んぱい》は、今では山男だけというわけだ。よしよし、一つ山男を呼《よ》び出して、聞いてみよう。」
そこで工芸《こうげい》学校の先生は、町の紫紺染研究会《しこんぞめけんきゅうかい》の人達《ひとたち》と相談《そうだん》して、九月六日の午后《ごご》六時から、内丸西洋軒《うちまるせいようけん》で山男の招待会《しょうたいかい》をすることにきめました。そこで工芸学校の先生は、山男へ宛《あ》てて上手《じょうず》な手紙を書きました。山男がその手紙さえ見れば、きっともう出掛《でか》けて来るようにうまく書いたのです。そして桃《もも》いろの封筒《ふうとう》へ入れて、岩手|郡《ぐん》西根山《にしねやま》、山男|殿《どの》と上書きをして、三|銭《せん》の切手をはって、スポンと郵便函《ゆうびんばこ》へ投《な》げ込《こ》みました。
「ふん。こうさえしてしまえば、あとはむこうへ届《とど》こうが届くまいが、郵便屋《ゆうびんや》の責任《せきにん》だ。」と先生はつぶやきました。
あっはっは。みなさん。とうとう九月六日になりました。夕方、紫紺染に熱心《ねっしん》な人たちが、みんなで二十四人、内丸西洋軒に集《あつ》まりました
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