若い木霊
宮沢賢治

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)云《い》って

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一|疋《ぴき》
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〔冒頭原稿数枚なし〕
「ふん。こいつらがざわざわざわざわ云《い》っていたのは、ほんの昨日のようだったがなあ。大抵《たいてい》雪に潰《つぶ》されてしまったんだな。」
 それから若い木霊《こだま》は、明るい枯草《かれくさ》の丘《おか》の間を歩いて行きました。
 丘の窪《くぼ》みや皺《しわ》に、一きれ二きれの消え残りの雪が、まっしろにかがやいて居《お》ります。
 木霊はそらを見ました。そのすきとおるまっさおの空で、かすかにかすかにふるえているものがありました。
「ふん。日の光がぷるぷるやってやがる。いや、日の光だけでもないぞ。風だ。いや、風だけでもないな。何かこう小さなすきとおる蜂《すがる》のようなやつかな。ひばりの声のようなもんかな。いや、そうでもないぞ。おかしいな。おれの胸までどきどき云いやがる。ふん。」
 若い木霊はずんずん草をわたって行きました。
 丘のかげに六本の柏《かしわ》の木が立っていました。風が来ましたのでその去年の枯れ葉はザラザラ鳴りました。
 若い木霊はそっちへ行って高く叫《さけ》びました。
「おおい。まだねてるのかい。もう春だぞ、出て来いよ。おい。ねぼうだなあ、おおい。」
 風がやみましたので柏の木はすっかり静まってカサッとも云いませんでした。若い木霊はその幹に一本ずつすきとおる大きな耳をつけて木の中の音を聞きましたがどの樹《き》もしんとして居りました。そこで
「えいねぼう。おれが来たしるしだけつけて置こう。」と云いながら柏の木の下の枯れた草穂《くさぼ》をつかんで四つだけ結び合いました。
 そして又《また》ふらふらと歩き出しました。丘はだんだん下って行って小さな窪地になりました。そこはまっ黒な土があたたかにしめり湯気はふくふく春のよろこびを吐《は》いていました。
 一|疋《ぴき》の蟇《ひきがえる》がそこをのそのそ這《は》って居りました。若い木霊はギクッとして立ち止まりました。
 それは早くもその蟇の語《ことば》を聞いたからです。
「鴾《とき》の火だ。鴾の火だ。もう空だって碧《あお》くはないんだ。
 桃色《ももいろ》のペラペラの寒天でできているんだ。いい天気だ。
 ぽかぽかするなあ
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