜん》の上に豆《まめ》の餅《もち》の皿《さら》を置《お》きながら云《い》った。(うん、うな行っただがら今年ぁいいだなぃがべが。)嘉吉が云った。
(そだら踊《おど》りさでも出はるますか。)俄《にわ》かにぱっと顔をほてらせながらおみちは云った。(ふん見さ行ぐべさ。)嘉吉はすこしわらって云った。膳ができた。いくつもの峠《とうげ》を越《こ》えて海藻《かいそう》の〔数文字空白〕を着《き》せた馬に運《はこ》ばれて来たてんぐさも四角に切られて朧《おぼ》ろにひかった。嘉吉《かきち》は子供《こども》のように箸《はし》をとりはじめた。
ふと表《おもて》の河岸《かわぎし》でカーンカーンと岩を叩《たた》く音がした。二人はぎょっとして聞き耳をたてた。
音はなくなった。(今頃《いまごろ》探鉱《たんこう》など来るはずあなぃな。)嘉吉は豆の餅《もち》を口に入れた。音がこちこちまた起《おこ》った。
(この餅|拵《こさ》えるのは仙台領《せんだいりょう》ばかりだもな。)嘉吉はもうそっちを考えるのをやめて話しかけた。(はあ。)おみちはけれども気の無《な》さそうに返事《へんじ》してまだおもての音を気にしていた。
(今日《こんにち》はちょっとお訪《たず》ねいたしますが。)門口で若《わか》い水々しい声が云《い》った。(はあい。)嘉吉は用があったからこっちへ廻《まわ》れといった風で口をもぐもぐしながら云った。けれどもその眼《め》はじっとおみちを見ていた。
(あっ、こっちですか。今日は。ご飯中《はんちゅう》をどうも失敬《しっけい》しました。ちょっとお尋《たず》ねしますが、この上流《じょうりゅう》に水車がありましょうか。)若《わか》いかばんを持《も》って鉄槌《かなづち》をさげた学生だった。(さあ、お前さんどこから来なすった。)嘉吉は少しむかっぱらをたてたように云った。
(仙台《せんだい》の大学のもんですがね。地図にはこの家がなく水車があるんです。)(ははあ。)嘉吉《かきち》は馬鹿《ばか》にしたように云《い》った。青年はすっかり照《て》れてしまった。
(まあ地図をお見せなさい。お掛《か》けなさい。)嘉吉は自分も前|小林区《しょうりんく》に居《い》たので地図は明るかった。学生は地図を渡《わた》しながら云われた通りしきいに腰掛《こしか》けてしまった。おみちはすぐ台所《だいどころ》の方へ立って行って手早く餅《もち》や海藻《かいそう》とささげを煮《に》た膳《ぜん》をこしらえて来て、
(おあが※[#小書き平仮名ん、134−7]な※[#小書き平仮名ん、134−7]え)と云った。
(こいつあ水車じゃありませんや。前じきそこにあったんですが掛手《かけて》金山の精錬所《せいれんじょ》でさ。)(ああ、金鉱《きんこう》を搗《つ》くあいつですね。)(ええ、そう、そう、水車って云えば水車でさあ。ただ粟《あわ》や稗《ひえ》を搗くんでない金を搗くだけで。)(そしてお家はまだ建《た》たなかったんですね、いやお食事《しょくじ》のところをお邪魔《じゃま》しました。ありがとうございました。)
学生は立とうとした。嘉吉はおみちの前でもう少してきぱき話をつづけたかったし、学生がすこしもこっちを悪《わる》く受《う》けないのが気に入ってあわてて云った。(まあ、ひとつおつき合いなさい。ここらは今日|盆《ぼん》の十六日でこうして遊《あそ》んでいるんです。かかあもせっ角《かく》拵《こさ》えたのお客《きゃく》さんに食べていただかなぃと恥《はじ》かきますから。)(おあがんな※[#小書き平仮名ん、134−16]え。)おみちも低《ひく》く云った。
学生はしばらく立っていたが決心《けっしん》したように腰《こし》をおろした。(そいじゃ頂《いただ》きますよ。)(はっは、なあに、こごらのご馳走《ちそう》てばこったなもんでは。そうするどあなだは大学では何のほうで。)(地質《ちしつ》です。もうからない仕事《しごと》で。)餅《もち》を噛《か》み切って呑《の》み下してまた云《い》った。(化石《かせき》をさがしに来たんです。)化石も嘉吉《かきち》は知っていた。(そこの岩にありしたか。)(ええ海百合《うみゆり》です。外でもとりました。この岩はまだ上流《じょうりゅう》にも二、三ヶ|所《しょ》出ていましょうね。)(はあはあ、出てます出てます。)学生は何でももう早く餅をげろ呑みにして早く生きたいようにも見えまたやっぱり疲《つか》れてもいればこういう款待《かんたい》に温《あたたか》さを感《かん》じてまだ止まっていたいようにも見えた。
