十月の末
宮沢賢治

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)嘉《か》ッコは

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)仕事|助《す》ける

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#小書き平仮名ん、145−13]
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 嘉《か》ッコは、小さなわらじをはいて、赤いげんこを二つ顔の前にそろえて、ふっふっと息をふきかけながら、土間から外へ飛び出しました。外はつめたくて明るくて、そしてしんとしています。
 嘉ッコのお母さんは、大きなけら[#「けら」に傍点]を着て、縄《なわ》を肩《かた》にかけて、そのあとから出て来ました。
「母《があ》、昨夜《ゆべな》、土ぁ、凍《し》みだじゃぃ。」嘉ッコはしめった黒い地面を、ばたばた踏《ふ》みながら云《い》いました。
「うん、霜《しも》ぁ降ったのさ。今日は畑ぁ、土ぁぐじゃぐじゃづがべもや。」と嘉ッコのお母さんは、半分ひとりごとのように答えました。
 嘉ッコのおばあさんが、やっぱりけらを着て、すっかり支度《したく》をして、家の中から出て来ました。
 そして一寸《ちょっと》手をかざして、明るい空を見まわしながらつぶやきました。
「爺《じ》※[#小書き平仮名ん、145−13]ごぁ、今朝も戻《もど》て来なぃがべが。家《え》でぁこったに忙《いしょ》がしでば。」
「爺※[#小書き平仮名ん、145−14]ごぁ、今朝も戻て来なぃがべが。」嘉ッコがいきなり叫《さけ》びました。
 おばあさんはわらいました。
「うん。けづ[#「けづ」に傍点]な爺《じ》※[#小書き平仮名ん、146−1]ごだもな。酔《よ》たぐれでばがり居で、一向仕事|助《す》けるもさないで。今日も町で飲んでらべぁな。うな|は《ハ》爺※[#小書き平仮名ん、146−2]ごに肖《に》るやなぃじゃぃ。」
「ダゴダア、ダゴダア、ダゴダア。」嘉ッコはもう走って垣《かき》の出口の柳《やなぎ》の木を見ていました。
 それはツンツン、ツンツンと鳴いて、枝中《えだじゅう》はねあるく小さなみそさざいで一杯《いっぱい》でした。
 実に柳は、今はその細長い葉をすっかり落して、冷たい風にほんのすこしゆれ、そのてっぺんの青ぞらには、町のお祭りの晩の電気菓子《でんきがし》のような白い雲が、静に翔《か》けているのでした。
「ツツンツツン、チ、チ、ツン、ツン。」
 みそさざいどもは、とんだりはねたり、柳の木のなかで、じつにおもしろそうにやっています。柳の木のなかというわけは、葉の落ちてカラッとなった柳の木の外側には、すっかりガラスが張ってあるような気がするのです。それですから、嘉ッコはますます大よろこびです。
 けれどもとうとう、そのすきとおるガラス函《ばこ》もこわれました。それはお母さんやおばあさんがこっちへ来ましたので、嘉ッコが「ダア。」といいながら、両手をあげたものですから、小さなみそさざいどもは、みんなまるでまん円になって、ぼろんと飛んでしまったのです。
 さてみそさざいも飛びましたし、嘉ッコは走って街道《かいどう》に出ました。
 電信ばしらが、
「ゴーゴー、ガーガー、キイミイガアアヨオワア、ゴゴー、ゴゴー、ゴゴー。」とうなっています。
 嘉ッコは街道のまん中に小さな腕《うで》を組んで立ちながら、松並木《まつなみき》のあっちこっちをよくよく眺《なが》めましたが、松の葉がパサパサ続くばかり、そのほかにはずうっとはずれのはずれの方に、白い牛のようなものが頭だか足だか一寸出しているだけです。嘉ッコは街道を横ぎって、山の畑の方へ走りました。お母さんたちもあとから来ます。けれども、この路《みち》ならば、お母さんよりおばあさんより、嘉ッコの方がよく知っているのでした。路のまん中に一寸顔を出している円いあばたの石ころさえも、嘉ッコはちゃんと知っているのでした。厭《あ》きる位知っているのでした。
 嘉ッコは林にはいりました。松の木や楢《なら》の木が、つんつんと光のそらに立っています。
 林を通り抜《ぬ》けると、そこが嘉ッコの家の豆畑《まめばたけ》でした。
 豆ばたけは、今はもう、茶色の豆の木でぎっしりです。
 豆はみな厚い茶色の外套《がいとう》を着て、百列にも二百列にもなって、サッサッと歩いている兵隊のようです。
 お日さまはそらのうすぐもにはいり、向うの方のすすきの野原がうすく光っています。
 黒い鳥がその空の青じろいはてを、ななめにかけて行きました。
 お母さんたちがやっと林から出て来ました。それから向うの畑のへりを、もう二人の人が光ってこっちへやって参ります。一人は大きく一人は黒くて小さいのでした。
 それはたしかに、隣《とな》りの善《ぜん》コと、そのお母さんとにちがいありません。
「ホー、善コォ。」嘉ッコは高く叫びました。
「ホー。」高く返事が響《ひび》いて来ます。そして二人はどっちからもかけ寄って、ちょうど畑の堺《さかい》で会いました。善コの家の畑も、茶色外套の豆の木の兵隊で一杯です。
