なり、兄さんがそっちの草の中から笑って出て来ました。
「善《ゆ》ぐ来たな。牛も連れで来たのが。弁当持ってが。善《ゆ》ぐ来た。今日ぁ午《ひる》まがらきっと曇る。俺《おら》もう少し草集めて仕舞《しむ》がらな、此処《ここ》らに居ろ。おぢいさん、今来る。」
兄さんは向ふへ行かうとして、振り向いて又云ひました。
「腹減ったら、弁当、先に喰べてろ。風呂敷《ふろしき》ば、あの馬さ結付けで置げ。午まになったら又来るがら。」
「うん。此処に居る。」
そして達二の兄さんは、行ってしまひました。空にはうすい雲がすっかりかゝり、太陽は白い鏡のやうになって、雲と反対に馳《は》せました。風が出て来て刈られない草は一面に波を立てます。
どうしたのか、牛が俄《には》かに北の方へ馳せ出しました。達二はびっくりして、一生懸命追ひかけながら、兄の方に振り向いて叫びました。
「牛ぁ逃げる。牛ぁ逃げる。兄《あい》な[#「な」は小書き]。牛ぁ逃げる。」
せいの高い草を分けて、どんどん牛が走りました。達二はどこ迄《まで》も夢中で追ひかけました。そのうちに、足が何だか硬張《こはば》って来て、自分で走ってゐるのかどうか判《わか》らなくなってしまひました。それからまはりがまっ蒼《さを》になって、ぐるぐる廻り、たうとう達二は、深い草の中に倒れてしまひました。牛の白い斑が終りにちらっと見えました。
達二は、仰向《あふむ》けになって空を見ました。空がまっ白に光って、ぐるぐる廻り、そのこちらを薄い鼠《ねずみ》色の雲が、速く速く走ってゐます。そしてカンカン鳴ってゐます。
達二はやっと起き上って、せかせか息しながら、牛の行った方に歩き出しました。草の中には、牛が通った痕《あと》らしく、かすかな路のやうなものがありました。達二は笑ひました。そして、
(ふん。なあに、何処《どこ》かで、のっこり立ってるさ。)と思ひました。
そこで達二は、一生懸命それを跡《つ》けて行きました。ところがその路のやうなものは、まだ百歩も行かないうちに、をとこへしや、すてきに背高の薊《あざみ》の中で、二つにも三つにも分れてしまって、どれがどれやら一向わからなくなってしまひました。達二は思ひ切って、そのまん中のを進みました。けれどもそれも、時々|断《き》れたり、牛の歩かないやうな急な所を横様《よこざま》に過ぎたりするのでした。それでも達二は、
(
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