ンが白い鳥の羽根を頭につけ、たくさんの石を腕と胸にかざり、小さな弓に矢を番へて一目散に汽車を追つて來るのでした。
「あら、インデアンですよ。インデアンですよ。ごらんなさい。」
黒服の青年も眼をさましました。
ジヨバンニもカムパネルラも立ちあがりました。
「走つて來るわ。あら、走つて來るわ。追ひかけてゐるんでせう。」
「いいえ、汽車を追つてるんぢやないんですよ、獵をするか踊るかしてるんですよ。」
青年はいまどこに居るか忘れたといふ風に、ポケツトに手を入れて立ちながら云ひました。
まつたくインデアンは半分は踊つてゐるやうでした。第一かけるにしても足のふみやうがもつと經濟もとれ、本氣にもなれさうでした。にはかにくつきり白いその羽根は前の方へ倒れるやうになり、インデアンはぴたつと立ちどまつてすばやく弓を空にひきました。そこから一羽の鶴がふらふらと落ちて來て、また走り出したインデアンの大きくひろげた兩手に落ちこみました。
インデアンはうれしさうに立つてわらひました。そしてその鶴をもつてこつちを見てゐる影も、もうどんどん小さく遠くなり、電しんばしらの碍子がきらつきらつと續いて二つばかり光つて、またたうもろこしの林になつてしまひました。
こつち側の窓を見ますと、汽車はほんたうに高い高い崖の上を走つてゐて、その谷の底には川がやつぱり幅ひろく明るく流れてゐたのです。
「ええ、もうこの邊から下りです。何せこんどは一ぺんにあの水面までおりて行くんですから容易ぢやありません。この傾斜があるもんですから、汽車は決して向うからこつちへは來ないんです。そら、もうだんだん早くなつたでせう。」さつきの老人らしい聲が云ひました。
どんどんどんどん汽車は降りて行きました。崖のはしに鐵道がかかるときは、川が明るく下にのぞけたのです。
ジヨバンニはだんだんこころもちが明るくなつて來ました。
汽車が小さな小屋の前を通つて、その前にしよんぼりひとりの子供が立つてこつちを見てゐるときなどは思はず、ほう、と叫びました。
どんどんどんどん汽車は走つて行きました。室中のひとたちは、半分うしろの方へ倒れるやうになりながら、腰掛にしつかりしがみついてゐました。
ジヨバンニは思はずカムパネルラとわらひました。もうそして天の川は汽車のすぐ横手を、いままたよほど激しく流れて來たらしく、ときどきちらちら光つてながれてゐるのでした。うすあかい河原なでしこの花があちこち咲いてゐました。汽車はやうやく落ちついたやうにゆつくりと走つてゐました。
向うとこつちの岸に、星のかたちとつるはしを書いた旗がたつてゐました。
「あれ、何の旗だらうね。」ジヨバンニがやつとものを云ひました。
「さあ、わからないねえ。地圖にもないんだもの。鐵の舟がおいてあるねえ。」
「ああ。」
「橋を架けるとこぢやないんでせうか。」女の子が云ひました。
「ああ、あれ工兵の旗だねえ。架橋演習をしてるんだ。けれど兵隊のかたちが見えないねえ。」
その時向う岸ちかく、少し下流の方で、見えない天の川の水がぎらつと光つて、柱のやうに高くはねあがり、どおと烈しい音がしました。
「發破だよ。發破だよ。」カムパネルラはこをどりしました。
その柱のやうになつた水は見えなくなり、大きな鮭や鱒がきらつきらつと白く腹を光らせて空中に抛り出されて、圓い輪を描いてまた水に落ちました。
ジヨバンニはもうはねあがりたいくらゐ氣持が輕くなつて云ひました。
「空の工兵大隊だ。どうだ、鱒やなんかがまるでこんなになつてはねあげられたねえ。僕こんな愉快な旅はしたことない。いいねえ。」
「あの鱒なら近くで見たらこれくらゐあるねえ、たくさんさかな居るんだな、この水の中に。」
「小さなお魚もゐるんでせうか。」女の子が話につり込まれて云ひました。
「居るんでせう。大きなのが居るんだから小さいのもゐるんでせう。けれど遠くだから、いま小さいの見えなかつたねえ。」ジヨバンニはもうすつかり機嫌が直つて、面白さうにわらつて女の子に答へました。