「汝《うな》ぃの家さ、今朝、霜降ったが。」と嘉ッコがたずねました。
「霜ぁ、おれぁの家さ降った。うなぃの家さ降ったが。」善コがいいました。
「うん、降った。」
 それから二人は善コのお母さんが持って来た蓆《むしろ》の上に座《すわ》りました。お母さんたちはうしろで立って談《はな》しています。
 二人はむしろに座って、
「わあああああああああ。」と云いながら両手で耳を塞《ふさ》いだりあけたりして遊びました。ところが不思議なことは、「わああああ※[#小書き平仮名ん、148−10]ああああ。」と云わないでも、両手で耳を塞いだりあけたりしますと、
「カーカーココーコー、ジャー。」という水の流れるような音が聞えるのでした。
「じゃ、汝《うな》、あの音ぁ何の音だが覚《おべ》だが。」
 と嘉ッコが云いました。善コもしばらくやって見ていましたが、やっぱりどうしてもそれがわからないらしく困ったように、
「奇体《きたい》だな。」と云いました。
 その時丁度嘉ッコのお母さんが畦《あぜ》の向うの方から豆を抜きながらだんだんこっちへ来ましたので、嘉ッコは高く叫びました。
「母《があ》、こう云《ゆ》にしてガアガアど聞えるものぁ何だべ。」
「西根山《にしねやま》の滝《たき》の音さ。」お母さんは豆の根の土をばたばた落しながら云いました。二人は西根山の方を見ました。けれどもそこから滝の音が聞えて来るとはどうも思われませんでした。
 お母さんが向うへ行って今度はおばあさんが来ました。
「ばさん。こう云《ゆ》にしてガアガアコーコーど鳴るものぁ何だべ。」
 おばあさんはやれやれと腰《こし》をのばして、手の甲《こう》で額を一寸《ちょっと》こすりながら、二人の方を見て云いました。
「天《あま》の邪鬼《しゃぐ》の小便《しょんべ》の音さ。」
 二人は変な顔をしながら黙《だま》ってしばらくその音を呼び寄せて聞いていましたが、俄《にわ》かに善コがびっくりする位叫びました。
「ほう、天の邪鬼の小便ぁ永ぃな。」
 そこで嘉ッコが飛びあがって笑っておばあさんの所に走って行っていいました。
「アッハッハ、ばさん。天の邪鬼の小便ぁたまげだ永ぃな。」
「永ぃてさ、天の邪鬼ぁいっつも小便、垂れ通しさ。」とおばあさんはすまして云いながら又《また》豆を抜きました。嘉ッコは呆《あき》れてぼんやりとむしろに座りました。
 お日さまはうすい白雲にはいり、黒い鳥が高く高く環《わ》をつくっています。その雲のこっち、豆の畑の向うを、鼠色《ねずみいろ》の服を着て、鳥打をかぶったせいのむやみに高い男が、なにかたくさん肩にかついで大股《おおまた》に歩いて行きます。
「兵隊さん。」善コが叫びながらそっちへかけ出しました。
「兵隊さ※[#小書き平仮名ん、150−3]だなぃ。鉄砲《てっぽう》持ってなぃぞ。」嘉ッコも走りながら云いました。
「兵隊さん。」善コが又叫びました。
「兵隊さんだなぃ。鉄砲持ってなぃぞ。」けれどもその時は二人はもう旅人の三間ばかりこっちまで来ていました。
「兵隊さん。」善コは又叫んでからおかしな顔をしてしまいました。見るとその人は赤ひげで西洋人なのです。おまけにその男が口を大きくして叫びました。
「グルルル、グルウ、ユー、リトル、ラズカルズ、ユー、プレイ、トラウント、ビ、オッフ、ナウ、スカッド、アウエイ、テゥ、スクール。」
 と雷《かみなり》のような声でどなりました。そこで二人はもうグーとも云わず、まん円になって一目散に逃《に》げました。するとうしろではいかにも面白《おもしろ》そうに高く笑う声がします。向うの方ではお母さんたちが心配そうに手をかざしてこっちを見ていましたが、やがて一寸おじぎをしました。二人は振《ふ》り返って見ますとその鼠色の旅人も笑いながら帽子《ぼうし》をとっておじぎをして居《お》りました。そして又大股に向うに歩いて行ってしまいました。
 お日さまが又かっと明るくなり、二人はむしろに座ってひばりもいないのに、
「ひばり焼げこ、ひばりこんぶりこ、」なんて出鱈目《でたらめ》なひばりの歌を歌っていました。
 そのうちに嘉ッコがふと思い出したように歌をやめて、一寸顔をしかめましたが、俄かに云いました。
「じゃ、うなぃの爺《じ》※[#小書き平仮名ん、151−2]ごぁ、酔ったぐれだが。」
「うんにゃ、おれぁの爺※[#小書き平仮名ん、151−3]ごぁ酔ったぐれだなぃ。」善コが答えました。
「そだら、うなぃの爺※[#小書き平仮名ん、151−4]ごど俺ぁの爺※[#小書き平仮名ん、151−4]ごど、爺※[#小書き平仮名ん、151−4]ご取っ換《か》ぇだらいがべじゃぃ。取っ換ぇなぃどが。」嘉ッコがこれを云うか云わないにウンと云うくらいひどく耳をひっぱられました。見ると嘉ッコのおじいさんがけらを着て章魚《たこ》のような赤い顔をして嘉ッコを上から見おろしているのでした。
「なにしたど。爺※[#小書き平仮名ん、151−8]ご取っ換ぇるど。それよりもうなのごと山山のへっぴり伯父《おじ》さ呉《け》でやるべが。」
「じさん、許せゆるせ、取っ換ぇなぃはんて、ゆるせ。」嘉ッコは泣きそうになってあやまりました。そこでじいさんは笑って自分も豆を抜きはじめました。

