黒ぶだう
宮沢賢治
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)厭《あ》きて
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仔牛が厭《あ》きて頭をぶらぶら振ってゐましたら向ふの丘の上を通りかかった赤狐《あかぎつね》が風のやうに走って来ました。
「おい、散歩に出ようぢゃないか。僕がこの柵《さく》を持ちあげてゐるから早くくぐっておしまひ。」
仔牛は云《い》はれた通りまづ前肢《まへあし》を折って生え出したばかりの角を大事にくぐしそれから後肢をちゞめて首尾よく柵を抜けました。二人は林の方へ行きました。
狐が青ぞらを見ては何べんもタンと舌を鳴らしました。
そして二人は樺《かば》林の中のベチュラ公爵の別荘の前を通りました。
ところが別荘の中はしいんとして煙突からはいつものコルク抜きのやうな煙も出ず鉄の垣《かき》が行儀よくみちに影法師を落してゐるだけで中には誰《たれ》も居ないやうでした。
そこで狐がタン、タンと二つ舌を鳴らしてしばらく立ちどまってから云ひました。
「おい、ちょっとはひって見ようぢゃないか。大丈夫なやうだから。」
犢《こうし》はこはさうに建物を見ながら云ひました。
「あすこの窓に誰かゐるぢゃないの。」
「どれ、何だい、びくびくするない。あれは公爵のセロだよ。だまってついておいで。」
「こはいなあ、僕は。」
「いゝったら、おまへはぐづだねえ。」
赤狐はさっさと中へ入りました。仔牛も仕方なくついて行きました。ひひらぎの植込みの処《ところ》を通るとき狐の子は又青ぞらを見上げてタンと一つ舌を鳴らしました。仔牛はどきっとしました。
赤狐はわき玄関の扉《と》のとこでちょっとマットに足をふいてそれからさっさと段をあがって家の中に入りました。仔牛もびくびくしながらその通りしました。
「おい、お前の足はどうしてさうがたがた鳴るんだい。」赤狐は振り返って顔をしかめて仔牛をおどしました。仔牛ははっとして頸《くび》をちゞめながら、なあに僕は一向家の中へなんど入りたくないんだが、と思ひました。
「この室《へや》へはひって見よう。おい。誰か居たら遁《に》げ出すんだよ。」赤狐は身構へしながら扉をあけました。
「何だい。こゝは書物ばかりだい。面白くないや。」狐は扉をしめながら云ひました。支那《しな》の地理のことを書いた本なら見たいなあと仔牛は思ひましたがもう狐がさっさと廊下を行くもんですから仕方な
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