「あれきつと雙子のお星さまのお宮だよ。」男の子が、いきなり窓の外をさして叫びました。
右手の低い丘の上に小さな水晶ででもこさえたやうな二つのお宮がならんで立つてゐました。
「雙子のお星さまのお宮つて何だい。」
「あたし前になんべんもお母さんから聞いたわ、ちやんと小さな水晶のお宮で二つならんでゐるからきつとさうだわ。」
「はなしてごらん。雙子のお星さまが何したつての。」
「ぼくも知つてらい。雙子のお星さまが野原へ遊びにでて、からすと喧嘩したんだらう。」
「さうぢやないわよ。あのね、天の川の岸にね、おつかさんお話なすつたわ。……」
「それから彗星《はうきぼし》が、ギーギーフーギーギーフーて云つて來たねえ。」
「いやだわたあちやん、さうぢやないわよ。それはべつの方だわ。」
「するとあすこにいま笛を吹いて居るんだらうか。」
「いま海へ行つてらあ。」
「いけないわよ。もう海からあがつていらつしやつたのよ。」
「さうさう、ぼく知つてらあ、ぼくおはなししよう。」
* *
川の向う岸が俄に赤くなりました。
楊の木や何かもまつ黒にすかし出され、見えない天の川の波もときどきちらちら針のやうに赤く光りました。
まつたく向う岸の野原に大きなまつ赤な火が燃され、その黒いけむりは高く桔梗いろのつめたさうな天をも焦がしさうでした。ルビーよりも赤くすきとほり、リチウムよりも、うつくしく醉つたやうになつてその火は燃えてゐるのでした。
「あれは何の火だらう。あんな赤く光る火は何を燃せばできるんだらう。」ジヨバンニが云ひました。
「蝎の火だな。」カムパネルラが又地圖と首つ引きして答へました。
「あら、蝎の火のことならあたし知つてるわ。」
「蝎の火つて何だい。」ジヨバンニがききました。
「蝎がやけて死んだのよ。その火がいまでも燃えてるつて、あたし何べんもお父さんから聽いたわ。」
「蝎つて、蟲だらう。」
「ええ、蝎は蟲よ。だけどいい蟲だわ。」
「蝎いい蟲ぢやないよ。僕博物館でアルコールにつけてあるの見た。尾にこんなかぎがあつて、それで刺されると死ぬつて先生が云つたよ。」
「さうよ。だけどいい蟲だわ、お父さん斯う云つたのよ。むかしバルドラの野原に一ぴきの蝎がゐて、小さな蟲やなんか殺してたべて生きてゐたんですつて。するとある日、いたちに見附かつて食べられさうになつたんですつて。さそりは一生けん命遁げて遁げたけど、とうとういたちに押へられさうになつたわ。そのとき、いきなり前に井戸があつてその中に落ちてしまつたわ。
もうどうしてもあがられないで、さそりは溺れはじめたのよ。そのときさそりは斯う云つてお祈りしたといふの。
ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとつたかわからない、そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生懸命にげた。それでもとうとうこんなになつてしまつた。ああなんにもあてにならない。どうしてわたしはわたしのからだを、だまつていたちに呉れてやらなかつたらう。そしたらいたちも一日生きのびたらうに。どうか神さま。私の心をごらん下さい。こんなにむなしく命をすてず、どうかこの償には、まことのみんなの幸のために私のからだをおつかひ下さい。つて云つたといふの。そしたらいつか蝎はじぶんのからだが、まつ赤なうつくしい火になつて燃えて、よるのやみを照らしてゐるのを見たつて。
いつまでも燃えてるつてお父さん、仰つしやつたわ。ほんたうにあの火、それだわ。」
「さうだ。見たまへ。そこらの三角標はちやうどさそりの形にならんでゐるよ。」
ジヨバンニはまつたくその大きな火の向うに、三つの三角標が、さそりの腕のやうに、こつちに五つの三角標がさそりの尾やかぎのやうにならんでゐるのを見ました。そしてほんたうにそのまつ赤なうつくしいさそりの火は音なくあかるくあかるく燃えたのです。
その火がだんだんうしろの方になるにつれて、みんなは何とも云へずにぎやかなさまざまの樂の音や草花の匂のやうなもの、口笛や人々のざわざわ云ふ聲やらを聞きました。
