うろう》。それより山男、酒屋半之助方《さかやはんのすけかた》へ参《まい》り、五|合入程《ごういりほど》の瓢箪《ひょうたん》を差出《さしだ》し、この中に清酒《せいしゅ》一|斗《と》お入れなされたくと申《もう》し候。半之助方|小僧《こぞう》、身《み》ぶるえしつつ、酒一斗はとても入り兼《か》ね候と返答《へんとう》致《いた》し候|処《ところ》、山男、まずは入れなさるべく候と押《お》して申し候。半之助も顔色青ざめ委細《いさい》承知《しょうち》と早口に申し候。扨《さて》、小僧ますをとりて酒を入れ候に、酒は事《こと》もなく入り、遂《つい》に正味《しょうみ》一斗と相成《あいな》り候。山男|大《おおい》に笑《わら》いて二十五文を置《お》き、瓢箪をさげて立ち去《さ》り候|趣《おもむき》、材木町|総代《そうだい》より御届《おとど》け有之《これあり》候。」
 これを読んだとき、工芸学校の先生は、机《つくえ》を叩《たた》いて斯《こ》うひとりごとを言いました。
「なるほど、紫紺《しこん》の職人《しょくにん》はみな死《し》んでしまった。生薬屋のおやじも死《し》んだと。そうしてみるとさしあたり、紫紺についての先輩《せんぱい》は、今では山男だけというわけだ。よしよし、一つ山男を呼《よ》び出して、聞いてみよう。」
 そこで工芸《こうげい》学校の先生は、町の紫紺染研究会《しこんぞめけんきゅうかい》の人達《ひとたち》と相談《そうだん》して、九月六日の午后《ごご》六時から、内丸西洋軒《うちまるせいようけん》で山男の招待会《しょうたいかい》をすることにきめました。そこで工芸学校の先生は、山男へ宛《あ》てて上手《じょうず》な手紙を書きました。山男がその手紙さえ見れば、きっともう出掛《でか》けて来るようにうまく書いたのです。そして桃《もも》いろの封筒《ふうとう》へ入れて、岩手|郡《ぐん》西根山《にしねやま》、山男|殿《どの》と上書きをして、三|銭《せん》の切手をはって、スポンと郵便函《ゆうびんばこ》へ投《な》げ込《こ》みました。
「ふん。こうさえしてしまえば、あとはむこうへ届《とど》こうが届くまいが、郵便屋《ゆうびんや》の責任《せきにん》だ。」と先生はつぶやきました。
 あっはっは。みなさん。とうとう九月六日になりました。夕方、紫紺染に熱心《ねっしん》な人たちが、みんなで二十四人、内丸西洋軒に集《あつ》まりました
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