(今日はそうせばとどこまで。)(ええ、峠《とうげ》まで行って引っ返《かえ》して来て県道《けんどう》を大船渡《おおふなと》へ出ようと思います。)
(今晩《こんばん》のお泊《とま》りは。)(姥石《うばいし》まで行けましょうか。)(はあ、ゆっくりでごあ※[#小書き平仮名ん、135−11]す。)(いや、どうも失礼《しつれい》しました。ほんとうにいろいろご馳走《ちそう》になって、これはほんの少しですが。)学生は鞄《かばん》から敷島《しきしま》を一つとキャラメルの小さな箱《はこ》を出して置《お》いた。(なあにす、そたなごとお前さん。)おみちは顔を赤くしてそれを押《お》し戻《もど》した。
(もうほんの。)学生はさっさと出て行った。(なあんだ。あと姥石まで煙草《たばこ》売るどこなぃも。ぼかげで置《お》いで来《こ》。)おみちは急《いそ》いで草履《ぞうり》をつっかけて出たけれども間もなく戻って来た。(脚《あし》早くて。とっても。)(若《わか》いがら律儀《りちぎ》だもな。)嘉吉《かきち》はまたゆっくりくつろいでうすぐろいてんを砕《くだ》いて醤油《しょうゆ》につけて食った。
おみちは娘《むすめ》のような顔いろでまだぼんやりしたように座《すわ》っていた。それは嘉吉がおみちを知ってからわずかに二|度《ど》だけ見た表情《ひょうじょう》であった。
(おらにもああいう若ぃづぎあったんだがな、ああいう面白《おもしろ》い目見る暇《ひま》なぃがったもな。)嘉吉が云《い》った。
(あん。)おみちはまだぼんやりして何か考えていた。
嘉吉はかっとなった。
(じゃぃ、はきはきど返事《へんじ》せじゃ。何でぁ、あたな人形こさ奴《やつ》さぁすぐにほれやがて。)
(何云うべこの人ぁ。)おみちはさぁっと青じろくなってまた赤くなった。
(ええ糞《くそ》そのつら付《つき》。見だぐなぃ。どこさでもけづがれ。びっき。)嘉吉はまるで落《お》ちはじめたなだれのように膳《ぜん》を向《むこ》うへけ飛《と》ばした。おみちはとうとううつぶせになって声をあげて泣《な》き出した。
(何だぃ。あったな雨|降《ふ》れば無《な》ぐなるような奴凧《ひとつこぱだ》こさ、食えの申《もう》し訳《わ》げなぃの機嫌《きげん》取《と》りやがて。)嘉吉はまたそう云ったけれどもすこしもそれに逆《さから》うでもなくただ辛《つら》そうにしくしく泣いているおみちのよごれた小倉《こくら》の黒いえりや顫《ふる》うせなかを見ていると二人とも何年ぶりかのただの子供《こども》になってこの一日をままごとのようにして遊《あそ》んでいたのをめちゃめちゃにこわしてしまったようでからだが風と青い寒天《かんてん》でごちゃごちゃにされたような情《なさけ》ない気がした。
(おみち何でぁその年してでわらすみだぃに。起《お》ぎろったら。起ぎで片付《かたづ》げろったら。)
おみちは泣《な》きじゃくりながら起きあがった。そしてじぶんはまだろくに食べもしなかった膳《ぜん》を片付けはじめた。
嘉吉《かきち》はマッチをすってたばこを二つ三つのんだ。それから横《よこ》からじっとおみちを見るとまだ泣きたいのを無理《むり》にこらえて口をびくびくしながらぼんやり眼《め》を赤くしているのが酔《よ》った狸《たぬき》のようにでも見えた。嘉吉は矢もたてもたまらず俄《にわ》かにおみちが可哀《かわい》そうになってきた。
嘉吉はじっと考えた。おみちがさっきのあの顔いろはこっちの邪推《じゃすい》かもしれない。
及《およ》びもしないあんな男をいきなり一言《ひとこと》二言はなしてそんなことを考えるなんてあることでない。そうだとするとおれがあんな大学生とでも引け目なしにぱりぱり談《はな》した。そのおれの力を感《かん》じていたのかも知れない。それにおれには鉱夫《こうふ》どもにさえ馬鹿《ばか》にはされない肩《かた》や腕《うで》の力がある。あんなひょろひょろした若造《わかぞう》にくらべては何と云《い》ってもおみちにはおれのほうが勝《か》ち目《め》がある。
(おみち、ちょっとこさ来《こ》。)嘉吉《かきち》が云《い》った。
おみちはだまって来て首を垂《た》れて座《すわ》った。
(うなまるで冗談《じょうだん》づごと判《わが》らなぃで面白《おもしろ
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