        *

 火は赤く燃えています。けむりは主におじいさんの方へ行きます。
 嘉ッコは、黒猫《くろねこ》をしっぽでつかまえて、ギッと云うくらいに抱《だ》いていました。向う側ではもう学校に行っている嘉ッコの兄さんが、鞄《かばん》から読本《とくほん》を出して声を立てて読んでいました。
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「松を火にたくいろりのそばで
 よるはよもやまはなしがはずむ
 母が手ぎわのだいこんなます
 これがいなかのとしこしざかな。第十三課……。」
[#ここで字下げ終わり]
「何したど。大根なますだど。としこしざがなだど。あんまりけづな書物だな。」とおじいさんがいきなり云いました。そこで嘉ッコのお父さんも笑いました。
「なあにこの書物ぁ倹約《けんやく》教えだのだべも。」
 ところが嘉ッコの兄さんは、すっかり怒ってしまいました。そしてまるで泣き出しそうになって、読本を鞄にしまって、
「嘉ッコ、猫ぉおれさ寄越《よこ》せじゃ。」と云いました。
「わがなぃんちゃ。厭《や》んた※[#小書き平仮名ん、152−9]ちゃ。」と嘉ッコが云いました。
「寄越せったら、寄越せ。嘉ッコぉ。わあい。寄越せじゃぁ。」
「厭《や》※[#小書き平仮名ん、152−11]たぁ、厭※[#小書き平仮名ん、152−11]たぁ、厭※[#小書き平仮名ん、152−11]たったら。」
「そだら撲《は》だぐじゃぃ。いいが。」嘉ッコの兄さんが向うで立ちあがりました。おじいさんがそれをとめ、嘉ッコがすばやく逃げかかったとき、俄《にわか》に途方《とほう》もない、空の青セメントが一ぺんに落ちたというようなガタアッという音がして家はぐら
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