車
宮沢賢治
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)籠《かご》を
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)四|罐《くわん》だけ、
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ハーシュは籠《かご》を頭に載っけて午前中町かどに立ってゐましたがどう云《い》ふわけか一つも仕事がありませんでした。呆《あき》れて籠をおろして腰をかけ弁当をたべはじめましたら一人の赤髯《あかひげ》の男がせはしさうにやって来ました。
「おい、大急ぎだ。兵営の普請に足りなくなったからテレピン油《ゆ》を工場から買って来て呉《く》れ。そら、あすこにある車をひいてね、四|罐《くわん》だけ、この名刺を持って行くんだ。」
「どこへ行くのです。」ハーシュは弁当をしまって立ちあがりながら訊《き》きました。
「そいつを今云ふよ。いゝか。その橋を渡って楊《やなぎ》の並木に出るだらう。十町ばかり行くと白い杭《くひ》が右側に立ってゐる。そこから右に入るんだ。すると蕈《きのこ》の形をした松林があるからね、そいつに入って行けばいゝんだ。いや、路《みち》がひとりでそこへ行くよ。林の裏側に工場がある。さあ、早く。」
ハーシュは大きな名刺を受け取りました。赤髯の男はぐいぐいハーシュの手を引っぱって一台のよぼよぼの車のとこまで連れて行きました。
「さあ、早く。今日中に塗っちまはなけぁいけないんだから。」
ハーシュは車を引っぱりました。
間もなくハーシュは楊並木の白い杭の立ってゐる所まで来ました。
「おや、蕈の形の林だなんて。こんな蕈があるもんか。あの男は来たことがないんだな。」ハーシュはそっちの方へ路をまがりながら貰《もら》って来た大きな名刺を見ました。
「土木建築設計工作等請負 ニジニ・ハラウ、ふん、テレピン油の工場だなんて見るのははじめてだぞ。」
ハーシュは車をひいて青い松林のすぐそばまで来ました。すがすがしい松脂《まつやに》のにほひがして鳥もツンツン啼《な》きました。みちはやっと車が通るぐらゐ、おほばこが二列にみちの中に生え、何べんも日が照ったり蔭《かげ》ったりしてその黄いろのみちの土は明るくなったり暗くなったりしました。ふとハーシュは縮れ毛の可愛らしい子供が水色の水兵服を着て空気銃を持ってばらの藪《やぶ》のこっち側に立ってしげしげとハーシュの車をひいて来るのを見てゐるのに気が付きました。あんまりこっちを見てゐるので
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