紫紺染について
宮沢賢治

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)盛岡《もりおか》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)東京|大博覧会《だいはくらんかい》
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 盛岡《もりおか》の産物《さんぶつ》のなかに、紫紺染《しこんぞめ》というものがあります。
 これは、紫紺という桔梗《ききょう》によく似《に》た草の根《ね》を、灰《はい》で煮出《にだ》して染《そ》めるのです。
 南部《なんぶ》の紫紺染は、昔《むかし》は大へん名高いものだったそうですが、明治《めいじ》になってからは、西洋《せいよう》からやすいアニリン色素《しきそ》がどんどんはいって来ましたので、一向《いっこう》はやらなくなってしまいました。それが、ごくちかごろ、またさわぎ出されました。けれどもなにぶん、しばらくすたれていたものですから、製法《せいほう》も染方《そめかた》も一向わかりませんでした。そこで県工業会《けんこうぎょうかい》の役員《やくいん》たちや、工芸《こうげい》学校の先生は、それについていろいろしらべました。そしてとうとう、すっかり昔のようないいものが出来るようになって、東京|大博覧会《だいはくらんかい》へも出ましたし、二等賞《にとうしょう》も取《と》りました。ここまでは、大てい誰《だれ》でも知っています。新聞にも毎日出ていました。
 ところが仲々《なかなか》、お役人方《やくにんがた》の苦心《くしん》は、新聞に出ているくらいのものではありませんでした。その研究中《けんきゅうちゅう》の一つのはなしです。
 工芸《こうげい》学校の先生は、まず昔《むかし》の古い記録《きろく》に眼《め》をつけたのでした。そして図書館《としょかん》の二|階《かい》で、毎日黄いろに古びた写本《しゃほん》をしらべているうちに、遂《つい》にこういういいことを見附《みつ》けました。
「一、山男《やまおとこ》紫紺《しこん》を売りて酒《さけ》を買い候《そうろう》事《こと》、
山男、西根山《にしねやま》にて紫紺の根《ね》を掘《ほ》り取《と》り、夕景《ゆうけい》に至《いた》りて、ひそかに御城下《ごじょうか》(盛岡《もりおか》)へ立ち出《い》で候《そうろう》上《うえ》、材木町《ざいもくちょう》生薬商人《きぐすりしょうにん》近江屋源八《おうみやげんぱち》に一俵《いっぴょう》二十五|文《もん》にて売り候《そ
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