それでもどこかその光に青い油の疲れたやうなものがありましたし、又、時々、冷たい風が紐《ひも》のやうにどこからか流れては来ましたが、まだ仲々暑いのでした。牛が度々立ち止まるので、達二は少し苛々《いらいら》しました。
「上さ行って好い草食へ。早ぐ歩げっ。しっ。馬鹿《ばか》だな。しっ。」
けれども牛は、美しい草を見る度に、頭を下げて、舌をべらりと廻して喰べました。
(牛の肉の中で一番上等が此《こ》の舌だといふのは可笑《をか》しい。涎《よだ》れで粘々《ねばねば》してる。おまけに黒い斑々《ぶちぶち》がある。歩け。こら。)
「歩げ。しっ。歩げ。」
空に少しばかりの、白い雲が出ました。そして、もう大分のぼってゐました。谷の部落がずっと下に見え、達二の家の木小屋の屋根が白く光ってゐます。
路が林の中に入り、達二はあの奇麗な泉まで来ました。まっ白の石灰岩から、ごぼごぼ冷たい水を噴き出すあの泉です。達二は汗を拭《ふ》いて、しゃがんで何べんも水を掬《すく》ってのみました。
牛は泉を飲まないで、却《かへ》って苔《こけ》の中のたまり水を、ピチャピチャ嘗《な》めました。
達二が牛と、又あるきはじめたとき、泉が何かを知らせる様に、ぐうっと鳴り、牛も低くうなりました。
「雨になるがも知れなぃな。」と達二は空を見て呟《つぶや》きました。
林の裾《すそ》の灌木《くわんぼく》の間を行ったり、岩片《いはかけ》の小さく崩れる所を何べんも通ったりして、達二はもう原の入口に近くなりました。
光ったり陰ったり、幾重にも畳む丘丘の向ふに、北上の野原が夢のやうに碧《あを》くまばゆく湛《たた》へてゐます。河が、春日《かすが》大明神の帯のやうに、きらきら銀色に輝いて流れました。
そして達二は、牛と、原の入口に着きました。大きな楢《なら》の木の下に、兄さんの繩《なは》で編んだ袋が投げ出され、沢山の草たばがあちこちにころがってゐました。
二匹の馬は、達二を見て、鼻をぷるぷる鳴らしました。
「兄《あい》な[#「な」は小書き]。居るが。兄な[#「な」は小書き]。来たぞ。」達二は汗を拭《ぬぐ》ひながら叫びました。
「おゝい。あゝい。其処《そこ》に居ろ。今行ぐぞ。」
ずうっと向ふの窪《くぼ》みで、達二の兄さんの声がしました。牛は沢山の草を見ても、格別|嬉《うれ》しさうにもしませんでした。
陽《ひ》がぱっと明るく
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