それはもうぢきちかくに町か何かがあつて、そこにお祭でもあるといふやうな氣がするのでした。
「ケンタウルス、露をふらせ。」いきなりいままで睡つていたジヨバンニのとなりの男の子が、向うの窓を見ながら叫んでゐました。
ああそこにはクリスマストリイのやうにまつ青な唐檜かもみの木がたつて、その中にはたくさんのたくさんの豆電燈がまるで千の螢でも集つたやうについてゐました。
「ああ、さうだ。今夜ケンタウル祭だねえ。」
「ああ、ここはケンタウルの村だよ。」カムパネルラがすぐ云ひました。
……(次の原稿一枚位なし)……
「ボール投げなら僕決してはづさない。」
男の子が大威張で云ひ出しました。
「もうぢきサウザンクロスです。おりる支度をして下さい。」青年がみんなに云ひました。
「僕、も少し汽車へ乘つてるんだよ。」男の子が云ひました。
カムパネルラのとなりの女の子はそはそは立つて支度をはじめました。けれどもやつぱりジヨバンニたちとわかれたくないやうなやうすでした。
「ここでおりなけあいけないのです。」青年はきちつと口を結んで男の子を見おろしながら云ひました。
「厭だい。僕、もう少し汽車へ乘つてから行くんだい。」
ジヨバンニがこらへ兼ねて云ひました。
「僕たちと一緒に乘つて行かう。僕たちどこまでだつて行ける切符持つてるんだ。」
「だけどあたしたち、もうここで降りなけあいけないのよ、ここ天上へ行くとこなんだから。」女の子がさびしさうに云ひました。
「天上へなんか行かなくたつていいぢやないか。ぼくたちここで天上よりももつといいとこをこさへなけあいけないつて僕の先生が云つたよ。」
「だつてお母さんも行つてらつしやるし、それに神さまも仰つしやるんだわ。」
「そんな神さまうその神さまだい。」
「あなたの神さまうその神さまよ。」
「さうぢやないよ。」
「あなたの神さまつてどんな神さまですか。」
青年は笑ひながら云ひました。
「ぼくほんたうはよく知りません。けれどもそんなんでなしに、ほんたうのたつた一人の神さまです。」
「ほんたうの神さまはもちろんたつた一人です。」
「ああ、そんなんでなしにたつたひとりのほんたうのほんたうの神さまです。」
「だからさうぢやありませんか。わたくしはあなた方がいまにそのほんたうの神さまの前に、わたくしたちとお會ひになることを祈ります。」青年はつつましく兩手を組みました。
女の子もちやうどその通りにしました。みんなほんたうに別れが惜しさうで、その顏いろも少し青ざめて見えました。ジヨバンニはあぶなく聲をあげて泣き出さうとしました。
「さあもう支度はいいんですか。ぢきサウザンクロスですから。」
ああそのときでした。見えない天の川のずうつと川下に青や橙や、もうあらゆる光でちりばめられた十字架が、まるで一本の木といふ風に川の中から立つてかがやき、その上には青じろい雲がまるい環になつて後光のやうにかかつてゐるのでした。
汽車の中がまるでざわざわしました。みんなあの北の十字のときのやうにまつすぐに立つてお祈りをはじめました。
あつちにもこつちにも子供が瓜に飛びついたときのやうなよろこびの聲や、何とも云ひやうのない深いつつましいためいきの音ばかりきこえました。そしてだんだん十字架は窓の正面になり、あの苹果の肉のやうな青じろい銀の雲も、ゆるやかにゆるやかに繞つてゐるのが見えました。
「ハルレヤ、ハルレヤ。」明るくたのしくみんなの聲はひびき、みんなはそのそらの遠くから、つめたいそらの遠くから、すきとほつた何とも云へずさわやかなラツパの聲をききました。そしてたくさんのシグナルや電燈の灯のなかを汽車はだんだんゆるやかになり、とうとう十字架のちやうどま向ひに行つてすつかりとまりました。
「さあ、降りるんですよ。」青年は男の子の手をひき、姉はじぶんのえりや肩をなほしながらだんだん向うの出口の方へ歩き出しま
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