祭の晩
宮沢賢治

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)亮二《りょうじ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)百|把《ぱ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#小書き平仮名ん、73−12]
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 山の神の秋の祭りの晩でした。
 亮二《りょうじ》はあたらしい水色のしごきをしめて、それに十五銭もらって、お旅屋にでかけました。「空気獣」という見世物が大繁盛でした。
 それは、髪を長くして、だぶだぶのずぼんをはいたあばたな男が、小屋の幕の前に立って、「さあ、みんな、入れ入れ」と大威張りでどなっているのでした。亮二が思わず看板の近くまで行きましたら、いきなりその男が、
「おい、あんこ、早ぐ入れ。銭は戻りでいいから」と亮二に叫びました。亮二は思わず、つっと木戸口を入ってしまいました。すると小屋の中には、高木の甲助だの、だいぶ知っている人たちが、みんなおかしいようなまじめなような顔をして、まん中の台の上を見ているのでした。台の上に空気獣がねばりついていたのです。それは大きな平べったいふらふらした白いもので、どこが頭だか口だかわからず、口上言いがこっち側から棒でつっつくと、そこは引っこんで向うがふくれ、向うをつつくとこっちがふくれ、まん中を突くとまわりが一たいふくれました。亮二は見っともないので、急いで外へ出ようとしましたら、土間の窪《くぼ》みに下駄《げた》がはいってあぶなく倒れそうになり、隣りの頑丈そうな大きな男にひどくぶっつかりました。びっくりして見上げましたら、それは古い白縞《しろじま》の単物《ひとえ》に、へんな簑《みの》のようなものを着た、顔の骨ばって赤い男で、向うも愕《おどろ》いたように亮二を見おろしていました。その眼《め》はまん円で煤《すす》けたような黄金《きん》いろでした。亮二が不思議がってしげしげ見ていましたら、にわかにその男が、眼をぱちぱちっとして、それから急いで向うを向いて木戸口の方に出ました。亮二もついて行きました。その男は木戸口で、堅く握っていた大きな右手をひらいて、十銭の銀貨を出しました。亮二も同じような銀貨を木戸番にわたして外へ出ましたら、従兄《いとこ》の達二に会いました。その男の広い肩はみんなの中に見えなくなってしまいました。
 達二はその見世物の看板を指さしながら、声をひそめて言いました。
「お前はこの見世物にはいったのかい。こいつはね、空気獣だなんていってるが、実はね、牛の胃袋に空気をつめたものだそうだよ。こんなものにはいるなんて、おまえはばかだな」
 亮二がぼんやりそのおかしな形の空気獣の看板を見ているうちに、達二が又言いました。
「おいらは、まだおみこしさんを拝んでいないんだ。あした又会うぜ」そして片脚で、ぴょんぴょん跳ねて、人ごみの中にはいってしまいました。
 亮二も急いでそこをはなれました。その辺一ぱいにならんだ屋台の青い苹果《りんご》や葡萄《ぶどう》が、アセチレンのあかりできらきら光っていました。
 亮二は、アセチレンの火は青くてきれいだけれどもどうも大蛇《だいじゃ》のような悪い臭《におい》がある、などと思いながら、そこを通り抜けました。
 向うの神楽殿《かぐらでん》には、ぼんやり五つばかりの提灯《ちょうちん》がついて、これからおかぐらがはじまるところらしく、てびらがねだけしずかに鳴っておりました。(昌一《しょういち》もあのかぐらに出る)と亮二は思いながら、しばらくぼんやりそこに立っていました。
 そしたら向うのひのきの陰の暗い掛茶屋の方で、なにか大きな声がして、みんながそっちへ走って行きました。亮二も急いでかけて行って、みんなの横からのぞき込みました。するとさっきの大きな男が、髪をもじゃもじゃして、しきりに村の若い者にいじめられているのでした。額から汗を流してなんべんも頭を下げていました。
 何か言おうとするのでしたが、どうもひどくどもってしまって語《ことば》が出ないようすでした。
 てかてか髪をわけた村の若者が、みんなが見ているので、いよいよ勢いよくどなっていました。
「貴様※[#小書き平仮名ん、73−12]みたいな、よそから来たものに馬鹿《ばか》にされて堪《たま》っか。早く銭を払え、銭を。ないのか、この野郎。ないなら何《な》して物食った。こら」
 男はひどくあわてて、どもりながらやっと言いました。
「た、た、た、薪《たきぎ》百|把《ぱ》持って来てやるがら」
 掛茶屋の主人は、耳が少し悪いとみえて、それをよく聞きとりかねて、かえって大声で言いました。
「何だと。たった二串《ふたくし》だと。あたりまえさ。団子の二串やそこら、くれてやってもいいの
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