ん、さうぢやないわよ。それはべつの方だわ。」
「するとあすこにいま笛を吹いて居るんだらうか。」
「いま海へ行つてらあ。」
「いけないわよ。もう海からあがつていらつしやつたのよ。」
「さうさう、ぼく知つてらあ、ぼくおはなししよう。」
* *
川の向う岸が俄に赤くなりました。
楊の木や何かもまつ黒にすかし出され、見えない天の川の波もときどきちらちら針のやうに赤く光りました。
まつたく向う岸の野原に大きなまつ赤な火が燃され、その黒いけむりは高く桔梗いろのつめたさうな天をも焦がしさうでした。ルビーよりも赤くすきとほり、リチウムよりも、うつくしく醉つたやうになつてその火は燃えてゐるのでした。
「あれは何の火だらう。あんな赤く光る火は何を燃せばできるんだらう。」ジヨバンニが云ひました。
「蝎の火だな。」カムパネルラが又地圖と首つ引きして答へました。
「あら、蝎の火のことならあたし知つてるわ。」
「蝎の火つて何だい。」ジヨバンニがききました。
「蝎がやけて死んだのよ。その火がいまでも燃えてるつて、あたし何べんもお父さんから聽いたわ。」
「蝎つて、蟲だらう。」
「ええ、蝎は蟲よ。だけどいい蟲だわ。」
「蝎いい蟲ぢやないよ。僕博物館でアルコールにつけてあるの見た。尾にこんなかぎがあつて、それで刺されると死ぬつて先生が云つたよ。」
「さうよ。だけどいい蟲だわ、お父さん斯う云つたのよ。むかしバルドラの野原に一ぴきの蝎がゐて、小さな蟲やなんか殺してたべて生きてゐたんですつて。するとある日、いたちに見附かつて食べられさうになつたんですつて。さそりは一生けん命遁げて遁げたけど、とうとういたちに押へられさうになつたわ。そのとき、いきなり前に井戸があつてその中に落ちてしまつたわ。
もうどうしてもあがられないで、さそりは溺れはじめたのよ。そのときさそりは斯う云つてお祈りしたといふの。
ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとつたかわからない、そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生懸命にげた。それでもとうとうこんなになつてしまつた。ああなんにもあてにならない。どうしてわたしはわたしのからだを、だまつていたちに呉れてやらなかつたらう。そしたらいたちも一日生きのびたらうに。どうか神さま。私の心をごらん下さい。こんなにむなしく命をすてず、どうかこの償
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